常熟は雪である。便利な小区に住んでいて、週末雪の中を歩くことなく食事や小さな買い物などの用を足すことができ、不自由しない。引き籠り生活である。ここ常熟に赴任してまもなく4年になろうとするが、よく考えてみるとここ2年に限って言えば、実際上仕事場と自宅以外の場所へはほとんど出ることはなかった。自宅も仕事場の延長であるから、つまるところ仕事以外のことをしてはいない。日本へ所用で往復することは多いが、それとて短期間で多くのことをこなそうとつい欲張り息つく暇もない。

    日本のかつての職場で、尊敬する上司から、役員と部長の違いは何かという問いに対する明快な答えを聞いた。いわく、役員というのは、24時間仕事のことを考え続ける人間であるということであり、その部分が部長ごときとは違うのだと。自身が新米部長であった当時はそれを聞き、役員などにはなりたくはないものだと思ったことを記憶している。

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    さらに上の、組織全体を預かる社長ともなるとさらに常人の届かぬ境地にいる。数代前、現職で病に倒れた社長がいた。死の数分前までビジネスのこと、従業員の幸せを気にかけつつ、志果たせず亡くなられたという美談を、その場に立ち会った先輩等から聞くにつけ、自分とは異次元の世界に住む人たちと尊敬しつつも、また一方多少不謹慎ではあるが一種憐みのような冷ややかな見方を持って見た自分があった。

    人間であるから、というのも実は変な理由なのだが、たまには仕事のことを忘れ好きな趣味に没頭するとか、またある時には気ままな旅行を楽しみたいとか、そういう欲望を捨ててまで、組織の中で高い地位を得たいとはさらさら思わなかった。極端に言えば、私には彼ら会社幹部が、自らの私生活の楽しみを犠牲にして会社に尽くす奴隷のように思えたのである。

    2年前、起業というにはいささか恥ずかしいぐらいの小さな会社をここ常熟で作った。小さくとも生み出したからには存続させたい。少ないながらも、そこで協力してくれる人たちには報いてやりたい、という気持ちは、自然に起こってくる。それは義務だの責任だのといったものとは全く次元の異なる、自分でもあきれるぐらい純粋なる感情なのである。そして振り返れば24時間ひたすら"所謂"仕事に没頭する自分がいる。

    そしてそういう毎日を送る自分を、実際のところ悪くはないと思っているのだ。