顔色を見て欲しくない

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私は子育てや社員教育をしていくうえでいくつか意識していることがあります。

その一つに「私の顔色を見て行動を変えて欲しくない」ということがあります。

 

「親(院長)が怖いから言うことをきく」ということは避けたいのです。

 

「親が怖いから従う」のか、「親の言うことが正しいと思うから従う」のかでは雲泥の差があります。

「怖いから従う」のであれば、常に親の顔色を見るようになってきますが、「正しいから従う」のなら自分の頭を通すことになり、そういう判断を繰り返していくことで成長していけます。

社員も同じですが、上司やトップが「怖い」から従うのではなく、誰が言っても「正しい」ことは正しいので、「怖い」からではなく「正しい」から動いてほしいのです。

 

そのためには、出来るだけ相手が言いやすい雰囲気を作らなければいけません。

言いやすい雰囲気を作れば、子供や社員は大儀のない利己的なわがままなことを言ってくるリスクもあり、親や経営者としては「カチン」ときてしまう能性もあります。

私は、教育に対してこういう信念を持っていますが、現実には、子供を頭ごなしに叱ったり、社員に対して「カチン」ときていることが顔に出てしまうことがあります。

 

子供にしろ社員にしろ「自分勝手な考え方」をしたときやこちらの気持ちに余裕がない時などは、つい話し合おうという気持ちよりも「それは違うだろう!」とか「自分勝手だろう!!」という気持ちが先に出て、ついつい顔に出たりしてしまいます。

 

そういう失敗を繰り返しながら、理想と現実の違いを痛感して、日々反省しいるつもりですが、子供や社員が自分の頭で「正しい」ことを判断していくためには、家庭や職場においても、決して頭ごなしには怒られないという「安心感」「信頼感」などがないといけないと思っています。

 

「この親(院長)は気分で怒る」という先入観を持たれることだけは避けたいと思っているので、たまに感情的になってしまうことがあることは否定できませんが、心に余裕があるときや意識している時には話し合える「安心感」「信頼感」を感じてもらえる努力をしているつもりです。

 

子供や若い社員が自分勝手な論理を並べたてることに腹を立てるのではなく、自分もそういう時期を経て今の考え方があるのだから、自分も親や上の人に同じような思いをさせてきたのだと振り返りながら対処していくことが正解なのかと思っています。

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見ているvs見えている

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人は同じものを見ているようで実際には見えているものは、個人個人で違っています。

それまでの経験やその人のアンテナの張り方などいろんな要素で受け止め方や感じ方は違ってきます。

 

あるとき、クリニックの前にポルシェが何台か並んで停まっていたらしくて、社員から「ポルシェがずらっと並んでいてすごかったですね~」と言われ、私は車に興味がないことも関係しているのかもしれませんが、私はその時考え事をしていて、ポルシェには全然気づきませんでした。

うちの次女などは、車が大好きで道路でポルシェを見つけるたびに「あっポルシェだ」と言うのが、私には不思議に感じます。(笑)

 

また、ある妊婦の知人が、自分が妊娠したら「世の中にはこんなに妊婦が多いとはこれまで気づきませんでした」と言い、その後出産したら「赤ちゃん連れのお母さんばかりが目に付くようになりました」と言われていて、人間は自分が意識したものしか目に入ってこないものなんだと再認識しました。

 

生き方や考え方も同じで、自分がズルい生き方をしている人は、ズルいことをしている人にばかり目が行くし、まじめに生きている人はまじめに生きている人に共感していくものなんだと思います。

世の中は、自分が思っているように目に映ってくるので、現実が幸せに思える人と不幸せに思える人は心の持ち方の違いなんだと思います。

 

「あるものに目を向ければ一瞬で幸せになり、ないものに目を向ければ一瞬で不幸になっていく」

「現実を受け入れることを幸せと言い、現実に抵抗することを不幸と言う」

「長所と短所は見る角度が違うだけ」

 

