とある女性、Aさん(50代)のお話です。
Aさんはかなり重度の「悲劇のヒロイン症候群」を患っています。
悲劇のヒロイン症候群とは、自分が不幸であると思い込み、それを周囲の人々にアピールして同情されることで安心感を得ようとする心の病気です。検索すればかなりの件数がヒットするので、世間にもかなり認知されてきている病気ではないでしょうか。
この手の心の病は自覚されないことがほとんどだと思います。Aさんも自覚はないので、他人から指摘されても絶対に認めないばかりか、逆ギレして相手を攻撃します。そして、「私は他人から非難された」と被害者意識を抱くことで同情を求める理由を新たに作り出すことになるだけです。
同情を得る方法は人それぞれですが、私の知るAさんの場合は最も身近な相手を加害者に仕立て上げ、自分は被害者となることで他人から同情を得ようとします。本来であれば最も愛されているはずの家族や恋人を犠牲にし、同情を得るために都合よく利用したのです。
彼女にとっては「幸福感」は不幸の始まりです。例えば恋人ができたりして、他人から「幸せそう」などと言われると、素直に嬉しいと感じると同時に、心の奥底で強い不安が生じています。
「このままでは同情されなくなってしまう……」
(その気持ちに彼女自身は自覚がありません。)
彼氏と一緒に過ごす時間はいつでも幸せだと感じているのですが、思い出に残るような感動的な出来事は、彼女にとっては最悪の瞬間になってしまいます。
例えば、誕生日のプレゼントをもらったり、旅行に連れて行ってもらったりすると、その喜びをかみしめる前に、何とかしてこの思い出をぶち壊しにしてしまおうとします。それは彼女が考えてすることではなく、ほとんど無意識にです。
思い出が楽しいままで残っていたら、その相手を加害者にして同情を得るときに都合が悪くなってしまいます。Aさんにとっては「最も信頼していた相手に100パーセント裏切られた」という被害者になるための絶対的な理由が必要なのです。
そこで、嬉しいことや楽しいことがあると、その直後に必ず理不尽な理由をつけて相手を責めたて、激しい喧嘩をするのです。
その喧嘩の時点で別れ話になったりもするのですが、Aさんはそう簡単には別れようとはしません。一度や二度の喧嘩で別れてしまっては、自分が被害者だと訴えるにはインパクトが弱いからでしょう。他人から同情を得るためには、できるだけ多くの「嫌な思い出」を積み重ねておかなければなりません。
そうやって、楽しかったはずの思い出を全て「嫌な思い出、悲しい思い出」にすり替えながら、彼氏との付き合いの日々を重ねてゆくことで、最後の最後には「こんなにもたくさんのひどいことをされた!」と訴えることが可能になるわけです。
思い出すことはどれも辛かったことや悲しかったことばかり。それも当然です。楽しい思い出はすべて嫌な思い出によって上書きされて思い出せなくなっているのです。
これで彼女は見事に「悲劇のヒロイン」になりきることに成功するわけです。
彼女の話を聞けば、誰でも彼女に同情することでしょう。彼女の友人や知人は誰もが口をそろえて「彼はひどい男だ」と怒りをあらわにし、「別れることができて良かったね」と同情するわけです。彼女の手口は完璧で抜け目がありません。もはや熟練技です。
Aさんは若いころからこのようなことを何度も繰り返してきており、50歳を過ぎた今となっては、もはや彼女の生き方そのままとなってしまっているようです。今さらその生き方を変えることもできないでしょう。
彼女の犠牲となった何人かの元恋人たちは、今でも彼女が同情を引くためのネタとして繰り返し利用され続けています。そのうちまた新しい彼氏はできるかもしれませんが、彼女にとって恋人となる男性は同情を得るための生贄でしかありません。犠牲者がまた一人増えるだけです。
犠牲になったのは恋人たちだけではありません。彼女の実母でさえも、同情を得るためには極悪な加害者に仕立て上げられてしまっているのです。
