生きている意味 | そらぶろ

そらぶろ

果物大好き、お菓子大好きな糖尿病の母。
なんとか食生活を改善しようと手伝い中です。

先日、久しぶりに両親に会いました。
母の激太りに呆然。
たぶん1ヶ月で10kg増、倒れて入院する前より太っています。
生活も倒れる前よりさらに怠惰になり、認知症もかなり進んでる。
一時間前のことも記憶できません。

認知症が進むと痛みをあまり感じなくなり、感じるのは倦怠感くらいです。
だから治療にも行かない。
だるいから一日中ゴロゴロしている。
話しかけても「考える」ことができないから、返事はほとんどありません。感情の起伏もゼロ。
ぼーっとしているだけ。
笑うということもめったにありません。

最近思うのは「生きているってどういうことだろう?」です。
苦しんでほしくない、糖尿病の合併症を起こしてほしくない、そんな気持ちから通院させようとしたり、一歩でも歩くように説得したりしますが、もう母にはその必要がないんじゃないか。
もちろん母は「死にたい」とは思ってないけれど、毎日が楽しいと感じることもなく、ただ一日一日が過ぎていくだけ。
健康になるための努力なんて、するどころかその意味もわからない。

これって、周囲が「生きていてほしい」と思って騒いでいるだけで、母にとってはすでに延命措置を施されているような状態なんじゃないかと。
私たちのエゴを母に押し付けているだけなんじゃないかと。

義父のときは病院で最後を待つ状況だったので、もうその時は義父は食べることも話すこともできなかったので、悲しいというより「早く楽になりますように」の気持ちが大きかった。
母は家にいるし、食事もするから「まだまだがんばってほしい」と思ってしまう。

でも、それはどうなんだろう。
もう、次に倒れるまでを静かに待つことが、母にとっても周囲にとっても良いような気さえしています。


今の憂鬱はお正月。
例年2日間泊まったけど、来年はどうしようか。
帰らなければ一人きりの新年を迎えるわけで、それはそれで寂しい。
でも、今の両親と一緒に過ごすというのも、私にはかなりきついものがあります。
見ず知らずの他人の家に泊まる…くらいな感じすら。

親不孝だな、私。