常熟から

江蘇省常熟にて


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  日本ではスイカは夏の食べ物であるが、中国ではたいていのレストランで、スイカは食後のデザートとして出てくる。スイカ好きの私にはありがたい。スイカは子供の頃の夏の思い出につながる。幼少時、父と一緒にスイカを食べていて、父がスイカに塩をかけて食べるのを見て驚いた。父曰く「こうすると甘さが引き立つんだよ。」ほう。他にも、トマトに砂糖をかけて食べるやら、ごはんにマヨネーズをかけて食べるやら、世の中には奇妙な人たちもいる。まあ、人の好みは各人各様、当人にとっておいしければそれでよしとする。

 

  スイカといえば、なんといっても最難関はタネ。しかもよりによって、タネの多いところがスイカの最もおいしいところである。もちろんスイカにとってみれば動物に種を含む果肉を食べてもらってタネ、つまり子孫を広く拡散してもらわねばならぬから当然のことではある。

 

 

  思うに人生はスイカを食べるに似たり。人生の入り口。食いつきのひと口はたいそう甘い、タネもないのでなにを気に病むことがあろうか。しかしこの部分というのはあっという間に終了。食べ進むと必ずタネ多き部分に突き当たる。ここへ来て初めて人は、スイカを食べるとは、食べながら同時にタネを取り除く作業であることに気がつく。いきおいタネ取りに心を奪われ、美味しい果肉を味わうことを忘れてしまう人もいる。実に多い。そして、やっとこさタネの無いところにたどり着いたら、実は残りの部分は少し。味気ないところしか残っていなかったりする。

 

  日本人として、私はコツコツ地道に生きてきたつもり。大学入試に始まり、就職、結婚、子育て、子供の教育等々、何かにつけて厳しい競争の中、なんとかやってこれた。気がつけば60歳、昔ならおじいちゃん。しかし今のご時世、悠々自適などほど遠く、多少肩の荷が軽くなったかなという程度。しかし、待てよ? 荷物が軽くなった分、ひょっとして残りの人生はスイカの最後のタネなき部分のように、まったく味気ないものになるのでは? そう、いろいろやっかいな事は多くても、やはり悩みのタネ多き部分こそ人生の「芯」とでもいいましょうか。

 

  私は、50近くになって中国とかかわりを持ち、中国語も文字通り50の手習いで一から勉強した。いまではどっぷり中国に浸かった生活を送っている。もちろん他の選択肢もあったろうが引き返すわけにもいかない。これで良かったと思っている。私にとっての中国というのは、人生にちょっとした彩りと、味わいをつけてくれるものになっている。先のことはわからない。しかし、私の人生終盤戦には、中国という調味料をかければ、それなりの美味となるのではと勝手に思っている次第。

 

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    常熟に、藕渠という村がある。藕とはレンコンのこと、渠とは人の手になる水路のことであるから、なかなか趣のある地名であると思っていた。市中に住み東南開発区へ出勤している自分にとりこの地は通勤途上にある。開発途上の中国の街々は皆そうだが、ここ常熟でも近代的な街並みの合間あいまに、まだら模様のように昔ながらの生活を維持している村が点々とある。ここ藕渠もそのような地域の一つである。

 

    通勤車はそのまだらの一つ、藕渠村のいわばメイン通りを一時突っ切って走る。この場所を過ぎる時のみ、世界が変わったように昔ながらのいわゆる中国らしい街並みをつかの間眺めることができる。119番のバスで、あるいは会社の専用車でこの場所を通るたび、いつか降り立って散策してみたいと思っていた。そしてこのルートを通勤路にしているかなりの日本人が実はそう思っているのではないだろうか。しかし人生何かにつけ寄り道好きな私にして、5年余の常熟生活で初めてこの場所に立ってみた。

 

 

    果たして、散歩人としての私の勘を裏切らない魅力的な場所である。常熟市民の生活の香り、というより匂いが漂い、かつて自らが幼年時代に体験したような昭和中期の日本の小都市を彷彿とさせる小さな村である。常熟あるいは中国でお勤めの方々にはぜひ、私のように5年をまたず、早い時期に、途中下車してこのような中国の懐ともいうべき場所を散策してみてほしいものである。

