女神が見せるその映像は、サラの心に焦燥と絶望を与える。
 これは、変えられる未来の話ではない。
 もう終わってしまった、過去の話。
 女神の力を持ってしても、書きかえることはできない……。

 国王は最初、腐り落ちる寸前の枯れ枝のような手を、直接伸ばしたのだ。
 サラを易々と冥界に追いやったときのように。
 しかし、リーズとアレクが決意を持って支えるドーム状の結界は、その手を押し返すばかり。
 光の結界に触れるだけで、“国王”の肉体は消耗する。

 業を煮やした赤い瞳は、攻撃に使える道具を探して、周囲に目をやった。
 ガランとしたホールの中央、手の届くところには何もない。
 作り続けている結界を含め、闇の魔術を使い過ぎた器の能力は弱まり、壁際に飾られた宝剣へと歩みよることもままならない。

 誰かに肉体を殺してもらわない限り、別の器に移ることもできない邪神は、鬱陶しげに自分の体をみやる。
 新たな器をどれだけ望もうとも、契約した人間である“国王”が、この世の生にしがみついている限り、赤い瞳はその器を使わざるを得ない。
 忌々しげに自分の手を見ていた国王は、武器を求めて自らの体をまさぐり……ぼろきれのようなローブの下にそれを見つけた。
 取り出したのは、自らの体。
 わきわきと右手の指を動かすと、国王は左手の人指し指を折って千切り、光を放つブルーのドームへ向かって投げつけた。

  * * *

 血しぶきと共に、一本の指が結界へと襲いかかる。
 ぶつかった部分は血にまみれ、一瞬厚みが薄くなった。
 リーズがぐうっと呻くものの、すかさずアレクがカバーする。
 赤い液体がアレクの生み出した光によって洗い流され、ドームの壁は補強される。
 その中で、人々は何が起こっているかも分からず、ただ時が過ぎ去るのを待ち望んでいた。

 想像していた通りに行かなかったことに、軽く小首を傾げた国王は、もう一度、もう一度とトライを繰り返す。
 ドームにぶつかって落ちた指が片手分……五個無くなると、今度は手のひら、肘まで、二の腕と使う場所を変えていく。
 投げつける部位の体積が増えれば、衝撃も比例する。
 断続的に続く悪夢のような攻撃に耐えながら、アレクとリーズは同じことを考えていた。

 闇の魔術と、光の魔術の相性は決して悪くない。
 この結界が単なる水で出来ていたら、最初の一投目で打ち破られていることだろう。

「良かったねー、俺がついて来てて。ね、兄さん?」
「まあ、お前じゃなくてお前の持ってるそのスプーンが、ってのは認めてやるよっ」

 軽口のようにも聞こえるな兄弟の会話だが、実情はそれほど甘くない。
 脱水症状に近いな……と、霞み始めた視界に目を凝らしながら、アレクは敵を見据え続ける。
 スプーンの発する魔術の反動を、全身に受け止め続けているリーズにも、限界が近づいているようだ。
 そんな風に、クールに分析できてしまう自分の“師匠目線”が、冷静にこの攻防の結末を計算し始める。

 決め手になるのは、やはりリーズの体だろう。
 スプーンを握りしめるリーズの手の皮は、光と共に発生する熱のせいで、酷い火傷状態となり赤く膨れている。
 きっと体の内部にも熱が溜まって、高熱でぶっ倒れる寸前に違いない。
 リーズの体を冷やしてやりたいのはやまやまだが、今のアレクには結界の補強以外に回せる魔力は無い。

 予想よりも早く、自分たちの体力が消耗していくのは、敵の攻撃のせいだけではない。
 結界は、内側からも突き崩されようとしていた。

「しかしやっかいだな……人間の心ってやつはっ」
「しょーがないよ、兄さん。こんな状況だしね」

 カリムの指示に素直に従い、目を伏せていた人々……背後で何が起きているかを見ないようにしていた彼らに、変化が起こった。
 人間は、好奇心というやっかいな感情を持ち合わせている。
 彼らの中にも、その感情を持つ者がけっこうな数存在したらしい。
 ときおり聞こえる、見知らぬ客人たちの苦しげな呼吸やうめき声に、背後で何が起こっているのか確認したくなる……その気持ちを責めることはできない。

