患者さまに「治療提案」をするときに、自分の中で葛藤があります。

「選択肢がなくてこれ一択!」という場合は悩みませんが、患者さまの価値観でどの治療方法がいいかは違ってくる場合があります。

早さ重視、完成度重視、治療費の安さ重視、等々etc………

患者さまからすると、「全部が揃っているのがいい!!」と思われていますが(笑)、治療においても何かを優先すれば何かを我慢しなければいけないことが大半になります。

例えば「完成度を完璧にするためには時間もお金もいくらかかってもいい!」と思っていても、実際には、患者さまの受け入れることができる時間にもどこかに限度はあります。

 

そもそも患者さまは、自分の中でも完全に自分の価値観をきちんと言い切れる人ばかりではないです。

患者さまに、いくら早さ、安さ、完成度などを重視するか、しないかと聞いても、最終的には患者さまが「満足されるかどうか」が大切なんだと思っています。

「キレイラインの矯正で治らなかった」とご相談に来られる方が結構いらっしゃいますが、「いくら治療費は安い方がいい」と思っていても、その治療結果に満足できなければ「安かろう悪かろう」で、不満になったりクレームになってしまいます。

 

私の中で意識しているのは、あくまでも患者さまが満足してもらえる範囲内での価値観の優先順位だという点です。

 

「絶対に歯を抜きたくない」とか「予算は50万円以内」とか絶対に譲れない基準がある方は治療提案をしやすいですが、殆どの方は、「バランス的に考えて、自分にとってどの治療方法がより適しているのか?」を知りたいのだと思います。

 

「安かろう悪かろう」では困るし、完成度は高くても普通の治療期間の何倍もかかれば満足度は低下してしまいますし、患者さまが満足していただくためには、患者さまが考える期待値を超えることが大切です。

患者さまの期待値がとてつもなく高ければ、どんな治療結果でも絶対に満足はされないですし、期待値が低い方はそもそも治療しようという気にならないでしょうから、患者様には適切な期待値を持っていただけることが大切です。

 

高すぎる期待値の方には、適正なレベルまで期待値を下げていただかなくてはなりませんし、期待値があまりに低すぎる場合には適切なレベルまで期待値を引き上げなければなりません。

 

矯正相談の限られた時間で、患者さまの意図をくみ取ることは難しいです。

最終的には、患者様とお話しながら「自分が相手だったらどういう治療を望んでいるのだろうか?」ということを想像しながら、患者さまに治療方法をご提案していくことになると思います。

100%自分が相手になることはできませんが、「自分がしてもらいたいことを相手にしていく」という姿勢が、患者さまに治療を提案していく際にも大切なことだと思います。

仕事とプライベートだと同じ状況でも対応方法が変わることがあります。

プライベートにおいては、どちらが正しいかを言い張っても構わないですが、仕事においてはお客様に対しては、例え自分の方が正しいと思っても、相手の言動を受け入れないといけないこともあるように思います。

プライベートで喧嘩になることは多々あっても、仕事においては多くの我慢が必要な場面があります。

仕事において、プライベートと同じように自己主張することはまずありえません。

 

「ならぬ堪忍、するが堪忍」ということわざがありますが、プライベートではできない我慢も、仕事においてはもうひと我慢できるものです。

(ちなみに、「ならぬ堪忍、するが堪忍」とは「がまんできないことをこらえるのが、本当の忍耐というものである」という意味です。)

 

お店とお客の関係、上司と部下の関係、お店と業者の関係etc

その関係によって、できる我慢の程度も違う人もいるかと思います。

自分の性格以外にも、相手との力関係や執着度合いなど、いろんな要素によって我慢できる範囲が違ってくると思います。

                            

経営者の中でも「アンガーマネージメント」の講座の人気があるらしいですが、スタッフに対して自分の方が力関係が上にあると思うと、どうしても我慢できる範囲が狭くなってしまうのだと思います。

 

我慢できる人と我慢できないで感情的になる人との違いは、相手への感謝やリスペクトの違いと、その人のプライドの高さが関係しているような気がします。

相手のことを大切に思っていれば、もうひと我慢できるような気がします。

 

最近は、一番厄介なのが、プライドの高さではないかと思うような気がします。

「自分は正しい」「自分は間違っていない」というプライドが働くと、人はどうしても感情的になってしまうのではないかと思います。

「自分の方が正しい」と感じているのに、相手に合わせるには「ならぬ堪忍、するが堪忍」の領域かと思います。

 

そんな時に効果的な方法が、自分の感情を抑えるために、「今、自分は〇×の演技をしているんだ」と自分に言い聞かせて、感情的になっている自分と理性的な自分を同期化しない事がたいせつです。

演技で行っている自分は、演技なのだから理性的になれます。

感情的にならないために、理性を感情に同期化しないために「演じている」「演じている」と自分に言い聞かせるのです。

自分は「いい上司「いい営業マン」「佐藤浩市」(笑)を演じているのだと思うことです。

 

