成長=挑戦

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あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

 

 当クリニックでは、「成長したい!」と全ての社員が頑張っています。

でも、「成長ってなんだろうか?」と何度も考えてしまいます。

成長の定義には色々あるとは思いますが、「成長=挑戦」という方程式が一般的なような気がします。

 

仮に成長が挑戦と関係しているとすれば、「挑戦する」ことはなぜ難しいのかと考えてしまいした。

理由に1つに、挑戦するということは、今までの自分がしたことのないことにトライするということなので、やったことのないことをする場合には、その後、何が起こり、どういう方向に流れていくのかが予測できないから恐怖心が湧いてきます。

 

人は想定内のことは受け入れられます。

しかし、想定外のことが目の前に起こると、心が動揺し、正常な判断ができなくなることがしばしばあります。

挑戦とは、想定外のことが起こる可能性が高くなることを行っていくことのように思います。

 

分かりやすい例が子供でしょう。

人生経験の少ない子供にとって、多くのことが挑戦で、想定できないことだらけだと思います。

それでも子供は、恐怖心よりも好奇心が勝って新しいことに挑戦していきます。

 

一方、大人は、それまでの人生経験から、できるだけ想定内のことで物事を完結していこうとしますが、好むと好まざるにかかわらず、想定外の出来事が起こってきます。

そういう意味では、全ての人が、日々成長しているように思います。

 

全ての人が、長く生きていくことで、少しずつ想定内の範囲が広がってきていることは間違いないでしょう。

子供に比べて、どの大人もいろんな人生経験を重ねてきていることは間違いないけど、大人の中でも成長しているのを実感できる人と、成長していることが実感できない人の違いはどこにあるのだろうかと考えた時に、想定外のことが起こった時に、それを前向きに受けとめるか、後ろ向きに受け止めるかの違いのような気がします。

想定外のことが目の前に起きた時に、「自分の想定内を広げるチャンスだ」と考えるか、「嫌だなぁ~、なんでこんなことが起きるんだ」と考えるかで、成長のスピードが違ってくるのではないでしょうか?

 

自分が望むと望まざるとに関係なく、日々、想定外のことが起きてきます。

どっちみち、その出来事を受け入れないといけないのであれば、前向きに考えた方がストレスも減るし、得られるものも多くなります。

 

出来事は変えられないが、その出来事の受け止め方は自分で選べます。

想定外のことが起きた時に、それまでの先入観から無意識で「嫌だなぁ~」と感じることは仕方ないと思います。

問題なのは「嫌だなぁ~」と思い続けて、いつまでも気持ちが逃げ続けることだと思います。

無意識で「嫌だなぁ~」と思っても、どうせ、この出来事と向き合うしかないのなら、前向きに、次に同じことが起こった時に、想定内の出来事になって、どんと構えて受け止められる人間になりたいと思いなおせばいいのだと思います。

 

私は、死ぬまで「成長」し続けたいと思っています。

そのことを上記の定義で置き換えると、死ぬまで「挑戦」し続け、死ぬまで「想定内」の範囲を広げ続ける生き方をしていくことを今年の抱負としていきたいです。

 

 

 

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悩んだ時の考え方

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何かに悩んでいる時に、自分の考え方を変えようと試むことがあります。

そのうちのいくつかを書いてみようと思います。

 

その1

悩んでいる時は、自分が世の中で一番辛いと感じたり、辛いのは自分だけだというような考え方になりがちです。

そんな時に、辛くても、悲しくても、恥ずかしくても、どんな状況になろうとも、今の自分は最悪の状況じゃない、北朝鮮に拉致されて頑張られている人や食べ物のない国で死しそうな人に比べたり、理不尽に家族を殺された人の苦しみに比べたら、自分の悩みは大したことない、と考える努力をすることが少しでも心を楽にしてくれるのではないでしょうか。

最近の私は、「安倍総理のプレッシャーに比べたら自分のプレッシャーなどは微々たるものだ」と考えるようにしています。(笑)

そんなことは、一瞬の気休めにしかならないかもしれないですが、悩みを解決するためには時間という要素が不可欠であり、前向きな時間をすごすためには、自分だけが不幸の主人公だと考えないようにするためには、有効な手段の1つだと思います。

人は何と比較するかで、幸せを感じたり不幸を感じたりするものなので、ちょっとのことで不幸に感じてしまうのは、比べる対象のレベルが高すぎることが多いような気がします。

 