 その結果、状況は転がり落ちるように悪くなっていった。
 彼らが見てしまったのは、もはや『人ではない』人物。
 しかも、やせ細り目だけを光らせたその顔に見える面影は、まさに彼らの見上げた階段正面に飾られている、偉大な人物と同じものなのだ。

  * * *

 敵の正体に気付いてしまった人間が、恐怖の悲鳴を上げようと喉をひくつかせる、その刹那。
 一人の人物が、影のように素早く動いた。
 そして、どさりという重い荷物を床に置くような音が響く。

「カリムも、意外と役に立つな」
「ほんとだねー、兄さん」

 人とは、なんと無垢で愚かな生き物なのだろう。
 自分も含めて……と自嘲しつつ、カリムは風のように身軽に、人々の合間を縫い空を飛び、暗躍していた。
 自分の指示を守れない人間は、一発殴りつけて、強制的に大人しくさせていく。
 まるで、もぐら叩きゲームのように。
 カリムの活躍の結果、今や立っているより寝転がっている人数の方が多くなりかけている。

 怯えさせた末に殴って意識を失わせるくらいなら、最初から電撃で全員気絶させときゃ良かったのに……。
 と、流石にその台詞は言わずに留めたアレクの耳に、リーズの掠れ声が届いた。
 真横に居て口の形を確認しなければ、聞き取れないほどの。

「兄さん、あのね……」
「どーした、リーズ」
「もしボクが倒れたら、この子たち使ってくれる……?」
「なんだよ、甘えたことぬかしやがって。寝ションベンタレに戻ったか?」

 自分のことを“ボク”と呼ぶ懐かしい響きに、アレクはまた笑顔を作ろうとして、断念した。
 もう、体の筋肉一つ無駄に動かす余裕は無い。
 熱に浮かされ、弱々しい声で語るその姿が、同年代のガキどもの中でも人一倍優しくて弱かった、幼いリーズの姿を彷彿とさせる。
 今はそんなことを思い出している場合ではないのに。

「寝ションベンって……あれはボクじゃないって、何回言ったと思ってるんだよー」
「しゃべるなって」
「本当に、気が付いたら布団が、すり替えられて……」
「しゃべるなってっ」
「あれ実は、兄さんがやったんじゃないのかなぁ……」

 馬鹿馬鹿しい話をする間にも、時間は刻々と過ぎていく。
 ついに左腕と右足を完全に失った国王が、投げつけた破片を取り戻そうと、巨大な虫のように地面を這い寄ってきた。
 結界にぶつかり床に転がったパーツが、国王の手に触れられた瞬間、赤黒い液体を垂れ流すのを止める。
 赤い瞳の命により冥界から呼び戻され、再び暗い生命を宿す。

「……もう一回、アレをやられたら、マズイな」

 国王本体の脳がすでに動きを止めたのか、赤い瞳の知能は低く、攻撃パターンは単純だ。
 先程と同じ攻撃が来ると分かっていても、それを忍耐と共に受け止める以外に、対抗する方法が見当たらなかった。
 
  * * *

 拾い上げた肉体のパーツを、ジグゾーパズルのようにあれこれといじくり、ようやく上手に組み合わさったところで……国王は、壁の向こうに居る人間たちを嘲笑するように唇を歪めた。
 普通の人間なら、意識を失うくらい邪悪な笑みを。

 敵の挑発に息を呑んだのは、アレクとカリムのみ。
 リーズの目にはもう、赤と黒の瞳を持った老人は映っていなかった。
 ただ分かるのは、すぐ後ろにはリコがまだ孤独な戦いを続けていて、横には自分を全力で支えてくれる兄が居て、後ろには年下のクセに妙に老けこんだ頼もしい友人が居て。

「サー坊……」

 目を閉じれば、彼女の姿も思い浮かぶだろうけれど、それにはまだ早い。
 自分はもう少し、頑張れるはずだから。
 そうでなければ、残していく皆に「ヘタレ」と言われ続けてしまう。

『リーズっ……』
『リーズ、頑張ってっ!』

 リーズは、一瞬だけ目を閉じた。
 発熱して真っ赤になった頬に、熱い雫が流れていくのが分かる。
 この雫が床に落ちたら、言おう。
 最後に泣き顔なんて、恥ずかしいけれど、それも自分らしいかな……?

