ポジティブとネガティブ

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朝起きて「今日一日、いいことがあるのか、嫌なことがあるのか、どんなことが待っているのだろう?」と無意識に考えることがあります。



出来事を「いいことがあるのか、嫌なことがあるのか」という分類に分けると、1/2の確率でその日1日が嫌な日になってしまいます。



そもそも「いいことがあるのか、嫌なことがあるのか」というのは、「自分の望むことが起きるのか、自分の望まないことが起きるのか」という分類になってきます。



世の中は、自分の思い通りにはならないことの方が多いので、こういう分類で1日を分類していたのでは、「嫌な日」の方が多くなってきます。



そして「今日1日何かいいことが起きないかな~」という期待を持って1日を迎え、「何もいいことがなかった」という失望の気持ちで1日が終わってしまいます。



その積み重ねで、人生をマイナス思考で考えてしまうと「生きることは嫌なことばかり起こってしまう」という結論になってしまいがちなのではないでしょうか?



目の前に起こる出来事を「いいことか、嫌なことか」で分類すると、どうしても上記のような思考の流れになってきます。



それではどういう視点で目の前に起こる出来事を受けてとめていけば、人生が前向きに受け止めることができるのでしょうか?



私は、「人生は個々の魂を成長させるためにある」と信じています。



「魂の成長」という視点で目の前に起こることを捉えていくと、目の前で起こる出来事は「自分を成長させてくれる出来事と自分に自信をつけてくれる出来事」に分類できます。



最初の「いいことがあるのか、嫌なことがあるのか」という分類方法は、視点を変えれば、「いいこと」「自分の望むこと」は、「自信をつけてくれる」出来事であり、「嫌なこと」「自分の望まないこと」は「自分を成長させてくれる」出来事に分類できます。



目の前に起こっていることは「自分を成長させてくれるか」「自分に自信をつけさせてくれるか」のどちらかでしかないのであれば、「人生は自分にとっていいことしか起こっていない」ことになってきます。



物事にはいろんな視点があります。



物事はどういう視点でとらえることができるかで、「プラス思考と」「マイナス思考」に分類できるのだと思います。



ポジティブかネガティブというのは、持って生まれた性格の違いではなく、後天的な思考法の違いなのだと思います。

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人生は錯覚である

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人は目の前に起きた現象について、いろんな解釈をすることができるものです。

「人間万事塞翁が馬」という諺がありますが、目の前の出来事に一喜一憂しても次の出来事で解釈が変わることが起きうるということなので、絶対的な事実というものは存在していなくて、全ては自分の解釈次第だということなのだと思います。



例えば、宝くじが当たれば誰でもハッピーなのかもしれませんが、宝くじであぶく銭を手にしたばかりに金銭感覚がマヒして、浪費癖が身について結果的に当たらない方が幸せなこともあります。

また、大学入試に失敗して、進路を変えたおかげで天職と思える仕事に巡り合うこともあります。



人間は神様ではないので、目の前の出来事が本当に「いい出来事」なのか、「悪い出来事」なのかを判断しても無意味なのだと思います。

別の表現を使えば、どんなに「いい出来事」と思えることにも、必ず足元をすくわれかねない危険な可能性も含まれていますし、逆にどんなに「悪い出来事」と思えることでさえ、大きな変化を起こすチャンスが含まれているものです。



人間である以上「いい出来事」が起きればうれしいし、「悪い出来事」が起きれば心配になるものです。

そういう素直な感情を無理に抑圧する必要はありませんし、感じ方をコントロールすることはとても難しいです。



それでは、目の前の「いい出来事」「悪い出来事」にどう向かい合うことが正解なのでしょうか?

この答えのヒントは、目の前の出来事を「偶然」ととらえるか、「必然」ととらえるかの違いにあるようは気がします。

目の前に起こっている出来事は、全ては自分の成長のために生まれる前から用意されていたストーリーなのだと思うことで、「この出来事から何を学べばいいのだろう?」と前向きに考えることができるのだと思います。


そして、自分の人生を他人の人生のように俯瞰して眺めることが、感情に流されないで冷静に判断できるコツのような気がします。

自分の悩みを軽減するために、自分の人生を他人の人生のように客観視できるためには、普段から、他人のことも自分のことのように尊重して生きていなければ、辛い出来事が起こった時だけ、嫌な出来事を他人事のようには切り替えられないものです。

他人事を自分事のように対処していくことで、自分事も少しずつ他人事のように感じることができるのだと思います。



「難しいことはシンプル」に「簡単なことは慎重に」「生きることは死ぬことである」「生まれた瞬間から死に近づいている」「他人事は自分事」「自分事も他人事」「人生は(成長のための)暇つぶし」「人生は錯覚である」etc……



人生は錯覚なのであれば、「自分はついている」「人生はうまくできている」と錯覚する方が得なのである。

あなたは、どんな錯覚や先入観を持って生きていますか?