その2

昔のことを後悔したり、もう決まったことを悩んでも仕方ありません。過ぎたことを後悔しても何も得られません。

もし左遷されたら、「今日からこの会社に入ったんだ。がんばろう。」と思えば前向きになれることでしょう。

好きな人に振られたとしても、「神様はこの人は自分にふさわしくないと判断したんだ。もっといい人がいるってことだ」と考えるしかないのです。

終わったことを、考えて落ち込むよりは、それによって得たものを、感謝していけば人生は自然と開けてくるのです。

いつでも10万円を稼ぎ出せると思う人は、たとえ災難で10万円を失っても、気分を切り替えることが早くできるものです。

苦労も同じで、いろんな災難、困難を経験してきた人は、次に少々の苦労がきても、どうにかなる、やり直せるという信念が心にあり、その信念がその人に力を与え、心を早く立ち直らせてくれるのではないでしょうか。

 

その3

壁にぶち当たった時の考え方には、「もう駄目だ」「まあ、どうにかなるか」「なにくそ、負けてたまるか」の3通りでしょう。

不幸に思えることに出会っても「これもいい経験になる、チャンスだ」「まあ、仕方ないか」「何で俺だけこんな目にあうんだろう、ついてないな」の3通りでしょう。

結局、神様は同じ試練を与えても、それをどう受け止めるかで、その人の人生は、少しづつ違ってくるものです。

もともと同じように生まれ、同じ環境で育ったとしても、考え方の違いで、長い時間の先には、天と地の差がその人についてしまうのです。

神様は、決して分け隔てなく、あなたにとって意味のある人をあなたの周りに送り込み、意味のある出来事をあなたに与えているのだと信じれることが大切です。

あとは、貴方が、その事実をどう受け止めて、考え成長していくかの違いなのではないでしょうか。

不平不満を言いそうになったら、目の前の出来事の「意味と価値」を捜し出す工夫をした方が未来は開けてくると思います。

 

 

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芸能人などの週刊誌ネタのどれぐらいが真実なのだろう??と感じることがあります。

週刊誌の見出しを見るたびに、「自分は一般人でよかった!」「有名人は大変だなぁ~」と他人事のような気がしていますが、今はSNSで一般人でも風評被害の標的になる可能性はあるのだと思うと、ある意味、精神的に強くなければ生きにくい時代なのだと思います。

 

特に子供たちが、ラインなどのいじめで自殺したりするのを聞くと、とても心が痛みます。精神的に弱い時期の子供たちに「SNSで攻撃されても気にするな!」とアドバイスしても無理なのではないかと思います。

ある意味、勉強するよりも精神的に強く生き抜くことを教えていくことの方が優先順位的に大事なのではないかと感じます。

大人も子供も、物質的に恵まれた時代だからこそ、精神的な強さが求められるのではないでしょうか!?

 

芸能人や政治家を見ていて、人から誤解されたり、悪い評判をたてられた時にむきになって、自分を正当化する言い訳をしてはならないと感じます。

たいていの場合、言い訳をすればするほど、結局、自分が窮地に追いやられてしまうものなのです。

他人は、言い訳をする人間には、言葉尻を取って、文句を言いたくなるものなのです。

逆に、黙って耐えている人間には、何の反応もないので、面白くないから、そのうち何も言わなくなってくるのです。

そういう状況においては、「煮るなり、焼くなり、好きにしろ」という開き直った気持ちが大切なのだと感じます。

 

「他人がどう思おうと、神様は真実を知っている」と現実を受け入れる生き方をしていきたいものです。

状況が、かんばしくない時は、流れが変わるのをひたすら待つしかないのです。

時間がたって、こちらの状況がよくなれば、その時に仕返しをするなり、反撃をすればいいのです。(その時には仕返しをするのがばかばかしくなっているのが普通ですが……)

事実と違う悔しさをばねにして、大きく飛躍することが、最大の仕返しになるのです。

 

監督との確執があったイチローや野茂のように、周りになんと非難されようとも、その批評を黙って耐えられる器の人間だけが、大きく成功することができるような気がします。

 

渦中の時は、悔しくて眠れない時もあるでしょうが、その場はじっと耐えて、後に非難した人間が擦り寄ってきた時に、違う次元で許してあげるぐらい成長していることが最大の仕返しでしょう。

 

「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない」強さと優しさは、セットで初めて価値が出てくるような気がします。

 

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 プロ野球の日本シリーズが、日本ハムの42敗で終わりました。

私は、生まれも育ちも広島で、子供の頃からのカープファンだったので、今回の結果はショックですが、受け入れるしかありません。

 

