社員教育をしていく際には、技術的な「やり方」教育と、考え方、生き方の「あり方」教育の2つを同時進行させなければなりません。

「やり方」教育はどの会社でも行います。

学校で言えば、「勉強」を教えない学校はないのと同じです。

仕事においての「技術」を身につけてくれれば、会社にとって戦力になります。

学校において「勉強」ができれば、試験でいい点数がとれます。


一方の「あり方」教育というのは、技術や勉強のように明確な1つの答えがあるものばかりではない場合が多いです。

1つの出来事に対して、見方、考え方によっては正解にも不正解にもなる様なことを、伝えていかなければなりません。


例えば、学校において,校則で決められている場合に「なぜ髪は染めてはいけないのか?」と生徒に聞かれたら、先生や親は自分なりに考える答えを用意して生徒や子供に伝えていかなければいけませんが、勉強のようにすべての生徒が納得するわけではありません。



職場においても、例えば、電車の遅延証明書を持ってきた社員に、毎回、遅延証明書を持って来れば遅刻が正当化せれるのか、それとも電車は、多少遅れることを前提で運行しているもので、10分や15分遅延しても遅刻にならないような想定をして家を出るのが社会人なのではないかということを伝えていかなければなりません。



学生時代の遅刻は、自分が遅れて自分が授業に参加できないのだから、自分の問題になります。

しかし、社会人において、遅刻するということは、お客様や同僚に迷惑をかけるということになるのです。

自分がした失敗で、自分が損をするのであればある程度は「次からは気を付けてください」で済みますが、周りの人に迷惑をかけているのであれば、学生時代以上に重く受け止めてもらわなければなりません。


学校におけるやり方教育は、道徳教育のようなもので、「いくら勉強やスポーツができても、人間として価値がなければ社会では通用しないですよ!!」ということですが、多くの場合、社会に出てから痛い目にあって、改めて「あり方」を学んでいかざるおえないように感じます。


一方、社会に出て、あり方教育のみをしていると、経験年数が増えるにつれて、「自分はできる(方だ)!!」という勘違い人間を量産してしまうことになってくるのだと思います。

仕事の技術は経験年数で比例してきますが、「やり方」教育は年齢とは関係ないような気がします。



答えのあるやり方は割と簡単に教えることができますが、答えが一つではないあり方は、本人が気づかなければ永遠に気づけないと思います。


勉強や仕事ができないことは自分も自覚できますが、みんな自分の「あり方」は普通だと思っているので、自分の「あり方」に問題があることを自覚できる人はほとんどいないと思います。


当クリニックでは、あり方教育に力を入れているので、賞与の際にスタッフ同士でお互いのあり方を点数化して、あり方を見える化しています。

当クリニックの社員レベルが高いと言われるのは、このあり方教育の仕組化にあると思っています。


「やり方」教育というのは、考え方や生き方を同じ方向に向けていくということで、一朝一夕には身につきませんし、教える方も日々、自分の生き方、考え方を正していかなければならないのです。


大人のあり方教育はとても難しいですが、難しいからこそ、やりがいも感じますし、そこに力を入れていくことで他の医院との大きな違いを打ち出せるのだと思っています。