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GW中の映画鑑賞②

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前回の続きを書かせていただきます。


☆スポットライト

新聞記者たちがカトリック教会の神父による子供への性的虐待のスキャンダルをあばいたアカデミー賞の実話。

神父という聖域へのスキャンダルは、容易に記事にできない状況で、新聞記者たちの子供達への使命感、責任感、正義感などから、いろんな障害に立ち向かっていく新聞社の社員たちの姿勢に、「仕事とは何のためにするのか?」ということを考えさせられました。

仕事は誰かの役に立つことで成り立っています。

新聞社は新聞の原稿を書くことが仕事ではありません。

原稿を書くことで誰の役に立っているかを意識しなければなりません。


歯医者も歯の治療をすることが仕事ではないと思っています。

歯の治療を通じて何を伝えていきたいかを、社員一人一人が真剣に考えていかないといけないと思います。

この映画で、社員が一丸となって不正に立ち向かっている姿を見ながら、うちの社員はこの映画の社員に比べて、どれだけの「使命感、正義感、責任感」を持って仕事に当たっているのだろうか??ということを考えてしまいました。

仕事なのか作業なのかの違いは、「何のために仕事をしているか?」ということをどれだけ意識しているかどうかの違いだと思っています。

何も意識しないでしている仕事を「作業」といい、何も意識しないでしている仕事の状況を「マンネリ化」というのだと社員には言っていますが、社員にどこまで伝わっているのかと問われると……トップが情熱を持って伝え続けなければ、社員はマンネリ化してしまうものだと反省させられました。

この新聞社の社員が「使命感、責任感、正義感」に燃えて仕事をしているのは、トップにリーダーシップがあってのことだと感じ、自分とこの映画の新聞社のトップの人との情熱の差を反省して明日から頑張ろうと感じました。

☆レヴェナント 蘇りし者

レオナルド・ディカプリオのアカデミー賞受賞作品で、先住民との争いの中、巨大なクマに襲われ瀕死の状態で仲間に息子を殺され、復讐のために生きていくストーリーだ。

人は力強く生きていくためには、何らかの「生きる理由」「頑張る理

由」が必要なものだ。

デカプリオは映画の中で復讐のために生きる決意をするが、最後には「復讐は神の力に任せよう」という気持ちになっていく。

この映画を観ていて、生きるために、人間の欲望、暴力などの本能を前面に出していかないと生きていけない時代を経て、今のように法律が整備されて、お互いが人間の欲望を抑えながら理性でコントロールしながら生きていく時代が出来上がってきたことに、感謝の気持ちが湧きました。

今の平和な時代は、こういう混乱した時代の葛藤を経て作られてきたのであるから、人間の先祖の方々の命の犠牲の上に成り立っていることを忘れてはいけないのだと思いました。

そして、私の好きな言葉に「心が体を動かす」という言葉がありますが、どんな状況でも諦めたらおしまいで、「死」でさえも諦める気持ちが多大な影響を与えていることを再認識しました。

☆ルーム

監禁された女性と、そこで生まれた息子が、7年の監禁生活から脱出して社会に適応していく葛藤を描いています。

最近、少女の監禁事件が解決したばかりでどうしてもだぶらせていてしまいました。

以前、世界仰天ニュースでアメリカの同様の事件が流されていましたが、コミュニュケーション能力が低下し、バーチャルな世界に引きこもってしまう流れの時代には、こういう事件が多発してくるのではないかと危惧してしまいます。

私は2児の父親ですが、この映画を観ていて「母親の愛は海よりも深い」ということを痛感させられた気がします。

彼女にとって、息子は生きる源泉だったのだと思います。

人間はどんな苦境に立たされても生きる希望があれば生きていけるし、逆にどんなに恵まれた環境においてさえ生きる意味がない人は、生きていることが苦しくなってくるものではないでしょうか。

