※本記事は某ブログの記事に寄せたコメントです。一部加除修正をしています。
ブログ主様は関東で畜産を営む方ですが、過去より非常に深い考察をされています。
今回の放射能についても極めて広範囲に資料を調べ、自らもまた呼びかけ、放射能汚染に立ち向かいいかにして安全な農作物を生産できるのかを日々考えられています。
みずからも大学教員を招聘し、勉強会を開催しようとされたり、教鞭をとったり、また自らも農作物に対してコストを顧みず検査を繰り返し、模索を続けています。私が心から尊敬する方の一人です。

本件は武田氏の行き過ぎた発言に対する記事に対し管理人様の意見に賛同しコメントしたものです。



「東日本は終わりだ」という人は多くいます。
よほど国を滅ぼしたいのでしょう。

放射能ゼロリスクを推進しようとする方の多くのコメントを見ていると一定の法則があることに気付きました。それは、発言が現実的でないこととです。無責任と言っていいかもしれません。

例えば「東日本は終わりだ」というのが正しいとしましょう。
その通り東日本を捨てた場合どうなるか考えてみました。

【東日本が危険地域となり全移住を実施した場合とその結果】

日本の第二次生産品を西日本のみで製造することは不可能です。
主要部品や周辺部品、精密機械、ロム、生計プラスチック、設計の高度CADとそのデータベースの生産設備の4割は東日本に集約されています。東京に多くある大手商社の力や物流システムも必要です。
日本の第二次産業はこの狭い国土の全てがリンクして機能するよう構成されているのです。

第三次産業の拠点と巨大な金融資産、固定資産総額の実に7割は東日本です。
また人口は6割が東日本で、国内消費食材の5割が東日本です。

「東日本の終わり」は東日本から西日本の倍する難民が流入するのに対して、
それを支える経済は同時に壊滅するのは疑う余地がありません。
日本金融は100%破綻すると断言できます。
余波により資金繰に厳しい西日本の企業も合わせて破綻すると考えられます。
第二次産業はサプライチェーンというより製品製造の卸先がないので生産意味がなくなり8割壊滅します。金融が破綻すれば東日本の産業が産業シフトの資金調達をすることは不可能であるため、東日本の産業が復活することはできません。

100年で築き上げてきた東日本のストックは移転するのには少なくとも20年と総ストック4000兆円近い資金が必要だというのが現実なのです。

経済が壊滅し輸入が不可能になるのに人口は変わらずかつ食料供給能力は5割になれば、
国家の壊滅というよりは国民の消滅を意味します。
つまり数千万からの飢餓の発生です。食料だけは一人半分でというわけにいきません。

当然国家も破綻します。つまり無政府状態になる可能性が高いといえます。


私はそうなるのは真っ平ごめんですが、「東日本は終わり」論者はそれを想像できません。あるいは気づいていてもそれを直視しません。
また、そうならないような具体的な対策の提示は、一切ありません。
まるで無責任です。安全安心は所得があればの話ですし、国家は国民の税金により成立している以上、国家経済の破綻は救い手の国家が機能しないことを意味していることすらわからないのかもしれません。つまり、自分の発言がもし実現したらどういうことになるのかということを想像することができないのでしょう。

【東日本の農家が生産不能である場合へのゼロリスク論者の対策を考える】

東日本の農家が生産不能になった場合彼らはどうすればよいのかという問いは色々な所でしていますが、今まで見たアイデアは

①北海道で生産を強化する。
②耕作放棄地を活用する。
③完全隔離された工場で生産する。
④廃業し全量輸入に頼る。

などでした。
いずれも実現可能性が皆無と言っていいアイデアです。様々なデータベースをちょっと調べればすぐに理解できるはずですがなぜしっかり調べて発言しないのかが疑問に思ったりもします。
可能性の模索はするべきでしょうし、一部そうするべきだと思いますが、失う耕作面積の大きさを考えればわかるはずです。
あるいは、もしかしたら④→TPPの推進が真の狙いなのかもしれません。

彼らの多くは農業を営むには数百年から数十年の自然との格闘が必要で、
すでに開発可能箇所はほとんどないという現実を直視できていないか、その努力と時間の必要性の認識がないかどちらかです。自給自足目的の農家と、国民に食糧供給する営農は全く種類が異なり、むしろ都市市民により生命線なのは、高効率で生産ができる営農農家だということが理解できていないのだと感じます。
これらの、実現可能性のない提案は無提案よりもやっかいです。
万が一それに走りだしたとき実は駄目でしたという結果になれば、資源と資金と人力を無駄に消耗した結果となり取り返しがつきません。
彼らはその責任の重さが分かっていないように感じるためその発言が極めて軽薄に見えます。