自分の中で、落ち込んだ時には、「今回の出来事から何を学べるか?」ということを整理しながら自分の心を整理するようにしています。

私は監督ではないので、あくまで自分がカープの一員だったら今回の結果から何を学ぼうとするかということを自分なりに考えてしまいました。

 

初めの広島での2戦で、絶対的なエースの大谷投手を打ち込み、2戦とも大勝しました。これで、「今年のカープは強い!」「楽勝だ!」というムードが出てきたように感じます。

4つ勝てばいいルールで、「あと2つ勝つのは簡単だ。1つや2つぐらいは負けても大したことない。」という心のスキができたのではないでしょうか。

それほど、初めの2戦は素晴らしい結果でした。

 

そんな時、第3~5戦とも接戦でした。

日本ハムは2敗していて後がない、という危機感を持っての試合でした。

一方、カープは、2戦とも大勝していたので、日本ハムほどの危機感を持っていなかったのではないでしょうか。

もしもカープが日本ハムと同じような危機感を持って戦っていたら、ちょっとしたことがチャンスになったり、小さなミスも防げたような気がします。

1,2戦はカープが大勝して、3~5戦は接戦で負けてしまいました。

大敗で負けた場合の方が気持ちが切り換えやすいですが、接戦で負けが続くと完全に勝利の女神の流れは相手に傾いていきます。

いったん変わってしまった流れを再び引き込むことは簡単ではありません。

経営においても、「うまくいっている時ほど足元をすくわれないように気を引き締めることが大切だ」と言われています。

ピンチの時は誰もが慎重になってきます。雨の日や雪の日には足元に気を付けて歩きますが、晴れている時には足元を気にもしないで歩くために、足元をすくわれる可能性が高まるのだと思います。

 

今回の結果から、例え今現在がうまくいっているように見えても、いったん流れが変わってしまったら、取り返しがつかないことになってしまうことを忘れないようにしようと思いました。

私の51年の人生を振り返っても「99里をもって半ばとせよ」ということを実感したことは多々あったので、「うまくいっている時は、お陰様。うまくいかない時は自己責任」という謙虚な気持ちを持ち続けたいと思いました。

 

もう1つは、中継ぎピッチャーのジャクソンの使用方法も考えさせられました。

シーズン中にはジャクソンのおかげでたくさんの試合を勝てたと思います。

しかし、短期決戦の日本シリーズで第3戦、第4戦と負け投手になってる時に、「お前のことはこれまで通り信用している!」というスタンスで使用することが、ジャクソンのため、チームのためになったのだろうか?と考えると結果論で話をしてはいけないということを抜きにしても考えさせられてしまいました。

今回、ジャクソンが結果を出していれば、ハッピーエンドで終わったのでしょうが、4敗の中で、彼が3つの負け試合に関係しているとなると、彼は大きな責任を感じて、完全に自信を無くしてしまうような気がします。

監督から信用してもらえることはうれしいことですが、結果を出さなければ、チームメートやファンからどう思われてしまうか?ということを考えると、自分がジャクソンだったら、今回のような使用方法は意気に感じるだろうか、それとも荷が重いだろうか、ということを考えてしました。

今回の結果で、広島カープファンの怒りの対象が、ジャクソンに向けられることは、絶対に避けてほしいと思います。

彼のおかげでペナントレースを勝てたことは間違いのないことだと思うので、日本シリーズだけを見て彼を全否定して欲しくないと思いました。

自分はクリニックのトップとして、監督のような立場にあるので、緒方監督の選手に対する信頼や思いも分かるような気がしますが、結果で物事が判断されてしまう世界ではとても難しい問題だと思いました。

「自分が相手の立場だったら……」ということは、常に意識しながらマネージメントをしているつもりですが、改めて相手の気持ちに立って物事を考えることの難しさに気が付きました。

 

『物事には「成功と失敗」があるのではなく、「成功と成長」しかない』という言葉を信じて、今回の結果が、来年以降の成長につながってほしいと心から思います。

長い目で見れば、「今回の敗戦があってよかった!!」と思える未来を切り開いてほしいと望んでいます。

 

 

 

 

過去を振り返るまい

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色々やることが多くて しばらく更新していなくて申し訳ありませんでした。

忙しくしている自分のことが嫌いではありませんが、自分にしかできないことをもっと見極めながら生きていきたいと思います。

人間の価値とは、時間帯効果として、自分の人生の時間を誰のために使ったかで決められる、と教わったことがありますが、自分は残された時間を何に使っていくべきなのかを真剣に考えていかないといけない時期に来ていると思っています。