幸せとはどこか遠くにあるのではなく、自分の考え方や受け止め方ですでに自分の足元に存在しているものなのかもしれません。

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経営者の3つの仕事

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歯医者には、2つの顔があります。

 

1つは歯科医師としての職人としての顔と、もう一つは歯科医院を経営していく経営者としての顔です。

そして、経営者の仕事には3つあると言われています。

1つ目は、未来を予測してそれに対処して準備していくこと

2つ目は、自分の思いを社員やお客様に伝えていくこと。

3つ目は、決断して行動すること

 

「未来を予測してそれに対処していく」ためには、時代の流れに敏感になっていなくてはいけません。

「虫の目と鳥の目」と言われますが、経営者は鳥のように遠くから物事が見えなくては未来を予測できません。

目の前の出来事に一喜一憂するのではなく、目の前の出来事から将来に備えて今何をしていかなければいけないのかを考えないといけないのです。

今起きていることに対処していくことは誰でもできますが、今の出来事から未来に起こるであろうことを想像するには、これまでの経験と想像力(仮設する力)が必要になります。

未来のことを100%のことを予測することは不可能ですが、ある程度のことは予測して準備しておかなくてはなりません。

 

2つ目の「自分の思いを伝えていくこと」はトップにしかできない仕事です。トップの人は商品に対して、お客様に対して、仕事に対していろんな思いを持っています。

しかし、それらのことは思っているだけでは相手には伝わりません。

伝えることは根気が必要です。

相手に無視されたり、拒否されたり、裏切られたりする可能性があります。

それでも伝え続けるためには、トップには「何が何でも伝えるんだ!!」という使命と情熱が必要になってきます。

伝えることはテクニックではなく情熱なんだと思います。

 

3つ目は決断することです。

社会に出て悩むことの殆どのことには、正解がありません。

どちらの答えにも、必ず、否定意見はあります。

7:3の確率でも6:4でも決断していかなくてはいけないのです。

例え5分5分でもどちらかに決めて進まなければいけない時もあるのです。

優秀な社員は、判断はできても、決断をするのはトップの仕事です。

判断した人には責任はありませんが、決断をするということは、責任を取るということを意味します。

トップの決断には責任が伴うからこそ、安倍総理やトランプ大統領には計り知れないプレッシャーがあるのだと思います。

 

経営者には、3つの仕事があるから大変な仕事だと言えますが、逆に言えば、これらの3つをきちんと遂行していけば自ずと結果はついてくるのだと思います。

 

 

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仕事ムービー

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当クリニックの社員は、仕事に対して真摯に向き合っていますが、トップの私としてはより高い意識で仕事をしてほしいという気持ちから、下記の動画を作りました。

 

 

 

先日、大雪の日の広島で「ハピネスマネジメント」の出版記念公演を開催した時に、このムービーを流したら好評だったので、この機会に一度ご鑑賞いただければ嬉しいです。

 

https://www.youtube.com/watch?v=Rqdwi24IMtc

マイポリシー

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当クリニックでは、新年の誓いとして、今年1年、どういうことを意識して生きていくかということを宣言してもらうようにしています。

そして書いた紙をロッカーに張って、日々眺めてもらうようにしています。

 

私も1年間張りっぱなしにしていますが、1年たって振り返ってみると、かなり変わっている自分を自覚することが多いです。

 

人間は、何かを意識して生きるか、ただ無意識で生きるかで、時間の経過とともに、大きな違いが生じると思っています。

私の中では、「立派な人間とダメな人間」がいるのではなく、「意識して生きている人間と無意識で生きている人間」がいるだけだと思っています。

 

人は、放っておけば無意識で生きるようになっているからこそ、折りにつけて、何かを意識しなければ成長が止まってしまうのだと思います。

 

ちなみに私のマイポリシーは以下のような10か条です。

 

毎日眺めて意識して生きていった結果、1年後にどれだけ変わっているかが今から楽しみです。

 

