【春の長崎めぐり編 その1】
平成28年5月4日(祝)、晴れ
前話から少し話は遡りますが、この日は入学直後で、
部活が休みだったことから、久々に長崎にやって来ました
「青ブロ」で長崎の記事を書くのは二度目になりますが、
果たして今回はどんな旅になるのやら・・・
まず、最初に訪れたのは「平和公園」
(いきなりポーズをとってくれるなんて、かなりご機嫌ですね~)
「平和公園」とは、原爆の悲惨さを伝え、世界平和をはかるために
終戦から6年後の1951年(昭和26年)に造られた公園です
入口に立つと、右手にエスカレーター、左手に階段が見えてきたので、
当然エスカレーターに向かうのかな~と思っていたら~
『えっ、階段を上るの~』
と声をかける間もなく、ひょいひょいと階段を上ってましたよ~
それも階段ではなく、上りにくい隣の斜面を・・・
それにしても、若いってのは元気があって、いいよね~
そして、公園内に足を運ぶと、さっそく噴水がありましたが~
ここには、「あの日のある少女の手記」の一文、
「のどが乾いてたまりませんでした。水には油のようなものが一面に浮いていました。
どうしても水が欲しくて、とうとう油の浮いたまま飲みました」
が書かれていました。
この平和そのものの公園は爆心地のそばにあるので、
原爆投下後はきっと物凄い状況だったんでしょうね~
その後、まっすぐ続く道をテクテク歩き~
チェコスロバキアから寄贈された銅像等を眺めていると~
『おお~っ』
正面に「平和記念像」が見えてきました
因みに、「平和記念像」は9.7mの高さがあり、
天を指した右手は原爆の脅威、水平に伸ばした左手は平和を表現しているそうです
僕は小学生の頃からここを何度も訪れており、
そのたびに『これからも平和な世が続きますように』と祈っていますが~
『お~い』
息子君も家庭・学校で教え込まれ、知識も充分ありますが、
ついついおふざけしちゃいました
ご勘弁を・・・
その後、「平和記念像」の隣にある「折鶴の塔」に飾られたたくさんの折鶴を眺め、
原爆で亡くなった方のご冥福とこれからも平和が続きますようにとの願いを込めて~
「平和の鐘」を二人で鳴らしました
最近では、北朝鮮の核問題とか話題になっていますが、
どの国も二度と人類に対して使用されないよう祈ってますよ~
そして、この日は朝からメッチャ暑く~
長崎名物の「ちりんちりんあいす」(150円)があったので、早速1個ゲットしましたが~
このアイスは毎度のことながら綺麗なバラの形をあしらっていて、一口食べると~
『やっぱ、美味か~』
僕が生まれるもっと前の1960年(昭和35年)から販売されてる「ちりんちりんあいす」は
昭和の素朴なプレーンの味わいが最高でしたよ~
その後、「平和記念公園」の入口に戻り、左手に向かうと~
(1枚目の画像では右手の方向です)
「聖徳寺(しょうとくじ)灯篭」が静かに佇んでいました
「聖徳寺」とは、爆心地から1.5km離れた場所にあるにも係らず、
原爆により本堂等の建物が全て崩壊したものの、
この一対の灯篭だけが倒れず残ったことから、
原爆の惨状を後世に伝え、平和への祈りを込めるため、この地に移設したそうです
そして、何やら人が集まっていたので、近寄ってみると~
「原子爆弾落下中心地」に建立された「原爆殉難者名奉安」がありました
1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分に投下された原子爆弾は上空500mでさく裂し、
当時人口24万人だった長崎市民のうち、7万4千人もの尊い命が奪われました
このような惨状を目の当たりにすると、人が人を殺し合う戦争はもちろん、
大勢の罪なき人々を殺戮する核兵器など、この世からなくなればいいなと強く思いました
そして、ここには「被爆当時の地層」があるというので、近づくと~
原爆によって壊された家の瓦やレンガ、熱によって焼けた土や溶けたガラス等が
現在でも治療に埋没しているため、大切に保存しているとのことでした
この土や瓦等は今も当時のことを忘れずにいるんだなと思うと、思わず目頭が熱くなりました
目の前を流れる静かな川を眺め、あの日あの時までは静かな時間が流れていたかと思うと
改めて平和のありがたさが身に染みてきました
原爆の跡地を辿りつつ、長崎の旅はまだまだ続きます