 ポタリ。
 薄汚れて砂交じりの床に、リーズの涙が落ちた。

「我は、命じる……」
『イヤっ!』
『やだよぉっ!』

 スプーンズの声も、自分の発する声も、強い耳鳴りの向こうに遠く聞こえる。
 リーズは、口を開いた。

「俺の、命を贄としてっ……ケホッ!」

 乾き切った喉が、リーズの言葉を遮った。
 そのとき、敵の投げた腕らしきものが、リーズの目の前に迫ってきた。

『リーズ!』
『支えてっ!』

 赤い液体を四方へと撒き散らし、ゆるく回転しながら、鋭い骨の部分が光のドームに突き刺さる。
 一瞬、光の膜は消えた。
 左肘から先の無いその老人は、赤い瞳を輝かせると、手っ取り早く掴める左肩までをぼきぼきと折り始める。
 次の瞬間には、それが彼らの目の前に迫ってきていた。

『アレに触っちゃだめっ!』
『早く結界を!』

 リーズは、強いめまいに襲われながらも、必死で両腕を前へ伸ばした。
 アレクが、全力でサポートするも、力の差は歴然。
 はね返すには薄く脆過ぎる光の膜を、どす黒い肉塊が突き抜けようと牙を剥く。

 ほとばしる血液が彼らに降り注げば、ここは地獄に変わるだろう。
 広がる不安と恐怖が、この空間を包む闇の色を濃くする。
 あとは、人間が勝手に内側から崩れ落ちるのみ。

「くっ……」
『ダメ、穴が!』
『もっと強く!』

 ポツンと穴が開いてしまった結界の中に、暗く深い霧のような靄が、渦を描きながら入り込もうとする。
 あれを吸いこんだら、自分は……ここに居る全員の命は尽きる。
 そんな予感が、心臓を激しく打ち鳴らす。
 持てる全ての力を、腕から先に回す。
 結果、自分の体を襲う圧倒的な重力に耐えきれず、膝の力が抜けた。

『リーズっ!』
『リーズ頑張って!』

 心の中に直接語りかける、スプーンの声……それ以外の音は、全て雑音にしか聞こえない。
 リーズの代わりに結界を支えるアレクは、動くことができない。
 助けようと駆け寄るカリムの腕も間に合わず、やせっぽちなリーズの体が床へ崩れ落ちかけたそのとき。

 ぽん、と誰かが肩を叩いた。
 触れられた場所から全身へと、清流のような心地良い冷気が流れ……発火しそうなほど熱く火照った体が楽になる。

「リーズ?」

 ふんわりと、軽く語尾が上がる声が聞こえた。


【後書き】↓次号予告&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたい方のみ反転を。
(携帯の方は「テキストコピー」でたぶん読めます)
 なかなか話が進みません……理由は、国王様が気持ち悪いせいです。グロいの本当に苦手……と思いつつ、せっせと書きなおしてしまいました。注意書きが要らないくらい、グロ描写をガツガツと削ってみたものの、成功しているかはビミョーです。緊迫感は確実に減ってしまいました。でもこの話ではこれくらいがちょうどいいかなーという気も。今回頑張ってもらったのは、リーズ君です。といっても、あまりカッコイイ感じではなく……。スプーンちゃんのパワーを支えるために頑張るという地味さ。イメージは、大昔のファミコンアダプタです。小一時間も使うと発火するんじゃないかってくらいアツアツになるので、ドラクエがなかなか進みませんでした。という余談はさておき、最後に……そのネタは次回へ持ち越し。
 次回は、ようやくサラちゃん到着です。この話で一番盛り上がる(といいなー)と思っている回……といっても主人公はほとんど活躍しませんが。


※小説を読もうさん、未だリニューアル完了せず……。今日の更新はブログ版のみです。

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