…………………………19歳 「瞬間」シリーズ~抱きしめられた瞬間~
「タクシー来ないね。」
「…この雪じゃ、待ってても通らねーかもな。電話してみるよ。」
私は、ガードレールの上に積もった雪を両手ですくい、ゆるく握って玉にした。
電話中の、少しだけ丸まった背中めがけてそれを投げる。
ダウンジャケットのへこんだ縫い目に、ポスンと当たってパッと砕けた。
もう一度、積もった雪に手を伸ばす。
今度は、あの日繋いだ手の温もりを、拭うように雪を丸めた。
「こらっ!雪ぶつけんな!
てか、タクシーダメだ。みんな出払ってるって。諦めて駅まで歩こう。」
雪玉を乗せた右手は、凍ってしまうほど冷たいのに、記憶の隅には今もなお、温かく響いて離れない声。
…『俺が出口まで引っ張ってやるから。』…
この気持ちの出口は、一体どこにあるんだろう。
お化け屋敷みたいに、リタイアできるドアがあったらいいのに。
「おーい、何してるんだ?おいてくぞー?」
想いを振り払うように、ガードレールの雪を全部払い落とした。
手が冷たい。
記憶も温もりも、全部このまま凍ってしまえばいい。
前が見えなくなるほど降り続くの雪の中を、全力で走った。
「あ、こら待てっ!走るとあぶねーぞ。止まれって!おいっ!これでもくらえっ!」
後ろから飛んできた雪玉が、ポスッと頭に当たってふわっと砕けた。
私は、雪の上屈みこむ。
「痛い…。」
「悪ぃ、大丈夫か?」
髪にかかった雪が、私の息に触れて小さな雫になる。
「痛いよ…すごく…痛い…。」
胸が痛い。
雪玉を投げても、全力で走っても消えない痛み。
「おい…ほんとにどうした?どこが痛い?頭?それとも、腹か?」
「大丈夫だよ、ごめ…ん。」
顔をあげ、笑顔を作って立ち上がった拍子に、我慢していた涙がこぼれて落ちた。
「お…い…なんだよ?なんで今更泣いてるんだよ。あんとき、もう大丈夫だって言ったじゃねーか。
…てか、一人で泣くな、泣くなら俺んとこで泣けよ!」
…っ‼︎
首の後ろに強く腕が回され、あっという間に引き寄せられた胸の中。
初めてこんなに強く、男の人に抱きしめられた。
「雄…大…?」
「…もう忘れろ。俺がずっとこうしててやるから。」
自分を抱きしめてくれる人が、この世にいると知った19歳。
その日は、久しぶりに雪が降ったクリスマス。
数日前、けいちゃんから、家でクリスマス会をやろうと誘われていた。
クリスマスもバイトなので断ると、終わった後でもいいというので断りきれず。
朝からずっと悩みの種。
「クリスマスだってのに、なにため息ついてんだよ?」
そこに一艘の助け舟。
「雄大…今日一緒に行ってもらいたいところがあるんだけど。」
食べようとして開けた飴を、雄大の手に乗せる。
買収のつもり。
「え?いいけど。真田が俺を誘うなんて珍しいな。もちろん行くよ。」
「クリスマスなのに、いいの?」
「クリスマスだから、いいんだよ。」
「は?」
雄大は、手の上に置かれた飴を口に放り込んで、いつもの場所に座った。
「てか、俺、今日スーツとか着てきてないぜ?」
「スーツ?」
雄大は、休憩室の窓を開けて外に手を出した。
「なんだよ、ホワイトクリスマスかー。あー、早くバイト終わらそーぜ!」
雄大とは、相変わらずのバイト仲間で、4月からは大学も同じ。
と言っても、学部が違うので、校舎は別。
学内では、顔を合わせることはほとんどなかった。
「…なんだよ。行きたいとこって、ここかよ。」
「うん…ここ。」
3月の終わりに引っ越しの連絡をもらってから、初めて来たけいちゃんの家。
ずっと一人で来る勇気がなかった。
高校を卒業して、大学の準備を始めていた3月の終わり、けいちゃんからメールが届く。
『叶哉と婚約し、4月から一緒に住むことになりました。場所は…
…え?婚約って?