「自分が彼女だったら……」何を生きる希望にできたのだろうか??と考えると、答えが思いつかないだけに息苦しくなってきます。

日本での事件の被害者の彼女も、少しずつでも社会に適応して幸せになってほしいと思いました。

GW中に7本の映画を鑑賞しましたが、これらの映画の共通のテーマは「幸せ」や「死」についてのテーマが多いことに気が付きました。

映画には、監督やスタッフの伝えたいメッセージがあるように感じます。


経営者も映画監督と同じように、仕事を通じて社員やお客様に何かを伝えていく存在なのではないかと思っています。


私は、クリニックのトップですが、経営者とは、「人を幸せにする専門家」でなければいけないと思っています。

私にとって、「お客様の幸せ」と「社員の幸せ」を叶えていくためには、まずは自分の中での「幸せの定義」を持っておかなければいけないと思っています。



私は「言葉は力だ」と思っていますが、定義が違えば行動も違ってきます。

私にとっての幸せとは、簡単に言うと「感謝と尊敬」だと思っています。

感謝している時に、嫌な気分になることはありません。

また、他人を尊敬(尊重)している時に、その人のことを嫌いになりません。

日々、いろんなことに感謝して、自分とかかわる人を尊重している時間が長くて深い人ほど幸せな人生なんだと思います。

GWも終わり、新たな気持ちで仕事に向き合うことになりますが、私にとっての仕事とは幸せになるための手段です。

仕事を通じて「感謝と尊敬」ができる人間に近づくために、困難と向き合っていきたいと思っています。

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GW中の映画鑑賞①

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私は今日からまた仕事モードに切り替えです。


GWの後半は、帰省のチケットが取れなくて、私一人、東京で留守番をすることになりました。

この休みに何をしようか考えましたが、せっかくの休みなので、自分と向かい合ってみようと思いました。

家族と過ごすときには、どうしても子供中心の生活パターンになってしまうため、テレビや映画などは縁遠くなっていたので、5月1、3~5日に映画を2本ずつ計7本見ることにしました。

以下、簡単なストーリ-と簡単な気づきを書かせていただきます。



☆追憶の森(渡辺謙主演)

希望を失った主人公が、自殺目的で富士山の青木ヶ原樹海で日本人の渡辺謙と出会い、「生と死」について考えさせられる映画でした。

主人公は浮気が原因で妻とケンカが絶えなくなり、妻の病気がきっかけで関係が改善しかけた矢先に妻が事故に巻き込まれてしまい、自分の人生を悲観しての自殺に向かうのですが……

自分の生き方を振り返って、もっと感謝の気持ちを持って生きていかなければいけないと反省させられました。

今、自分の目の前の状況は何一つ当たり前ではない事、生きるのにも死ぬのにも、人は意味を見出そうとしていること、良い夫婦関係を続けていくためには、お互いのことを尊重していかなければいけない事など「生きる」ということについて深く考えさせられました。




☆山河ノスタルジア

中国を舞台にした2人の男性と1人の女性の幼なじみ3人の人間模様を描いています。

女性は幼なじみのうち、成功してお金持ちになっている方の男性と結婚するのですが、離婚して親権は父親の方にあって、成人して父親と子供の関係がうまくいかず、母親の子供を思う気持ちなどが身につまされました。

中国において、急激な成長により、幸せとは成功することお金持ちになることだと信じた結果、そこには幸せはなかったという結末が待っていたように感じました。

若者は夢を求めて都会に出ていきますが、故郷とは何なのかということもこの作品のテーマであったように感じました。




☆グランドフィナーレ

引退した音楽家とセレブ達が、高級ホテルで織りなす人生とは何かということを考えさせられました。

仕事にすべてを捧げてきた指揮者は、仕事、仕事で家庭を振り返らず、夫として父親としての義務を果たしていなかったことを娘から非難されるが、彼は彼なりに妻を愛し、娘のことを気にかけていたのだが……