家族も恋人も、そのように自分の大切な人たちを犠牲にし続けた結果、今の彼女は身寄りもなく、孤独です。
自業自得とはいえ、あまりにも哀れ……そう思われることこそ究極の同情なのかもしれませんが、はたしてそれで、彼女は心の安らぎを得られるのでしょうか。
★
そんなAさんが「悲劇のヒロイン症候群」になってしまった原因と思われる過去について少しだけ触れておきます。
彼女はとても不幸な子供時代を過ごしており、実の親には育てられていません。育ての親には暴力的な虐待や性的な虐待を受けており、悲劇的な幼少期を送っていたことも事実のようです。
ちょうどそのころ、世間では「悲劇のヒロイン」が流行していたのか、テレビアニメなどでも「ベルサイユのばら」のような悲劇のヒロインを主人公とするような物語がたくさん放送されており、Aさんもそういったアニメを観て自分の不幸な境遇と重ね合わせることで癒されていたようです。
そんな悲劇的な過去の経験から、悲劇のヒロインを演じることで周囲の人々から同情してもらうことができるということを学んだ彼女は、無意識のうちに自分を不幸に落とし込み、同情を得ることで憧れのアニメの主人公のような人生を送ろうとしていたのかもしれません。
最初は本当に不幸だったのかもしれません。でも、その後の人生は全て彼女自身が自ら招いた不幸です。彼女が付き合ってきた男性には何の非もありません。むしろ、彼らはAさんのことを心から愛してくれていたはずです。その気持ちには感謝すべきでしょう。そして、自分が彼らにしたことを謝罪すべきです。
彼女の人生は憎しみに満ち、誰かを憎むことでしか生きている実感を得られなくなってしまったようですが、彼女が悲劇のヒロインを演じ続ける限り、彼女が本当の心の安らぎを得られる日は永遠に来ないでしょう。そんな彼女は本当に不幸だと思います。
幸福感を素直に受け止めることができる生き方こそ、幸福だと言えるのではないでしょうか。
★
Aさんはかなり重度の「悲劇のヒロイン症候群」を患っています。
悲劇のヒロイン症候群とは、自分が不幸であると思い込み、それを周囲の人々にアピールして同情されることで安心感を得ようとする心の病気です。検索すればかなりの件数がヒットするので、世間にもかなり認知されてきている病気ではないでしょうか。
この手の心の病は自覚されないことがほとんどだと思います。Aさんも自覚はないので、他人から指摘されても絶対に認めないばかりか、逆ギレして相手を攻撃します。そして、「私は他人から非難された」と被害者意識を抱くことで同情を求める理由を新たに作り出すことになるだけです。
同情を得る方法は人それぞれですが、私の知るAさんの場合は最も身近な相手を加害者に仕立て上げ、自分は被害者となることで他人から同情を得ようとします。本来であれば最も愛されているはずの家族や恋人を犠牲にし、同情を得るために都合よく利用したのです。
彼女にとっては「幸福感」は不幸の始まりです。例えば恋人ができたりして、他人から「幸せそう」などと言われると、素直に嬉しいと感じると同時に、心の奥底で強い不安が生じています。
「このままでは同情されなくなってしまう……」
(その気持ちに彼女自身は自覚がありません。)
彼氏と一緒に過ごす時間はいつでも幸せだと感じているのですが、思い出に残るような感動的な出来事は、彼女にとっては最悪の瞬間になってしまいます。
例えば、誕生日のプレゼントをもらったり、旅行に連れて行ってもらったりすると、その喜びをかみしめる前に、何とかしてこの思い出をぶち壊しにしてしまおうとします。それは彼女が考えてすることではなく、ほとんど無意識にです。
思い出が楽しいままで残っていたら、その相手を加害者にして同情を得るときに都合が悪くなってしまいます。Aさんにとっては「最も信頼していた相手に100パーセント裏切られた」という被害者になるための絶対的な理由が必要なのです。