 

さて、「年寄りは集まると必ず昔話をする」と揶揄されます。

それは、一般的に揶揄される年寄りは、今から何かをしようとせずに、今までの記憶の中でだけ生きているからだと思います。

 

未来に希望のない人は、生きていくのが辛くなります。

若手の芸能人が、4畳半で風呂なしでも生き生きとしているのは、売れたらあれもしたい、これもしたいという夢があるからです。

 

若いのに過去の苦労話や自慢話ばかりする人は、年齢に関係なく気持ちは老いてきていると思います。

たとえ若い人でも、好奇心や冒険心が無くなれば、その人はもう立派な年寄りなのです。(決してお年寄りが悪いわけではありません。念のため……)

逆に、何歳になっても、夢を追いかけている人はここでいう年寄りとは違います。

 

生きる喜びとは、目標を持って、その目標に向かって邁進していることなのだと思います。

毎日、美味しいものだけ与えられえても、その人は幸せにはなれません。

美味しいものも初めのうちは幸せを感じさせてくれますが、それはあっという間に日常の当たり前になってくるのです。

 

試験に合格した瞬間、出世した瞬間、子供が生まれた瞬間、欲しかった服や車を手に入れた瞬間等等。

大事なことは、目に見える物を手に入れることではなく、目標や夢を持ってそれに向かって苦しみながらも頑張っていくことなのです。

 

夢はかなった時だけが幸せなのではなく、夢を追って七転八倒、試行錯誤している時が本当の至福の時なのかもしれません。

そのためには、いつまでも過去の思い出に浸らないで未来を見つめていくことが大切なのだと思います。

 

順調と逆境

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 誰でも物事は順調に進んで欲しいものですが、一生を通じて順調に進む事は無理でしょう。



案外、順調な時ほど落とし穴も多く、いい気になっていると、取り返しのつかないことをしてしまうこともあるものなのです。

それは、好調時には、リスクに対するセンサーが、鈍くなっているので、徐々に危険が忍び寄ってきても、気付かないで、いきなり大きなリスクに遭遇してしまうものなのです。

よく言われる「ゆでガエル状態」で気づいたときには、すでに死にかかっているという感じです。

気持ちに緊張感がなくなってきていて、まあいいか、うまくいっているのだからいいやという、小さなことに対する注意が不十分になってくるのです。



それが逆境時には、自分がこれ以上落ちたくないという気持ちなので、必死になって考え、行動し、現状から抜け出そうと、背水の陣で頑張るものです。

テストでも、仕事でも、もう後がない、もう日程的に余裕がないというお尻に火がつかないと、私のような凡人はなかなか頑張れるものではないのです。

逆境は、ある意味大きな飛躍への充電期間なのです。

後に、順調になった時の伸び率というのは、逆境時にどれだけ頑張ったかに比例している気がします。



そうは言っても、逆境の時間があまりにも長すぎると、気分も体力も持ちこたえられなくなり、投げやりになってしまいますが、耐えられる範囲の逆境は充電期間としては、とても大切なものなのです。


「ピンチはチャンス」とよく言われますが、本来、やはり「ピンチはピンチ」です(笑)

しかし、「ピンチをピンチ」と考えていたのでは、不平不満に満ち溢れた人生になってしまいます。

幸せになりたいのであれば、「ピンチはチャンス」と考えれる思考回路を作っていくしかないのだと思います。


そうはいっても、誰しも、いきなり変わることはできません。


目の前の小さなことを、無理して、背伸びして、やせ我慢で「プラスの面」に目を向けていくことを繰り返していくうちに、いつの間にか少しづつ性格も変化してくるのだと思います。


プラス思考は性格ではありません。

考え方の積み重ねの習慣だと思います。


すべての始まりは、自分がどうなりたいかを決めることから始まるような気がしています。

プラス思考になりたければ、プラスの面を見る習慣を少しづつでも身に着けるしかないですし、特にプラス思考になりたいわけでなければ、感情に任せて生きていけばいいのだと思います。


思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

-   マザー・テレサ


 

ブログの意味

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私のクリニックでは私だけでなくスタッフにもブログを書くことを義務付けています。

