【福を呼ぶ町、下関へ その6】
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
「海響館」でペンギンやアシカ等を満喫した後
15分ほどテクテク歩いて、「赤間神宮」にやって来ました
「赤間神宮」とは、1185年に「壇ノ浦の戦い」で
平家一門とともに齢8才の若さで入水して命を絶った安徳天皇を祀った神社です
当神社は1191年に勅命により建立されましたが
誰しも子供の頃に聞いたことがある「耳なし芳一」の舞台でもあるんですよ~
まずは大きな鳥居を潜って、境内に入ってきてから~
巨大な絵馬があったので、恒例の記念撮影をしました~
そして、平家一門が入水する際、二位の尼(平清盛の妻)が詠んだ
「今ぞしる みもすそ川の おんながれ 波の下にも 都ありとは」の詩に因んで
1958年(昭和35)年に世界初の竜宮造りとして建立された「水天門」を潜って~
それにしても、この門は神社というより、「竜宮城」の方が似合ってますね~
「青ブロ」恒例の階段
と言っても、30段もありませんが~
「壇ノ浦の合戦」で亡くなった安徳天皇や平家一門の人々や
でも、息子くんには今一つピンと来ないみたいで
因みに、「平家ガニ」とは人間が怒った時の表情をしており
瀬戸内海や九州北部沿岸で見られることから
「平家の亡霊が乗り移った」との伝説が生まれたんですよ~
その後、社務所前を左に曲がると~
海難・水難で命を失った方が水天宮(安徳天皇)のお膝元に冥るための
ここには、今も「耳なし芳一」が琵琶を奏でていました~
「耳なし芳一」の話は皆さまご存知と思いますが、簡単に書くと
「平家物語」の弾き語りが得意な
盲目の琵琶法師である芳一の元を一人の武士が訪れ
高貴な方の屋敷で「平家物語」を演奏するよう請われ毎晩出かけていました
しかし、毎晩出かける芳一のことを不審に思った和尚が後を付けさせると
安徳天皇の墓前で多くの鬼火(平家の亡霊)に囲まれ、琵琶を弾き語っていました
このままでは芳一の命が危ないと感じた和尚は芳一の全身にお経を書き
平家の亡霊に見つからないようしましたが、耳だけ書き損ねたため
亡霊に耳をもぎ取られたんですよ~
って、ちょっと端折りすぎかな~
それにしても、この芳一の姿を見てると、今にも琵琶を弾き語りそうな雰囲気だったよ~
何ともやるせない気持ちでいっぱいでした~
因みに、門前からはこんな眺めが広がってました~
そして、この隣にあるのは「安徳天皇阿弥陀寺陵」で~
残念ながら中に入ることはできませんでしたが
僅か8才の若さで命を絶たれた天皇のご冥福をお祈りしました
そして、境内から海に向かってまっすぐ歩くと~
大きな碇の向こうには~
「思い上がって得意になっている人も、その栄華は長くは続かない。
それはちょうど、春の夜の夢のようである」
と唄われた「平家物語」のフレーズにあるように
平家一門の無念の思いが蘇ってくるような感じでした
今の平和の世の中に感謝しつつ~
下関の旅は、まだまだ続きますよ~
【「青ブロ」のバックナンバー】
「源氏ゆかりの鶴岡八幡宮」
「平家ゆかりの厳島神社」