そのほかのセレブ達も、世間的には成功者と言われているが、実際には家庭においていろんなことがあり、周りから羨ましがられるほど満ち足りた人生ではないものなのだ。

仕事で評価されるためには、人並み以上の努力をしないと成功という結果は伴わないが、仕事における成功が人生においての成功ではない。

今、ワークライフバランスということが言われているが、何のために仕事をするのか、自分にとっての幸せとは何なのかを考えさせられる内容

だった。
若い時には「お金」「地位」「名誉」「愛」「健康」などいろんなことに幸せを結びつけようとするが、幸せとは自分で考えて自分で答えを出していくものなのだと思いました。


☆永遠のヨギー

スティーブンジョブズ、ビートルズのジョージハリソンなどにも影響を与えたヨガの伝道師ヨガナンダの障害をつづったドキュメント。

私の生きるテーマである「今ここ」に集中する生き方とヨガの瞑想は、切っても切れない関係だと思っているので、「瞑想」について学ぶために鑑賞しました。

現代における情報の洪水に飲み込まれないためにも、何かを得る努力よりも何かを捨てる努力の方が大切なのではないかと感じました。

今後とも、いろんな情報が飛び交う世界において、自分にとってマイナスな情報をどうやって遮断していくかがより求められる時代になっていくと思います。

体に良くない食べ物を口にすると体がむしばみますが、心によくない情報を耳にすると心がむしばみます。

口にする食べ物と同じように耳にする情報にも細心の注意を払う必要がある時代なのだと思います。



後半分の3本は次回コメントさせていただきます。







問題が発生した時の考え方

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日々仕事をしているといろんな問題が起きるものだ.

問題が起きた時に私が意識していることは、

①この問題の本質的な原因は何なのか

②この問題を再発させないためには何を変えていけばいいのか

③自分でコントロールできない問題の時にはスルーすることも大切だ、

という3点だ。



 物事には原因があって結果があるものだ。

好ましくない結果が目の前に起きた場合に、人は好ましい結果を求めいろいろと考えるが、本質的な原因を見誤ると、それ以降の②と③もすべてが間違った回答を見立ててしまうことになりますし、

逆にここがうまくいけば、8割がたその後の流れもうまく運びます。


全てのスタートは①の本質的な原因を見つけることにあるのです。

その際に注意していることが、今回の出来事は、

「問題」と受け止めるのか、それとも「チャンス」と

受け止めるのかにあります。


目の前の出来事を「問題」として受け止めてしまうと、

「最悪」「ついていない」などマイナスに受け止めてしまいがちです。


人間は物事をマイナスに受け止めてしまうと、問題の原因を

誰かのせいにして個人に責任をなすりつけてしまいがちです。


一方、今回の問題は「チャンス」なのだと思えれば、

少しでもプラスのことを見つけようとして、

現実を前向きに受け止められます。



 の本質的な原因を見つけるために不可欠なことが、


自分の心が前向きに「チャンス」と受け止めているか

「ピンチ」受け止めているかにあると言えます。



目の前のことは「ついていない出来事」ではなく、

何かに気づかしてもらうための

「神様からのプレゼント」だと考えられる人は、

全てがいい循環で回っていくのです。


 本質的な原因を見つけることができたら、再発を防ぐためにはこれまでと何かを変えるための行動をしていかなければなりません。

これまでの習慣ややり方が間違っていたから

今回の好ましくない出来事が起こったのですから、

仕組みややり方を変えていかなければなりません。

 でも書きましたが、原因を当事者の個人になすりつけるのではなく、仕組み、習慣、社風など組織として変えていけることに

意識を向けていかなければなりません。


 で考えられる原因を見つけられたら、

あとは1つでも行動にうつせることができたら

今回の出来事は「意味のある出来事」になってくるのです。

「誰か個人の責任だ」と考えた時点で、それは「意味のないついていない出来事」になってしまうのです。


 そうはいっても、全ての出来事で

①の本質的な原因を見つけたり

②で何かを変えることが見つからない場合もあります。

そんな時にはとりあえず、今回の出来事は、

今の自分にはすぐには解決できない問題なのだと考え、

一時的にスルーすることも大切なのです。


仕事をしたり、生きていれば、日々いろんな問題が発生します。

解決していかなければいけない問題がたくさんあります。

物事には優先順位があり、今すぐに解決しなければいけない問題と後回しにした方がいい問題とあります。



人間は、時間もエネルギーも有限です。

試験問題でも、いつまでも解けない問題に時間をつぎ込んでいたのでは試験の制限時間になってしまいます。



一生懸命考えても本質的な原因が見つからないで、

変えるべきことも思いつかの場合は、

一時的にスルーすることもとても大切なスキルなのです。



そういう難問でも、自分が成長していけば、簡単に解決できる時期が来るものなのです。





歯科医院の院長として23年が過ぎました。

経営者として、一番勉強になったのが人の使い方のような気がします。

多くの人にとって、経営とは、「お金を稼ぐこと」のようなイメージがあるのではないかと思いますが、私の中では、経営とは「人を育てること」というイメージの方が強いです。