 

    人生というのはこのような寄り道で成り立っているのではないか。寄り道の少ない人生はじつは中身の少ない人生ではないかと、初老と言っておかしくない年代になって初めて気づく。高度成長期を駆け抜けてきた。効率を求め続けた仕事人生の中で、ムリ、ムダ、ムラなど、そんなものは取り除くことが当然と思っていた事がら、モノの中に、実は価値あるものが潜んでいる。むしろ人生そのものがなにがしかの寄り道であるという言い方も極端ではないのではないかと、今になって思う。

   

    道草をしてはいけない、まっすぐ帰ってきなさい。寄り道は悪であると躾られた世代である。実のところ寄り道ほど楽しいこと、人間的なこと、そして価値あることはなかったのである。

 

    陳腐な物言いで申し訳ないが、バブルがはじけ心の時代が来ると言われて久しい。本当の心の時代、真に成熟した時代には、まだまだ時間がかかるのではと、初夏のような日差しの中で思った。

 

2017年春 常熟

 

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    昭和32年生まれである。素晴らしい時代を生きてきたと思う。東京オリンピックの高揚感は小学生の時、地元大阪での万博に足繁く通ったのは中学生の頃である。自己の成長と日本の高度成長がみごとなまでに同期していた。厳しい受験戦争も過ぎてしまえば良き思い出となり、社会に出てからの浮き沈みもまた激しかった。二度にわたる石油ショックとそれを乗り越える涙ぐましい企業努力。そして30過ぎでバブルの喧騒を経験したと思いきや、急転直下の崩壊劇。そこでも再び這い上がる努力だけは負けてはいなかった。30代後半を過ぎ人間的に安定を求める時代になってようやく、良い意味でも悪い意味でも日本も自分も安定へ向かった。


    おそらく同世代のほとんどは、成長志向の只中を、ひたすら未来を見つめて生きてきた。苦労の多かった少し前の団塊世代の先輩には、多少の負い目を感じつつも、夢を描き、よりよい社会の実現のために少しでも貢献したいと青年のような心持ちで頑張るだけが取り柄であった。そんなに遠い未来のことはわからないが、5年度10年後の未来に照準を合わせ、その時その時の満足感は、多少我慢しつつ生きる。それは一つの素晴らしい生き様ではあった。30歳なら40歳までの目標、40歳なら50歳、50歳なら60歳までにどうありたいかなどとあらかじめ目指す場所を設定し着実に歩み続ける。


    そして60歳、還暦を迎える。60歳にとって10年後は70歳。まあ確率的に今の平均年齢なら生存はしているだろうが、60歳で次の10年の目標を従来通りのち密さで立てる人間もあまりおるまい。物心ついてから半世紀の間、時代の要請も手伝い、常に前を、未来を見据えて生きてきた世代である。我々世代にとっての60はコペルニクス的転回点となる。必然的に。

 

 

    つまるところ人生は今にしかない。そんなこと、何を今さらということにもなるが、「今を生きる」という姿勢を貫くことが最高の幸福につながるということに気が付く。初めて気が付くのである。10年後の老いを憂うのではなく、今ある生に集中することの素晴らしさを、過去の生きざまと対比しつつ実感することができるのである。


  目の前にぶらさがったニンジンを求めてしゃにむに駆けていた馬が、本来の野生の自分を取り戻したかのように、意のままに大地を踏みしめる感覚を楽しみつつ、自由に走ることができるようになる。

外見上は変わらなくとも、そのような劇的な変化を体感することができる。それが昭和30年代前半生まれ世代への、いわば時代がくれたご褒美ともいうべきものなのかもしれない。


   「どうせ死ぬのになぜ生きるのか (PHP新書)」おどろおろどしいタイトルではあるが還暦を迎えた同世代の皆様にはぜひ一読いただきたい書物である。

 

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