…突然すぎて感情が追いつかない。
そのとき、手に持った携帯が、音を立ててブルブル震えた。
画面を見ると、雄大からの着信。
「今、叶哉と会ってきた。あいつ、チームの独身寮に入ることに決まってたのに、婚約したから別の場所に住むことになったって言うから。」
「…私も、さっきけいちゃんから連絡が来て…。」
言葉に詰まる。
連絡が来て…悲しかったって言おうとした自分に驚き、ブレーキをかけた。
違う、これは喜ぶべき報告だよ。
「…真田?…大丈夫か?」
「な、なにが?」
「とりあえず駅まで出てこいよ。昼メシおごるから。話はそのときに。」
叶哉は、雄大になんて言ったのだろうか。
私は、すぐに着替えて駅に向かった。
「こっち。」
雄大を見つけて、向かいの席に座る。
「なに食べる?俺は、このハンバーグの大盛りにするけど。」
私は、雄大から差し出されたメニューを見ずに応えた。
「…カフェオレでいい。」
「メシは?」
「いらない。」
わかったと頷いた雄大が、店員を呼び止める。
「すいません、カフェオレ2つ。」
「あれ?雄大 ご飯は?ハンバーグ食べるって…。」
「ああ、さっき食ったの忘れてた。今は腹一杯。それより、叶哉のことだけど…。」
雄大は、声のトーンを落として、叶哉の様子を話し始めた。
「…卒業式の時、俺にさ、あらたまって礼を言ってきたんだよ。遊園地のアレ。あの試合で叶哉はスカウトされて、チームに所属できたって。
これから表舞台で活躍できるように、練習頑張るからって、寮の住所を教えてくれてさ。
彼女は?って聞いたら、大丈夫だって言ってたから安心してたんだけど…いきなり婚約って…友達の、俺にひとこ…
店員が来て、押し黙る雄大。
カチャンとコーヒーが置かれて、私はミルクを、雄大は砂糖を手に取った。
サーッと砂糖が落ちる音。
ミルクを垂らせば、グルグルと渦を巻く。
「…俺に、一言の相談も無しだぜ?ありえねーよ…って、怒鳴ってきた。」
「ど、怒鳴ったの?」
「ああ、怒鳴ったし、頭も引っ叩いてきた。」
「引っ叩いた?」
「引っ叩いたのは、真田の分だけど。」
「は?」
雄大は、水をクッと飲み干した。
「なんでそんな急展開になったのかは、あいつ、最後まで言わなかったよ。」
「…そっか。」
私は、カップに口をつけた。
熱くて飲めなくて、もう一度お皿にカップを戻す。
「なあ真田…もう、ここまできたら叶哉のことは諦めろ。」
雄大の言葉に驚いて、触れたままのカップがカチャンと音を立てた。
「叶哉のことが好きなんだろ?」
「…バレてたか。」
叶哉を好きだとはっきり言われて、胸がキュッとなる。
「うん、でも大丈夫。諦める。心配かけてごめん。ありがとう。」
私は、この日、叶哉を諦めた。
…はずだったのに。
…………
※19歳のお話は、時系列を前後させて書いてあります。
①最初のシーンは、叶哉とけいちゃんの家を出て、雄大と一緒に帰っているシーンです。
雄大に抱きしめられたところまで。
本来ならここが一番最後にくる場面です。
②次が、クリスマスのバイト先でのシーン。
③その次が、雄大と一緒にけいちゃんの家に着いたシーン。
④最後は、高3の卒業式後にけいちゃんから婚約の連絡を受け、雄大と会って話したシーン。
つまり、時系列は
4.2.3.1となり、最初と最後の順番を組み替えてあります。
雄大に叶哉のことが好きだとバレたのは、大学入学前の3月です。
分かりづらい書き方ですいません。
よろしくお願いします。