そこで、嬉しいことや楽しいことがあると、その直後に必ず理不尽な理由をつけて相手を責めたて、激しい喧嘩をするのです。
その喧嘩の時点で別れ話になったりもするのですが、Aさんはそう簡単には別れようとはしません。一度や二度の喧嘩で別れてしまっては、自分が被害者だと訴えるにはインパクトが弱いからでしょう。他人から同情を得るためには、できるだけ多くの「嫌な思い出」を積み重ねておかなければなりません。
そうやって、楽しかったはずの思い出を全て「嫌な思い出、悲しい思い出」にすり替えながら、彼氏との付き合いの日々を重ねてゆくことで、最後の最後には「こんなにもたくさんのひどいことをされた!」と訴えることが可能になるわけです。
思い出すことはどれも辛かったことや悲しかったことばかり。それも当然です。楽しい思い出はすべて嫌な思い出によって上書きされて思い出せなくなっているのです。
これで彼女は見事に「悲劇のヒロイン」になりきることに成功するわけです。
彼女の話を聞けば、誰でも彼女に同情することでしょう。彼女の友人や知人は誰もが口をそろえて「彼はひどい男だ」と怒りをあらわにし、「別れることができて良かったね」と同情するわけです。彼女の手口は完璧で抜け目がありません。もはや熟練技です。
Aさんは若いころからこのようなことを何度も繰り返してきており、50歳を過ぎた今となっては、もはや彼女の生き方そのままとなってしまっているようです。今さらその生き方を変えることもできないでしょう。
彼女の犠牲となった何人かの元恋人たちは、今でも彼女が同情を引くためのネタとして繰り返し利用され続けています。そのうちまた新しい彼氏はできるかもしれませんが、彼女にとって恋人となる男性は同情を得るための生贄でしかありません。犠牲者がまた一人増えるだけです。
犠牲になったのは恋人たちだけではありません。彼女の実母でさえも、同情を得るためには極悪な加害者に仕立て上げられてしまっているのです。
家族も恋人も、そのように自分の大切な人たちを犠牲にし続けた結果、今の彼女は身寄りもなく、孤独です。
自業自得とはいえ、あまりにも哀れ……そう思われることこそ究極の同情なのかもしれませんが、はたしてそれで、彼女は心の安らぎを得られるのでしょうか。
そんなAさんが「悲劇のヒロイン症候群」になってしまった原因と思われる過去について少しだけ触れておきます。
彼女はとても不幸な子供時代を過ごしており、実の親には育てられていません。育ての親には暴力的な虐待や性的な虐待を受けており、悲劇的な幼少期を送っていたことも事実のようです。
ちょうどそのころ、世間では「悲劇のヒロイン」が流行していたのか、テレビアニメなどでも「ベルサイユのばら」のような悲劇のヒロインを主人公とするような物語がたくさん放送されており、Aさんもそういったアニメを観て自分の不幸な境遇と重ね合わせることで癒されていたようです。
そんな悲劇的な過去の経験から、悲劇のヒロインを演じることで周囲の人々から同情してもらうことができるということを学んだ彼女は、無意識のうちに自分を不幸に落とし込み、同情を得ることで憧れのアニメの主人公のような人生を送ろうとしていたのかもしれません。
最初は本当に不幸だったのかもしれません。でも、その後の人生は全て彼女自身が自ら招いた不幸です。彼女が付き合ってきた男性には何の非もありません。むしろ、彼らはAさんのことを心から愛してくれていたはずです。その気持ちには感謝すべきでしょう。そして、自分が彼らにしたことを謝罪すべきです。
彼女の人生は憎しみに満ち、誰かを憎むことでしか生きている実感を得られなくなってしまったようですが、彼女が悲劇のヒロインを演じ続ける限り、彼女が本当の心の安らぎを得られる日は永遠に来ないでしょう。そんな彼女は本当に不幸だと思います。
幸福感を素直に受け止めることができる生き方こそ、幸福だと言えるのではないでしょうか。