あまり出歩かない方なので気がつかなかったが、常熟にもメイソウという店ができている。この店が日本でどの程度知られているのかよく知らない。ネットで調べてみると、『ダイソーっぽくてユニクロ風味、それでいて無印良品』などと揶揄され、ニセモノ天国中国を象徴する悪玉代表のような存在だ。

  商品の裏には、ご丁寧に東京都中央区銀座云々なる架空の本社所在地が印刷されており、かなり手の込んだニセモノぶりとでもいうか。驚いたことに、この店は東京にも実体店舗を持っているらしい。あきれてしまうが、逆によくそんな店を開くことが可能だったものだと感心する。

  実は言いたいことは別の部分である。ネットでの評判をいくつか見てみると、このメイソウなる店、ダイソー、ユニクロ、無印良品の3つの良いところをすべてパクっているから、罪は3倍であるかのような批判である。しかしこれは違うと思うのだ。罪は3分の一というべきだろう。

     なぜか?

160215


  確かに物真似はよくない。ただ私はこのように思う。本当にオリジナルなものという物は、そうやすやすと生み出されるものではない。私は自然科学出身だが、何か一つの分野を研究し、新しい成果を目指そうとする場合、最初の段階は既存の研究成果を徹底的に調べる。つまりは勉強する。これに膨大な時間を費やす。そして実際はその分野を下調べ、つまり勉強している間に、幾多の先行研究の組み合わせの中から未だ前人未踏の新しい領域、研究テーマを見出すのである。

  これは実感として言うのだが、オリジナルな仕事というのも、あちらこちらから自分なりの観点で、集めた既存技術の組み合わせの塊の上に、自分のアイデアという実に薄い皮を乗せたものというだけのものなのである。科学というものはそうやって進歩してきた。iPhoneが初めて発売されたとき、どこに革新技術があったのだろう。私はその方面に暗いが、そのほとんどは既存の技術の組み合わせだったのではないだろうか。

  少し極端な言い方を許していただきたい。過去の日本がそうであり、現在の中国がそうであるように、先進の技術や文化を徹底して研究し真似ることはオリジナルへの、唯一かつ必須のステージであるとさえ私は思うのだ。それは単一のモノの模倣に始まり、やがて複数の良い物の組み合わせへと進化する。その複数が2つが3つ…と増え、仮に100レベルのものが組み合されれば、それはもはや模倣ではなく、オリジナルなものとなる。

  メイソウという店も、もちろんそれ自体は好ましいとは言えないが、今までの中国にはなかったやや進化した模倣の姿を示しているのかもしれない。