認知症が進む母。
言動や行動は困ることばかりなのだけど、そうでない一面も。
一年くらい前、家庭菜園の庭にトマトを採りに出た母。
転んでしまい、どうしても自分では起き上がれず恐怖を味わいました。
自力では立ち上がれないということの初体験。
父を大声で呼ぶも伝わらず、それに気づいたお隣の方が救出にきてくれたんです。
以来、母は庭に出なくなりました。
また転んで起きあがれなくなるのが怖いから。
起きあがれないショックは大きかった。
その母が、退院後は庭に出まくり。
すだちを収穫して木を剪定、茗荷もすべて収穫。
ニコニコと「こんなに採れたわよ」と。
認知症は近いことから忘れていく。
庭で転んだことはもう母の記憶にはありません。
もちろん転んだら起き上がれないはずです。
そうなったら今度こそ庭は母には悪夢の場所になるんですが…
そうならないで欲しいな。
できないことが増えていくなかで、できることもあるんだということ。
できることが自信になること。
忘れていくばかりでない生活は素敵なはず。
でも、ただいま農閑期。
夏野菜の枯れた葉を処分したら、次に種や苗を植えて収穫するのは冬。
せっかく母が一生懸命になってるのに、母の出番がないのがあまりにも残念。
そして、冬まで何か母が一生懸命になれるものを、今懸命に探しています。
とはいえ…
これは徘徊の確率も高くなったということです。
以前は這ってでないと玄関を降りられなかった母が、杖つきながらスイスイ降りてるから。
今は母がどこに行くのにも父が付いて行きますが、母はそれが不満で「一人で行く!」と主張。
徘徊して迷子になろうと、車に跳ねられようと、正直仕方ないと思います。
でも、人に迷惑がかかる。
場合によっては家族もどん底に落ちるかもしれない。
そこを理解できない母をどうやって諭すか。
道が見つかりません。