それはスタッフの成長のために役立つことだと確信しているから、スタッフには迷惑がられてもトップダウンで決めさせていただきました。



私が本を書いたりブログを書いたりして気づいたことは、人は書きながら頭の中が整理されてくるということです。

書き始めるまでは点であった知識が、書き始めることで線になっていくのです。


もちろんうまく書ける場合ばかりではありませんが、うまく書けない時には、なぜうまく書けないのだろうと考えるから成長するのです。

うまく書くということは、かっこいい文章を書くこととは全然違います。


いい文章とは自分の言い得たいことが相手に伝わる文章です。

小学生レベルの言葉で十分なのです。


「頭ではもっと色々考えているのに、文章や言葉にするとうまく伝えられない」ということを言う人が多いですが、伝えられないことは存在していない事と同じだと信じることから始まるのです。


学生時代みたいに、頭の中にあることが評価の対象にはなりません。

社会に出てからは、伝えられることが評価の対象なのです。

相手に伝える為に、書いたり、話したり、行動したり、色んな方法で思いを伝える訓練をしていかなければいけないのです。


その第一歩としては、書くことが一番いいのです。

話したり行動するには相手が発生するので、成長途中では自分のメッセージが他人に受け入れられないことが発生してくると、それが挫折の原因にもなってくるのです。


その点、書くことは、書き始めたときには頭が整理できていなくても、何度も修正できますし、日に日に書く内容が説得力のあるものになっていくものなのです。


「習うより慣れろ」ということわざがありますが、発信し続けていくうちに、伝える技術が向上してくるのです。


自分の思いを伝えることは、想像以上に難しいことです。


「人間関係は誤解を生じて当たり前」というぐらいの考え方でスタートすることで、伝える技術を磨くことに本気になれるのです。

普段、その人がどんなことに意識を集中して、何を考えているかということで、人間の価値は、決まるのではないかと思っています。


更に一歩進めると、どんなことを考え、その考えを相手に伝わるように整理でき、何らかの言動で形にしていくことが大切だと思っています。


ブログというのは、原石である自分の考えを、少しずつダイヤモンドにしていくことを手助けしてくれる手段だと考えています。

優先順位と捨てる勇気

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物事には何でも優先順位があります。

その優先順位の付け方で仕事の能率が変わってきます。

もっと言えば人生が変わってくるのです。



人間誰しも、自分なりに一生懸命生きています。

しかし、何に一生懸命がんばっているかで、出てくる結果に大きな違いが生じるのです。

英語をいくらがんばっても、数学や理科の点数は上がりません。

当たり前と言えば当たり前ですが、社会においては学校の科目のように、努力の内容において、明確な分類がされているわけではありません。

従って、日々何かを選び、何から手を付けていくかの判断で大きな違いが出てきます。

どうせ全部の仕事をするのだから、優先順位とか仕事の順番なんかどうでもいいと思っている人もいるかも知れませんが、必ずしも全部できるとは限らない、というスタンスで1つ1つのことを取り組むべきなのです。



お弁当は全て食べられると思うから、一番好きなものを最後にとっておく人もいますが、仕事のできる人は、一番好きなものから食べていくのです。(笑)

途中でおなか一杯になることもありますし、何か急用ができてしまうこともあるのです。


仕事においても、その時の状況を考えて一番やらないといけないことから手を付けていくべきなのです。

そしてできないこと、優先順位の低いものを切り捨てる勇気も時には必要になってくるのです。

1日は24時間で、自分でできることにはどうしても限界があります。

その時に、何が重要で何が重要でないかを考える習慣が物事の優先順位を付けさせてくれ、何かを捨てる勇気を与えてくれるのです。



以前「断捨離」という言葉がはやりましたが、何かを得るためには何かを諦めなくてはならないものです。



自分はどうなりたいのか?何を得ようとしているのかで、捨てるべきものが決まってくるように思います。

オリンピックを目指している人は、多くのものを捨てています。

捨てることが目的ではありません。

「何かを得たい!!」「こうなりたい!!」という強い気持ちがあるから捨てる事にも迷いがなくなってくるのだと思います。

自分はどんな人生を歩みたいと思っているのかを自問自答して、それに見合ったものを意識して捨てていきたいと思います。

人間はズルい生き物

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「企業は人が全て」と言われていますが、当クリニックでも人材教育には最大の投資をしています。