[ 1全ての出来事は自己責任。 自分が描いたシナリオに文句を言わない

[ 第2条 ] 全ての出来事を受け入れる。 幸せとは受け入れる事、不幸せとは抵抗すること

[ 第3条 ]   マイナスのことは言わない、考えない、行動しない。

無意識で生きない、意識して生きていく

[ 第4条 ] 痛い目に合うことを歓迎する。「失敗して恥をかく」から骨身にしみる

[ 第5条 ] 考える(悩む)前に行動する(行動→失敗→考える→改善する)

[ 第6条 ] 自分にしかできないことに集中していく

[ 第7条 ]  リーダーは伝えることが1番の仕事

[ 第8条 ] 面倒くさいことを面倒くさくなくできる仕組みを考える

[ 第9条 ] 今、ここ、自分

[ 10 ]  必死に生きる

 

成長=挑戦

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あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

 

 当クリニックでは、「成長したい!」と全ての社員が頑張っています。

でも、「成長ってなんだろうか?」と何度も考えてしまいます。

成長の定義には色々あるとは思いますが、「成長=挑戦」という方程式が一般的なような気がします。

 

仮に成長が挑戦と関係しているとすれば、「挑戦する」ことはなぜ難しいのかと考えてしまいした。

理由に1つに、挑戦するということは、今までの自分がしたことのないことにトライするということなので、やったことのないことをする場合には、その後、何が起こり、どういう方向に流れていくのかが予測できないから恐怖心が湧いてきます。

 

人は想定内のことは受け入れられます。

しかし、想定外のことが目の前に起こると、心が動揺し、正常な判断ができなくなることがしばしばあります。

挑戦とは、想定外のことが起こる可能性が高くなることを行っていくことのように思います。

 

分かりやすい例が子供でしょう。

人生経験の少ない子供にとって、多くのことが挑戦で、想定できないことだらけだと思います。

それでも子供は、恐怖心よりも好奇心が勝って新しいことに挑戦していきます。

 

一方、大人は、それまでの人生経験から、できるだけ想定内のことで物事を完結していこうとしますが、好むと好まざるにかかわらず、想定外の出来事が起こってきます。

そういう意味では、全ての人が、日々成長しているように思います。

 

全ての人が、長く生きていくことで、少しずつ想定内の範囲が広がってきていることは間違いないでしょう。

子供に比べて、どの大人もいろんな人生経験を重ねてきていることは間違いないけど、大人の中でも成長しているのを実感できる人と、成長していることが実感できない人の違いはどこにあるのだろうかと考えた時に、想定外のことが起こった時に、それを前向きに受けとめるか、後ろ向きに受け止めるかの違いのような気がします。

想定外のことが目の前に起きた時に、「自分の想定内を広げるチャンスだ」と考えるか、「嫌だなぁ~、なんでこんなことが起きるんだ」と考えるかで、成長のスピードが違ってくるのではないでしょうか?

 

自分が望むと望まざるとに関係なく、日々、想定外のことが起きてきます。

どっちみち、その出来事を受け入れないといけないのであれば、前向きに考えた方がストレスも減るし、得られるものも多くなります。

 

出来事は変えられないが、その出来事の受け止め方は自分で選べます。

想定外のことが起きた時に、それまでの先入観から無意識で「嫌だなぁ~」と感じることは仕方ないと思います。

問題なのは「嫌だなぁ~」と思い続けて、いつまでも気持ちが逃げ続けることだと思います。

無意識で「嫌だなぁ~」と思っても、どうせ、この出来事と向き合うしかないのなら、前向きに、次に同じことが起こった時に、想定内の出来事になって、どんと構えて受け止められる人間になりたいと思いなおせばいいのだと思います。

 

私は、死ぬまで「成長」し続けたいと思っています。

そのことを上記の定義で置き換えると、死ぬまで「挑戦」し続け、死ぬまで「想定内」の範囲を広げ続ける生き方をしていくことを今年の抱負としていきたいです。

 

 

 

悩んだ時の考え方

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何かに悩んでいる時に、自分の考え方を変えようと試むことがあります。