【科学者の発言を考える】

武田氏はあくまでも学者です。
残念ながら経済学や経営学、財政、統計には疎く、国民生活と経済活動の実態についてはまるで素人です。もちろん、それ自体を否定するものではありません。
ただ知らなければ、自分の専門外のことは全く無視してよいということはありません。
仮に一個人であってもその発言の影響によりどのような好影響、悪影響が発生し、その発言の責任をとるだけの根拠があるかは常に自問し慎重に言葉を選ぶことは要求されることです。
学者であるから免責するという決まりは何一つありません。ほうぼうで武田氏や早川氏へは訴訟も辞さないといったアクションを見つつありますが、あとは法廷で本人同士が弁護士を介して責任の所在を明確にするでしょう。民事訴訟なので、公表はされませんが。

私は日本の学者の無能力ぶりを特に評価しない人間です。
自身の分野にのみ特化しているので自身の発言がその足許を崩すことに気づくことは、おそらくできなかったという幼稚な結果と彼に対する反論に対する反論の稚拙さにはため息がでます。
言いたいことはわかりますが、だからと言ってなんでも言っていい等という無責任な発言では困ります。およそ経済人からは許されざる言い訳だと感じますが、賛同しているひとも幾分かいるようなのである意味驚きます。彼らはもう少し民法上の損害賠償の債権発生について精査するべきです。

【放射能ゼロリスク信奉者への私評価】

最近の他者様のブログへのコメントやツイッター等でゼロリスク信仰のものをよく見かけます。
原発に賛成なわけではありませんが、彼らの物言いにはあきれることが多いのが実態です。
逆に彼らの発信によりその根拠や支持する学者までも胡散臭く感じてしまうことがあります。放射能汚染を隠した東電と政府と同じくらいの信ぴょう性に私の中ではなりつつあります。

彼らの発言には、自分の周辺半径1キロのことしか考えることができない自分勝手な方に見え、幼稚さを感じてしまうからです。

小さい子供がいる方が避難することは何度も言うように留めません。避難費用も必要であれば積極的に支援するべきでしょう。

ただ、東北や関東にも小さな子供はたくさんおり物流も回復しているのに、西日本からボランティアなどが西日本の食材を提供しようなどという動きは全く聞きません。
また母親と子供用の避難場所を確保したとか、生活支援をするという他県の受け入れ態勢も何度も書いてきましたがまるで見ません。大概は地震や津波で家を失ったか、避難対象地域の住民のみが対象で、福島市や郡山市への市民への援助は見られません。
この6ヶ月そういった「東日本は終わり」論者で一度たりともそういう提案を見せた方を見ませんでした。まるでスターリンのホロコーストか棄民政策と感じてしまいます。
彼らが健康を心配することを否定はしませんが、何故東北市民を救う手立てを提案しないのでしょうか。放射能の持ち出しは絶対許さないと主張するのはよいですが、福島県民もまたこれ以上県内に放射能物質が入り込むことには最早了承しないでしょう。法律も強制的に処分することは不可能です。
ここまで対立は国民の対立が読んだものです。ゼロリスク信奉者は自らの発言を持って福島の原発周辺に放射性物質を集積し封じ込めるという方策を自らつぶしました。全く愚かですし、まさに自業自得です。

私の周りもそう感じる方が多いのが実態で、被災地からは関西や西日本あるいは関東のそういった意見を持つ人々を指し、酷薄な人が多いという感想ばかり聞きます。実に残念な形です。
東北市民は震災にあり、冷静さと相互補助の精神を守り、お互い助け合い復興を進めてきましたが、それ以外の日本国民がこれでは残念に感じるのも無理ないことと思います。

【東北の農家の方と福島県民へ】

東北で生産する農家の方々には今は極めて厳しい状況であることは間違いありません。
望む望まぬにしろ、突き付けられた状況は時間では変化はしません。
しかし私は蒸気で述べた幼稚な意見が、国民の総意でないと感じます。
福島県の経済動向はきわめて悲惨ですが、致命的ではまだなく、大部分の人口も残留しています。

かつて、
広島は人の住めない町になるといわれましたが、今は極めて強い産業と独立性の高い地方都市となり、中国地方の雄として君臨します。
長崎も豊かな海産物と極めて高度な造船技術を持って高い競争力を持ちます。
今は彼ら先達の偉業を研究するべきかもしれません。

津波被災地の重被災地も去る人は去り、立ち直れないところも多くあります。
しかし石巻や気仙沼の一部では、既に美しく道路は片付けられ、店や工場は修理され、中には塵一つ無く、生産設備も8月で再稼動したところも多くあります。大手企業ではなく多くが工場の従業員が一日一に一つ筒瓦礫を片付け、部品を修理し、磨き交換し少しづつ進めていった結果です。

動きもがけば必ず救われるとは言いませんが、立ち直り復旧しつつある人は、一人残らず最初からもがき動き回り、諦めませんでした。それだけは共通しています。
光明は行動にこそあるはずです。罵声を浴び屈辱をなめても愚直にただ一つ一つレンガを積んだもののみが生き残れるはずです。
私はそんな人々を心より応援しています。