「企業は人が全て」と言われていますが、経営者1人ができることはたかが知れています。


学生時代は、学業で優秀なことが最大の評価の基準でした。

それも、周りよりも優秀であればあるほど高評価の対象になりました。

いわゆる偏差値が高いということにつながります。

しかし、経営者になって自分だけが優秀になって、社員とのレベルが開けば開くほど、社員が駄目な人間に見えてくるし、社員からすれば、トップの言っていることが「意味わかんない!!」となってしまいます。


大人と子供をイメージしてもらえれば、すぐにわかると思いますが、大人からすれば当たり前であり常識的なことを子供たちは、できないことが殆どです。

そんな時に、多くの大人は「あれしろ、これしろ!!」と命令します。

「命令することと教育することは違う」ということを、私は経営者としての社員教育から学びました。


開業して長い間、私にとっては当たり前で常識なことを行わない社員に命令し続けました。

そして、そうしていくうちに私と社員の距離はどんどん開いていき、そこに信頼関係は希薄になっていき、その結果、社員から見た私は、「自分のやりたくないことを命令して無理やりやらそうとする嫌な奴」になり、私から見た社員は「何度言っても分からないし、言ったように行わない、ダメ社員」という社員と私は敵同士という関係になってきました。


命令すればするほど関係は悪化して、お互いの関係が悪くなって何も改善しないのであれば、見てみないふりをするようになってきました。

そうすると、お互いの衝突は避けられますが、私のストレスは日に日に溜まってきますし、社員はわがままになってきます。


命令しても反発されるし、見てみない振りをしても状況は悪化して、私の中では四面楚歌の気持ちで、社員教育の本を読んだりセミナーに出まくりました。

そうしているうちに、自分自身の子供時代や社員時代のことを振り返って自分を俯瞰するようになっていました。

自分の子供時代に、今当たり前のようにできていることができるようになったのは、親から命令されたからではなく、自分自身で気づいたからだし、社員時代にできなかったことができるようになったのも、無理やりさせられたのではなく、自分の意志でできるようになりたいと思ったからだと思い出しました。


当クリニックでは、入社2,3年目以降の社員には、教育係を担当させます。

そうすると、自分が指導係になると新人に頭ごなしに「あれしろ、これしろ!」「なんでできないの?!」という上から目線になり、自分の言ったとおりにできない新人にイライラしてきます。

そして、彼女らも私が通ってきた道を繰り返し、命令と失望を繰り返していきます。

そして必ず、「教育は難しい」「指導係はしたくない」という後ろ向きな方向に流れて、「他人に指導するよりもプレーヤーとして自分の技術の向上だけに集中したい」という考え方に流れてきます。


そんな時、私は、「あなたもいつかは母親になるよね。母親になるまで、指導として命令だけを繰り返して、自分の子供にも同じことを繰り返していくのか。教育者として指導者として未熟なまま母親になって、自分の子供を初めての実験台にするつもりか!?」ということを説明して、教育や指導は今だけのことではなく、今後、人と接していくうちで避けては通れないものだということを理解してもらうようにしています。


大人でも子供でも、相手がこちらの命令に従わないのは、その「意味と価値」を気づいていないか、やらされていると感じているからだ。

伝える方は、命令ではなくその行為の「意味と価値」を伝えているだろうか??