そのうちのいくつかを書いてみようと思います。

 

その1

悩んでいる時は、自分が世の中で一番辛いと感じたり、辛いのは自分だけだというような考え方になりがちです。

そんな時に、辛くても、悲しくても、恥ずかしくても、どんな状況になろうとも、今の自分は最悪の状況じゃない、北朝鮮に拉致されて頑張られている人や食べ物のない国で死しそうな人に比べたり、理不尽に家族を殺された人の苦しみに比べたら、自分の悩みは大したことない、と考える努力をすることが少しでも心を楽にしてくれるのではないでしょうか。

最近の私は、「安倍総理のプレッシャーに比べたら自分のプレッシャーなどは微々たるものだ」と考えるようにしています。(笑)

そんなことは、一瞬の気休めにしかならないかもしれないですが、悩みを解決するためには時間という要素が不可欠であり、前向きな時間をすごすためには、自分だけが不幸の主人公だと考えないようにするためには、有効な手段の1つだと思います。

人は何と比較するかで、幸せを感じたり不幸を感じたりするものなので、ちょっとのことで不幸に感じてしまうのは、比べる対象のレベルが高すぎることが多いような気がします。

 

その2

昔のことを後悔したり、もう決まったことを悩んでも仕方ありません。過ぎたことを後悔しても何も得られません。

もし左遷されたら、「今日からこの会社に入ったんだ。がんばろう。」と思えば前向きになれることでしょう。

好きな人に振られたとしても、「神様はこの人は自分にふさわしくないと判断したんだ。もっといい人がいるってことだ」と考えるしかないのです。

終わったことを、考えて落ち込むよりは、それによって得たものを、感謝していけば人生は自然と開けてくるのです。

いつでも10万円を稼ぎ出せると思う人は、たとえ災難で10万円を失っても、気分を切り替えることが早くできるものです。

苦労も同じで、いろんな災難、困難を経験してきた人は、次に少々の苦労がきても、どうにかなる、やり直せるという信念が心にあり、その信念がその人に力を与え、心を早く立ち直らせてくれるのではないでしょうか。

 

その3

壁にぶち当たった時の考え方には、「もう駄目だ」「まあ、どうにかなるか」「なにくそ、負けてたまるか」の3通りでしょう。

不幸に思えることに出会っても「これもいい経験になる、チャンスだ」「まあ、仕方ないか」「何で俺だけこんな目にあうんだろう、ついてないな」の3通りでしょう。

結局、神様は同じ試練を与えても、それをどう受け止めるかで、その人の人生は、少しづつ違ってくるものです。

もともと同じように生まれ、同じ環境で育ったとしても、考え方の違いで、長い時間の先には、天と地の差がその人についてしまうのです。

神様は、決して分け隔てなく、あなたにとって意味のある人をあなたの周りに送り込み、意味のある出来事をあなたに与えているのだと信じれることが大切です。

あとは、貴方が、その事実をどう受け止めて、考え成長していくかの違いなのではないでしょうか。

不平不満を言いそうになったら、目の前の出来事の「意味と価値」を捜し出す工夫をした方が未来は開けてくると思います。

 

 

芸能人などの週刊誌ネタのどれぐらいが真実なのだろう??と感じることがあります。

週刊誌の見出しを見るたびに、「自分は一般人でよかった!」「有名人は大変だなぁ~」と他人事のような気がしていますが、今はSNSで一般人でも風評被害の標的になる可能性はあるのだと思うと、ある意味、精神的に強くなければ生きにくい時代なのだと思います。

 

特に子供たちが、ラインなどのいじめで自殺したりするのを聞くと、とても心が痛みます。精神的に弱い時期の子供たちに「SNSで攻撃されても気にするな!」とアドバイスしても無理なのではないかと思います。

ある意味、勉強するよりも精神的に強く生き抜くことを教えていくことの方が優先順位的に大事なのではないかと感じます。

大人も子供も、物質的に恵まれた時代だからこそ、精神的な強さが求められるのではないでしょうか!?