理性と感情が同期化しないためには、同期化していまいそうな瞬間に役者になりきることが効果的かと思っています。

 

今の時代は、多くの状況で、感情的になったら負けです。

「負けるが勝ち」の時代を生き抜くためには、いい役者になることが必要かと思います。

当クリニックの教育で重視しているのが「あり方教育」です。

と言いましても、「あり方なんて教育できるのだろうか??」という葛藤と常に戦っています。

「やり方教育」には答えがありますが「あり方教育」には答えがありません。

「やり方教育」のように答えがあるものは、正しくできるようになるまで繰り返すしかありません。

数回でできるようになる人もいれば数十回かかる人がいても、最終的には、殆どの人ができるようにはなります。

 

しかし、「あり方教育」に関しては、価値観教育のようなものなので、押し付けることができないです。

「あり方教育」とは、ある種の「洗脳」のような気がします。

お客様(他人)のためになることを教育するという目的は同じでも、何をもってお客様の為なのかで意見が分かれることがあります。

マニュアルにできる「お客様の為」の項目はいいですが、「行い」でなくお客様の為の「思い」を教育することは難しいです。

同じ行動をしても、どういう「思い」でそうしたのかを確認することはできません。

「あり方教育」とは「何をするか」よりも「どういう思いでするか」にこだわることだと思います。

同じようなことをしてもお客様に喜ばれるか叱られるかは、お客様に対する「思い」が違っているから、発生する結果が異なる場合があります。

 

人間は、「自分が一番大切だ」と考える生き物だと思います。

しかし、仕事においては、そういう気持ちに抗って、お客様や仲間のことを優先して考えなければなりません。

そこで、どのレベルまで自分ファーストを抑えて、お客様ファースト、仲間ファーストにできるのかを、指導していかなければなりません。

あまりにも自己犠牲を強いれば、社員の一部は反発して退職していきます。

だからと言って緩すぎると組織の体をなさなくなります。

 

私の中で、「あり方教育」とは、自分の弱さ、汚さに気づくことのような気がしています。

人間は弱い生き物です。

自分の弱さを自覚することで、弱いからこそ周りに流されないように生きていく必要があるのだと思います。

 

当クリニックでは、2週間に1度、自分と向き合ってもらうためにスタッフに日々の「気づき」をクリニック内で投稿してもらっています。

めんどくさい作業かもしれませんが、流されながら無意識で生きるのではなく、意識して生きていくことで、自分と向き合うことができるようになってくると思っています。

 

私は、生きていくうえで「自己肯定感」が大切だと思っていますが、自己肯定感っていうのは、最終的には自分の弱さや汚さに気づいて、その弱さを受け入れることができるようになることではないかと思っています。

いつだったか覚えていませんが、自己啓発書で「1万回「ありがとう!」を言うと人生が好転してくる」という内容を信じて、半信半疑ながら、しばらくは常に「ありがとう!」と唱えながら生活していました。

「ありがとう」の回数を正確に数えられるわけではないので、飽きるまで言い続けていました。

「ありがとう」の数と幸せの相関関係が科学的に証明できるはずもないので、ただひたすら心の中で「ありがとう!」を唱えていました。

そのうち「ありがとう」を唱えているだけだとマンネリ化するので、「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」の意味を調べてみたり、唱えてみたりもしましたが、それはあまり長続きしませんでした。

 

そんな折、スタッフのお母さんが「般若心経」を写経していると聞いたので、私もやってみようかと思いましたが、書くとなるとひと手間増えるので行動には移せませんでした。

 

今現在も「ありがとう!」を心の中で唱えることは続けていますが、今さらながら気づいたことは、そもそも「幸せ」とは「有難い!」と感じることだから、たくさん「ありがとう」を言えば、それだけ幸せを感じるのは当たり前のことだよな~~と思うようになりました。

何かを得たり、何かをしてもらえば「有難い」と感じますが、そんなにしょっちゅう何かを得たり、何かをしてもらえるわけではないので、そういうことに関係なく、先に「ありがとう!」と唱え続ければ、自然と幸せは引き寄せれるのだろうと思います。

 

人は無意識で生きていると、色んなことを「当たり前」と思ってしまいます。

「当たり前」と思っていることには感謝できないので、幸せを感じたければ、「当たり前」でなく感謝できることを意識的に探していく必要があると思います。

人は無意識で生きると不幸せになり、幸せになるためには意識的に生きる必要があるのだと気づきました。

 

般若心経を写経するのもお経を唱えるのも「ありがとう」を唱えるのも、頭の中の雑念を薄めるための手法なんだと思っています。

無意識で生きていると、イラっとすることやマイナスのことネガティブな感情が頭を占めてしまします。

そういう雑念をなくすことは不可能ですが、薄める工夫としては「ありがとう!」を唱えることは凄く有効な手法のような気がします。