あるいは、無理やりやらすのではなく、自分の意志でやりたい、やらないといけない、と気づかせる工夫をしているだろうか?と自分に矢印を向けていくことが大切なのではないかと思います。


教育とは、自分が当たり前にできることを上から目線で相手に押し付けることではなくて、自分にとって当たり前のことなのに相手はなぜしないのだろうか?そもそもこの行為の意味と価値は何なのだろうか?ということを再考するチャンスなのだと思います。


教育や指導は簡単ではありません。時間もかかります。

しかし、教育以上にやりがいのあることは少ないのではないかと感じる今日この頃です。

 

 

正解のない決断の連続

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経営者として「しんどいな!」と感じることの1つは、日々、答えのない決断をし続けることがあるように感じます。




学生までの勉強の問題には、「正解」がありましたが、社会人になってからは、問題の多くに答えがない場合が多いです。

社会人の問題の多くが「人との関わり」の問題であったり、「未来を予測していく」問題であったりする場合が多いから、1つの答えに絞れないのだと感じます。

「正解」がある問題というのは、どの視点から見ても答えは一つという問題ですが、答えのない問題というのは、見る視点によって「正解」が違ってくる問題なのです。




政治などがその典型だろうと思います。

どういう決断をしても、必ずマスコミからたたかれる。

どんな決断においても視点を変えれば、アラは必ず存在するものです。

完璧な答えはないし、たたかれるのを想定して、自分の信念に基づき決断を繰り返していくしかないのです。




私は安倍総理を尊敬しています。

彼の決断の1つ1つが正しいかどうかは、正直、私にはよく分からないです。

でも、彼が日本のために命を懸けて決断していることは伝わってきます。


トップが評価されるかどうかの判断基準は、正しい決断かどうかよりも、その根底に利他の気持ち、奉仕の気持ちがあるかないかの方が重要なのではないかと感じます。

日本を切り盛りする大変さと歯科医院を運営していく大変さではレベルが全然違うけど、トップに求められるのは、頭の良さ以上に、「使命感、正義感、責任感」の高さなのではないかと感じます。


学生時代は、勉強すれば知識を増やすことはできましたが、「使命感、正義感、責任感」を高めていくためには、日々、答えのない決断を繰り返していくことしかないなのではないかと感じます。

答えのない決断を繰り返さないといけないリーダーの仕事は大変だなぁ~、と思うこともありますが、そうしていくことでしか「使命感、正義感、責任感」を高めていくことができないのであれば、その大変さを歓迎していくしかないのだろうと思っています。




視点を変えていくことで見えてくるものが違って見え、多面的に物事を見える人間になれるためには、批判にさらされる恐怖と戦いながらも、いずれかを選択して決断を繰り返していくしかないのだと思います。




やりがいとは大変さと比例します。




誰もが簡単にできることにやりがいは感じにくいものですが、大変だからこそ知恵が湧き、達成できた時の喜びもひとしおなんだと思います。

「使命感、正義感、責任感」を高めていくことは、人が生きていく目的の1つであると思っています。

そうであれば、これからは答えのない決断を喜んで下していきたいと思いました。

 

 

コーチングと感動の関係

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多くの場合、自分が何度か感じたり気付いたことでも、そのまま無意識下に眠らせてしまいます。



知ってはいるけど自分のものになっていない、日常で自分の血や肉となっていないものが殆どなのです。

そういう気づきの予備軍、腑に落とす予備軍をたくさん持っているのです。

そういうものを1ランク上の気づきをさせてくれる言葉や歌詞、テレビなどに感動するのです。



心にひびく歌や映画というのは、そういうふうに潜在意識に眠っている言葉に刺激を与えてくれるものなのです。

1度も感じたり気付いていない内容は、腑に落とさせることはできません。

「言われてみればその通りだな!」ということは、相手の心に響きますが、「何それ?」「意味わかんない!」ということは、相手にスルーされてしまうのです。



何度も見たり聞いたりしているのに、腑に落ちていなかった内容を腑に落とさせてくれるきっかけになった言葉や人間に強い共感を得るのです。

そのきっかけを与えられることがコーチングであり、感動なのです。


私の持論では、上手に話すよりも思いを込めて話す方が相手に伝わると思っています。上手に話す人はたくさんいますが、思いをもって話すには話し手に情熱がなければ伝わりません。



他人と過去は変えられません。

他人を変える唯一の方法は、相手に気づかせることです。相手に気づかせるためには、まずは自分の心が動いた経験を積み重ねていって、それをわかりやすく伝えていくしかないのだと思います。



まずは自分の心が動いた経験を大切にして、その経験を自分の中で深く刻み込んで、相手に伝えることを繰り返していくことで伝え方もブラッシュアップしてくるのだと思います。

