- χの悲劇 (講談社ノベルス)/講談社
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香港で開催された人工知能に関するエキシビションの初日、島田文子は、遠田という男に声をかけられた。島田が真賀田研究所にいた頃、愛知県の空港で起きた飛行機事故について訊ねられる。その飛行機に乗っていたはずの当時の同僚:小山田真一とカガミアキラは、実はその飛行機には乗らず生き残り、その後も香港で暮らしていたという。遠田はエックスと呼ばれる彼らの息子の行方を追っていた。数時間後、後輩たち:浅井慎吾と水上みみを伴いランチに行くために乗ったトラムで、偶然乗り合わせた遠田が、殺害されたことを機に、島田の平穏だった日々に変化が現れ、事件の渦中へと投げ込まれる。
この殺人事件は、E・クイーンの『Xの悲劇』 が、舞台を未来に移して、そっくりそのままなぞられています。
こちらは、ギリシャ文字で「カイ」と読むんですけどね。
予習しておいてよかったデス。
でも、本編には、あんまり関係なかったけどね。
で、この殺人事件をきっかけに、きっぱり足を洗って?四季から遠ざかっていたはずの島田文子が、またしても事件に巻き込まれていきます。
自分でも、<後ろ向きに歩いたら、ろくなことにはならない>と自戒しながら、過去を振り向かざるを得ない状況に追い込まれます。
それが、このお話。
そして、驚愕のラスト。
これから読む方は、決して決して、ラストの1ページを、最初に読んじゃだめですよ。
もう、この1ページに、殺人事件よりも重要な「解」(χの正体も含めて)が語られています。
χ=○○くん=カガミアキラと小山田真一の息子
わぉ~、各務亜樹良の息子だよ。
その上、χは、(たぶん)儀同世津子(だと思う)と、結婚はしていないけれど親しい友人関係。
えーっ、こっちも気になる。
凄すぎて、私、絶句でした。
そうくるか?
「Gシリーズ」だしね。
まったく、気づかんかった。
まぁ、いつものことですが。
気づかなかったといえば、島田さんも。
島田さん、ずっと独身だったのね。
四季の元を離れても、仕事一筋だったんだね。
確か、どっかの大学で働いてたって頃、あったよね。
すでに、うろ覚え。
できるだけ強く、大きいものの傘下に入るのが良い。この点では、自分も歳をとったな、と思う。若いときには、そうではなかった。正しいもの、自分が好きなものに寄り添おうと考えていたはず。
と、それなりに歳を重ねて、大人の対応を覚えてきた島田さん。
今さらですが、彼女、四季に目をかけられるほどエリートだったんですね。
中盤で、そのハッカーの才能を買われ、あるサイトに保管されているデータを盗み出すのですが、正直なところ、プログラムなんて全然わからないので、正確には理解できませんでした。
でも、そのバーチャル世界を飛び回る様子が、『虎よ、虎よ!』 でガリー・フォイルが地球上の世界各地をジョウントするのに似ていて、おもしろかったです。
ガリーの場合は、躰を思考で移動させていましたが、ここでは、もはや肉体は不要。
それは、重荷であり、足かせであり、データだけで生きることができるバーチャルな世界こそを理想とされています。
階段を駆け上がるだけで、息が上がり膝が笑う躰。
ちょっと転んだだけで、骨折する躰。
肉体がなければ、メンテナンスの必要もないし、病気や老化からくる痛みや不具合を感じることもなくなる。
洋服を着替えるみたいに、躰を替えて、そんな不自由さから開放され、自由に思考の世界で生きることができたなら。。。
確かに一理あります。
特に、今まで、できていた事ができなくなったりすると、それは切実な願いになります。
でも、……。
それイイと、単純に肯定できないのも確かです。
不自由だから、いろいろ考えて人間は、なんとか折り合いつけながら生きてきたんじゃないのかなぁ。
効率を最優先するところが、四季らしいです。
60年という歳月で、SFはこんなふうに進化しちゃったんですね。
あれ?
森博嗣って、ミステリィ作家じゃなかったっけ?
しかし、その速さについていけないとの自覚も島田さんにはあり、彼女が語る四季は、もはや神。
当時からすべてを理解し、力不足の人間たちのために、余裕をもって未来を用意していたと思しき節が、多々見受けられるといいます。
無駄なものがひとつもない。
天才すぎて、文句のつけようがありません。
そして、この巻では、私、すーっかり騙されてました。
うー、見事すぎて、感激ものです。
特に最後の一行で、ここに描かれた島田文子の行動、思考、言動のすべての意味するところに、そういうことだったのかと唸らせられました。
映像にはできない、小説の特性を最大限に活かした作品です。
知ってしまったけれど、納得できるという気分ではない。世の中の問題の多くはそういうものだ。疑問が解決すれば、また別の疑問が生まれる。