投資というのはお金だけでなく時間もエネルギー、情熱も含めてかなりの時間をつぎ込んでいます。



仕事とは、「誰かの役に立って、相手に喜んでもらう行為」である以上、その行為には「心や思い」が伴わなければ、仕事の役目をなしません。

作業のやり方を教えていくことは簡単ですが、「思いや情熱」を伝えていくことは簡単ではありません。


当クリニックの人材のレベルは、歯科医院の中ではかなり高い方だと思っています。

当クリニックの最大の売りが「人材レベル」にあるとさえ思っています。

しかし、今の人材も放っておけば、ただの人か平均以下のレベルの人に戻ってしまうと思っています。



人を採用する時に「いい人材」を採用したいと思っていますが、「いい人材」というのはあくまで素材であって、いい人を採用すればあとは勝手に「いい人材」になっていくわけではありません。


面接で「いい素材」だと思って採用しても、そこから手塩にかけて育てて本当の「いい人材」に育つまでに何年もの月日がかかります。

そうして「いい人材」に育っても、そこで安心して野放しにしてしまう

と、あっという間に「ただの人」「ズルい人」に戻ってしまいます。

人の成長にゴールはないし、気が抜けることもないような気がします。



これは自分自身の成長も同じです。

「もうこのぐらいでいいのではないか」と、気を緩めて安心した瞬間に、自分勝手な自己中心的な人間に戻ってしまします。



人というものは基本的に無意識で生きていれば「自分勝手」で「ズル」くて「楽をしたい生き物」だけど、無意識ではなく、意識して「挑戦」したり、「感謝」したり、自分の理想や夢と向かい合うことによって、ズルい自分をコントロールしていくことができるのだと思います。





 

 

 

 

 

社員教育をしていく際には、技術的な「やり方」教育と、考え方、生き方の「あり方」教育の2つを同時進行させなければなりません。

「やり方」教育はどの会社でも行います。

学校で言えば、「勉強」を教えない学校はないのと同じです。

仕事においての「技術」を身につけてくれれば、会社にとって戦力になります。

学校において「勉強」ができれば、試験でいい点数がとれます。


一方の「あり方」教育というのは、技術や勉強のように明確な1つの答えがあるものばかりではない場合が多いです。

1つの出来事に対して、見方、考え方によっては正解にも不正解にもなる様なことを、伝えていかなければなりません。


例えば、学校において,校則で決められている場合に「なぜ髪は染めてはいけないのか?」と生徒に聞かれたら、先生や親は自分なりに考える答えを用意して生徒や子供に伝えていかなければいけませんが、勉強のようにすべての生徒が納得するわけではありません。



職場においても、例えば、電車の遅延証明書を持ってきた社員に、毎回、遅延証明書を持って来れば遅刻が正当化せれるのか、それとも電車は、多少遅れることを前提で運行しているもので、10分や15分遅延しても遅刻にならないような想定をして家を出るのが社会人なのではないかということを伝えていかなければなりません。



学生時代の遅刻は、自分が遅れて自分が授業に参加できないのだから、自分の問題になります。

しかし、社会人において、遅刻するということは、お客様や同僚に迷惑をかけるということになるのです。

自分がした失敗で、自分が損をするのであればある程度は「次からは気を付けてください」で済みますが、周りの人に迷惑をかけているのであれば、学生時代以上に重く受け止めてもらわなければなりません。


学校におけるやり方教育は、道徳教育のようなもので、「いくら勉強やスポーツができても、人間として価値がなければ社会では通用しないですよ!!」ということですが、多くの場合、社会に出てから痛い目にあって、改めて「あり方」を学んでいかざるおえないように感じます。


一方、社会に出て、あり方教育のみをしていると、経験年数が増えるにつれて、「自分はできる(方だ)!!」という勘違い人間を量産してしまうことになってくるのだと思います。

仕事の技術は経験年数で比例してきますが、「やり方」教育は年齢とは関係ないような気がします。



答えのあるやり方は割と簡単に教えることができますが、答えが一つではないあり方は、本人が気づかなければ永遠に気づけないと思います。


勉強や仕事ができないことは自分も自覚できますが、みんな自分の「あり方」は普通だと思っているので、自分の「あり方」に問題があることを自覚できる人はほとんどいないと思います。


当クリニックでは、あり方教育に力を入れているので、賞与の際にスタッフ同士でお互いのあり方を点数化して、あり方を見える化しています。

当クリニックの社員レベルが高いと言われるのは、このあり方教育の仕組化にあると思っています。


「やり方」教育というのは、考え方や生き方を同じ方向に向けていくということで、一朝一夕には身につきませんし、教える方も日々、自分の生き方、考え方を正していかなければならないのです。


大人のあり方教育はとても難しいですが、難しいからこそ、やりがいも感じますし、そこに力を入れていくことで他の医院との大きな違いを打ち出せるのだと思っています。