 

芸能人や政治家を見ていて、人から誤解されたり、悪い評判をたてられた時にむきになって、自分を正当化する言い訳をしてはならないと感じます。

たいていの場合、言い訳をすればするほど、結局、自分が窮地に追いやられてしまうものなのです。

他人は、言い訳をする人間には、言葉尻を取って、文句を言いたくなるものなのです。

逆に、黙って耐えている人間には、何の反応もないので、面白くないから、そのうち何も言わなくなってくるのです。

そういう状況においては、「煮るなり、焼くなり、好きにしろ」という開き直った気持ちが大切なのだと感じます。

 

「他人がどう思おうと、神様は真実を知っている」と現実を受け入れる生き方をしていきたいものです。

状況が、かんばしくない時は、流れが変わるのをひたすら待つしかないのです。

時間がたって、こちらの状況がよくなれば、その時に仕返しをするなり、反撃をすればいいのです。(その時には仕返しをするのがばかばかしくなっているのが普通ですが……)

事実と違う悔しさをばねにして、大きく飛躍することが、最大の仕返しになるのです。

 

監督との確執があったイチローや野茂のように、周りになんと非難されようとも、その批評を黙って耐えられる器の人間だけが、大きく成功することができるような気がします。

 

渦中の時は、悔しくて眠れない時もあるでしょうが、その場はじっと耐えて、後に非難した人間が擦り寄ってきた時に、違う次元で許してあげるぐらい成長していることが最大の仕返しでしょう。

 

「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない」強さと優しさは、セットで初めて価値が出てくるような気がします。

 

 プロ野球の日本シリーズが、日本ハムの42敗で終わりました。

私は、生まれも育ちも広島で、子供の頃からのカープファンだったので、今回の結果はショックですが、受け入れるしかありません。

 

自分の中で、落ち込んだ時には、「今回の出来事から何を学べるか?」ということを整理しながら自分の心を整理するようにしています。

私は監督ではないので、あくまで自分がカープの一員だったら今回の結果から何を学ぼうとするかということを自分なりに考えてしまいました。

 

初めの広島での2戦で、絶対的なエースの大谷投手を打ち込み、2戦とも大勝しました。これで、「今年のカープは強い!」「楽勝だ!」というムードが出てきたように感じます。

4つ勝てばいいルールで、「あと2つ勝つのは簡単だ。1つや2つぐらいは負けても大したことない。」という心のスキができたのではないでしょうか。

それほど、初めの2戦は素晴らしい結果でした。

 

そんな時、第3~5戦とも接戦でした。

日本ハムは2敗していて後がない、という危機感を持っての試合でした。

一方、カープは、2戦とも大勝していたので、日本ハムほどの危機感を持っていなかったのではないでしょうか。

もしもカープが日本ハムと同じような危機感を持って戦っていたら、ちょっとしたことがチャンスになったり、小さなミスも防げたような気がします。

1,2戦はカープが大勝して、3~5戦は接戦で負けてしまいました。

大敗で負けた場合の方が気持ちが切り換えやすいですが、接戦で負けが続くと完全に勝利の女神の流れは相手に傾いていきます。

いったん変わってしまった流れを再び引き込むことは簡単ではありません。

経営においても、「うまくいっている時ほど足元をすくわれないように気を引き締めることが大切だ」と言われています。

ピンチの時は誰もが慎重になってきます。雨の日や雪の日には足元に気を付けて歩きますが、晴れている時には足元を気にもしないで歩くために、足元をすくわれる可能性が高まるのだと思います。

 

今回の結果から、例え今現在がうまくいっているように見えても、いったん流れが変わってしまったら、取り返しがつかないことになってしまうことを忘れないようにしようと思いました。

私の51年の人生を振り返っても「99里をもって半ばとせよ」ということを実感したことは多々あったので、「うまくいっている時は、お陰様。うまくいかない時は自己責任」という謙虚な気持ちを持ち続けたいと思いました。

 

