χ(カイ)の悲劇  森博嗣 | 青子の本棚

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「すぐれた作家は、高いところに小さな窓をもつその世界をわたしたちが覗きみることができるように、物語を書いてくれる。そういう作品は読者が背伸びしつつ中を覗くことを可能にしてくれる椅子のようなものだ。」  藤本和子
  ☆椅子にのぼって世界を覗こう。

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香港で開催された人工知能に関するエキシビションの初日、島田文子は、遠田という男に声をかけられた。島田が真賀田研究所にいた頃、愛知県の空港で起きた飛行機事故について訊ねられる。その飛行機に乗っていたはずの当時の同僚:小山田真一とカガミアキラは、実はその飛行機には乗らず生き残り、その後も香港で暮らしていたという。遠田はエックスと呼ばれる彼らの息子の行方を追っていた。数時間後、後輩たち:浅井慎吾と水上みみを伴いランチに行くために乗ったトラムで、偶然乗り合わせた遠田が、殺害されたことを機に、島田の平穏だった日々に変化が現れ、事件の渦中へと投げ込まれる。



この殺人事件は、E・クイーンの『Xの悲劇』 が、舞台を未来に移して、そっくりそのままなぞられています。
こちらは、ギリシャ文字で「カイ」と読むんですけどね。
予習しておいてよかったデス。
でも、本編には、あんまり関係なかったけどね。


で、この殺人事件をきっかけに、きっぱり足を洗って?四季から遠ざかっていたはずの島田文子が、またしても事件に巻き込まれていきます。
自分でも、<後ろ向きに歩いたら、ろくなことにはならない>と自戒しながら、過去を振り向かざるを得ない状況に追い込まれます。
それが、このお話。


そして、驚愕のラスト。
これから読む方は、決して決して、ラストの1ページを、最初に読んじゃだめですよ。
もう、この1ページに、殺人事件よりも重要な「解」(χの正体も含めて)が語られています。

χ=○○くん=カガミアキラと小山田真一の息子

わぉ~、各務亜樹良の息子だよ。叫び

その上、χは、(たぶん)儀同世津子(だと思う)と、結婚はしていないけれど親しい友人関係。
えーっ、こっちも気になる。


凄すぎて、私、絶句でした。目
そうくるか?
「Gシリーズ」だしね。
まったく、気づかんかった。ガックリ
まぁ、いつものことですが。


気づかなかったといえば、島田さんも。

島田さん、ずっと独身だったのね。
四季の元を離れても、仕事一筋だったんだね。
確か、どっかの大学で働いてたって頃、あったよね。
すでに、うろ覚え。あせる


本
できるだけ強く、大きいものの傘下に入るのが良い。この点では、自分も歳をとったな、と思う。若いときには、そうではなかった。正しいもの、自分が好きなものに寄り添おうと考えていたはず。


と、それなりに歳を重ねて、大人の対応を覚えてきた島田さん。

今さらですが、彼女、四季に目をかけられるほどエリートだったんですね。
中盤で、そのハッカーの才能を買われ、あるサイトに保管されているデータを盗み出すのですが、正直なところ、プログラムなんて全然わからないので、正確には理解できませんでした。汗


でも、そのバーチャル世界を飛び回る様子が、『虎よ、虎よ!』 でガリー・フォイルが地球上の世界各地をジョウントするのに似ていて、おもしろかったです。

ガリーの場合は、躰を思考で移動させていましたが、ここでは、もはや肉体は不要。
それは、重荷であり、足かせであり、データだけで生きることができるバーチャルな世界こそを理想とされています。


階段を駆け上がるだけで、息が上がり膝が笑う躰。
ちょっと転んだだけで、骨折する躰。
肉体がなければ、メンテナンスの必要もないし、病気や老化からくる痛みや不具合を感じることもなくなる。
洋服を着替えるみたいに、躰を替えて、そんな不自由さから開放され、自由に思考の世界で生きることができたなら。。。


確かに一理あります。
特に、今まで、できていた事ができなくなったりすると、それは切実な願いになります。

でも、……。
それイイチョキと、単純に肯定できないのも確かです。
不自由だから、いろいろ考えて人間は、なんとか折り合いつけながら生きてきたんじゃないのかなぁ。


効率を最優先するところが、四季らしいです。


60年という歳月で、SFはこんなふうに進化しちゃったんですね。
あれ?
森博嗣って、ミステリィ作家じゃなかったっけ?



しかし、その速さについていけないとの自覚も島田さんにはあり、彼女が語る四季は、もはや神。
当時からすべてを理解し、力不足の人間たちのために、余裕をもって未来を用意していたと思しき節が、多々見受けられるといいます。
無駄なものがひとつもない。

天才すぎて、文句のつけようがありません。


そして、この巻では、私、すーっかり騙されてました。
うー、見事すぎて、感激ものです。クラッカー

特に最後の一行で、ここに描かれた島田文子の行動、思考、言動のすべての意味するところに、そういうことだったのかと唸らせられました。
映像にはできない、小説の特性を最大限に活かした作品です。



本  知ってしまったけれど、納得できるという気分ではない。世の中の問題の多くはそういうものだ。疑問が解決すれば、また別の疑問が生まれる。