子供や部下の指導や教育の勉強をしていると、「YouメッセージよりもIメッセージを使いなさい」という教えをよく目にします。

「You」が何を失敗した、とか「You」がどうだ、と相手に伝えるよりも、「I」はどう思ったかを伝える方が、相手は気持ちよく変われるという手法だ。



指導の1つの手法として、かなり前から目にしていた内容だが、何か意味がよく分からなかったので、知識として頭の片隅にあったのだが、実際にはほとんど使うことはなかった。



学生時代は、知っているということが評価の対象だったが、社会人になって、特に経営者になって、知っているということには何の意味もないと思うようになってきた。

「YouメッセージよりもIメッセージ」ということをいくら知っていても使っていないのであれば、それは知らないことと同意語だ。



「YouメッセージよりもIメッセージ」という手法は、私の中で知ってはいてもなかなか使えていなかったが、この手法をかみ砕いていくと、「Youメッセージ」というのは、相手に指示命令をしてしまう行為だが、「Iメッセージ」は私の感想を言っているだけだから、相手は自分の意志として受け入れやすいということなのではないかと感じるようになってきた。

そう解釈すると、私の中で「他人と過去は変えられない」「人は命令では変わらない」「指導とは相手を変えることではなく相手に気づかせることだ」「何をさせるかよりも何のためにしているかを伝える方が大切」などなど、これまでの意識して実践してきている内容を組み合わせた手法として、「YouメッセージよりもIメッセージ」という手法もあるということなんだと思えたら、割とすんなり頭に入って実践できるようになってきた。



「知っている」ということで満足していても何も人生は変わらないが、知ることが「気づく」ための第一歩である、ということも事実のような気がしています。

「YouメッセージよりもIメッセージ」ということを理解するまでに感じたことは、「知っている」から「気づく」に変わるためには、「知っている」で満足しないで、謙虚で素直に「なんでだろう」を何度も繰り返して自分の頭で考えていくことが大切なのだと感じました。


ついつい「知っている」と思うことは多々ありますが、「知っている」と思った時には、条件反射として、「知っている」ことは、本質への入り口であって、「気付いて」いるのか、「実行している」のかを自分に問い続けていきたいと思いました。



口で言うのは簡単ですが、そのためには、「謙虚で素直」な生き方をしていかなければ、ついつい「知っている」の魔力に屈していしまうほど、「知っている」という力は強大なのだと感じる今日この頃です。

感情の受け止め方

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「人間は感情の動物である」と言われていますが、感情にも歓迎できる感情とそうでない感情があるように思います。

例えば、怒り、悲しみなどは、感じると嫌な気持ちになりますし、できるだけ早くその感情から離れた状態になりたいと思うのが自然のような気がします。
しかし、嫌な感情、避けたい感情だからこそ、真剣にその感情と向き合うことで何かが得られるような気がします。

「悲しい」「寂しい」「悔しい」と感じたら、「なぜ?」自分はそう感じているのだろう? 自分は、「どういう時」にそう感じるのだろう? この感情をプラスの行動に転じるためにはどう受け入れればいいのだろう? などなど、嫌な感情から逃げるのではなく、その気持ちをプラスに転化できる考え方を自分で持てれば、望まない感情が脳裏に浮かんだ時にも、決して100%マイナスなわけではないのだ、と思えるような気がします。

これは、「うれしい」「ありがたい」など好ましい感情が、浮かんだ時にも、「なぜ?」自分はそう感じているのだろう? 自分は、「どういう時」にそう感じるのだろう? この感情をプラスの行動に転じるためにはどう受け入れればいいのだろう? と考えることで、自分は、そういう場面に意識的に多く出会えるようになってくるのではないだろうか、と思います。

私は、いい感情も好ましくない感情も、すべては自分の受け止め方でいい方向にも悪い方向にも進んでしまうと感じています。

いい感情の時にもいい気にならないで、好ましくない感情の時にも逃げないで向き合うことで、自分の気持ちを俯瞰でき、感情に振り回されないで冷静な自分をキープできるようになってくると思います。

人間は感情を感じるために生きていますが、感情に振り回される人生になってしまうのか、感情を楽しむ人生に変えていくのかは、自分の感情を他人事のように俯瞰できるかどうかにかかっているような気がします。