もう1つは、中継ぎピッチャーのジャクソンの使用方法も考えさせられました。

シーズン中にはジャクソンのおかげでたくさんの試合を勝てたと思います。

しかし、短期決戦の日本シリーズで第3戦、第4戦と負け投手になってる時に、「お前のことはこれまで通り信用している!」というスタンスで使用することが、ジャクソンのため、チームのためになったのだろうか?と考えると結果論で話をしてはいけないということを抜きにしても考えさせられてしまいました。

今回、ジャクソンが結果を出していれば、ハッピーエンドで終わったのでしょうが、4敗の中で、彼が3つの負け試合に関係しているとなると、彼は大きな責任を感じて、完全に自信を無くしてしまうような気がします。

監督から信用してもらえることはうれしいことですが、結果を出さなければ、チームメートやファンからどう思われてしまうか?ということを考えると、自分がジャクソンだったら、今回のような使用方法は意気に感じるだろうか、それとも荷が重いだろうか、ということを考えてしました。

今回の結果で、広島カープファンの怒りの対象が、ジャクソンに向けられることは、絶対に避けてほしいと思います。

彼のおかげでペナントレースを勝てたことは間違いのないことだと思うので、日本シリーズだけを見て彼を全否定して欲しくないと思いました。

自分はクリニックのトップとして、監督のような立場にあるので、緒方監督の選手に対する信頼や思いも分かるような気がしますが、結果で物事が判断されてしまう世界ではとても難しい問題だと思いました。

「自分が相手の立場だったら……」ということは、常に意識しながらマネージメントをしているつもりですが、改めて相手の気持ちに立って物事を考えることの難しさに気が付きました。

 

『物事には「成功と失敗」があるのではなく、「成功と成長」しかない』という言葉を信じて、今回の結果が、来年以降の成長につながってほしいと心から思います。

長い目で見れば、「今回の敗戦があってよかった!!」と思える未来を切り開いてほしいと望んでいます。

 

 

 

 

過去を振り返るまい

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色々やることが多くて しばらく更新していなくて申し訳ありませんでした。

忙しくしている自分のことが嫌いではありませんが、自分にしかできないことをもっと見極めながら生きていきたいと思います。

人間の価値とは、時間帯効果として、自分の人生の時間を誰のために使ったかで決められる、と教わったことがありますが、自分は残された時間を何に使っていくべきなのかを真剣に考えていかないといけない時期に来ていると思っています。

 

さて、「年寄りは集まると必ず昔話をする」と揶揄されます。

それは、一般的に揶揄される年寄りは、今から何かをしようとせずに、今までの記憶の中でだけ生きているからだと思います。

 

未来に希望のない人は、生きていくのが辛くなります。

若手の芸能人が、4畳半で風呂なしでも生き生きとしているのは、売れたらあれもしたい、これもしたいという夢があるからです。

 

若いのに過去の苦労話や自慢話ばかりする人は、年齢に関係なく気持ちは老いてきていると思います。

たとえ若い人でも、好奇心や冒険心が無くなれば、その人はもう立派な年寄りなのです。(決してお年寄りが悪いわけではありません。念のため……)

逆に、何歳になっても、夢を追いかけている人はここでいう年寄りとは違います。

 

生きる喜びとは、目標を持って、その目標に向かって邁進していることなのだと思います。

毎日、美味しいものだけ与えられえても、その人は幸せにはなれません。

美味しいものも初めのうちは幸せを感じさせてくれますが、それはあっという間に日常の当たり前になってくるのです。

 

試験に合格した瞬間、出世した瞬間、子供が生まれた瞬間、欲しかった服や車を手に入れた瞬間等等。

大事なことは、目に見える物を手に入れることではなく、目標や夢を持ってそれに向かって苦しみながらも頑張っていくことなのです。

 

夢はかなった時だけが幸せなのではなく、夢を追って七転八倒、試行錯誤している時が本当の至福の時なのかもしれません。

そのためには、いつまでも過去の思い出に浸らないで未来を見つめていくことが大切なのだと思います。