【福を呼ぶ町、下関へ その2】
歴史好きの人間にとって、決闘の地というフレーズを聴くと
心踊らされるものがあります
下関には前作でも書きましたが
壇ノ浦の戦い(源氏vs平家、最期の戦い)
下関戦争(長州藩vs英米仏蘭連合軍)
など、日本史上有名な戦いが繰り広げられた場所がありますが
日本史上最も有名な決闘の舞台があるんですよ~
その名はズバリ「巌流島」
歴史があまり好きではない人でも
この島の名前は聞いたことがあるんじゃないかと思いますが
この島では、アントニオ猪木とマサ斎藤が1987年(昭和62年)に戦い・・・
って、それもありますが、それよりず~っと前
江戸時代初期の1612年4月13日に
宮本武蔵と佐々木小次郎が戦った場所なんですよ~
下関には、今まで何度も訪れたことはありますが
未だかつて巌流島には上陸したことがなかったこともあり
ワクワクしながら、まずは恒例の記念撮影
『あはは…』
どこに行っても、やること同じだよね~
その後、9時40分発の「巌流島上陸クルーズ」に参加するため
船乗り場に向かい、往復運賃800円を払いましたが~
この「巌流島上陸クルーズ」は巌流島に上陸するだけでなく
関門海峡の見所を眺めつつ、クルージングするとのことで~
親子して期待感を膨らませながら、船に乗り込みました
早速、2階の展望デッキに上って~
またまた恒例の記念撮影をしましたが~
『船を持ち上げるんだ~』
と突然気合いを入れだし、本気で船を持ち上げてました
って、まだまだやることが可愛いわ~
さっそく船は出航し、関門橋の方に向かいました
ここで、関門海峡のことを簡単に説明すると~
向かって右側が九州、左側が本州で最も近い場所は約500m
1日の船の通行量は約550隻
流速は鳴門海峡、来島海峡に次ぐ国内第3位
交通手段は関門橋(高速道路)と関門トンネル(歩行可)と船
以上、「青ブロ」豆知識コーナーでした・・・
その後、船は竜宮城のような姿を見せる赤間神宮前で折り返し~
(残念ながら、関門橋を潜ることはできませんでした…)
下関市が誇るシーサイドモールの「カモンワーフ」を横目に見つつ~
アミューズメントパークの「はい!からっと横丁」前を通りすぎると~
潮風を全身に浴びつつ、武蔵や小次郎の気分に浸っていると
目的地「巌流島」が見えてきました
この島で、宮本武蔵と佐々木小次郎との決闘が行われたかと思うと
歴史ファンならずとも心躍るものがあり~
ワクワクしながら、遂に足を踏み入れました
因みに乗船時間は15分程度でしたが
帰りの船は10時35分(その次は11時15分)なので、ちょっと急ぎながら~
しっかりと、島の地形をお勉強
巌流島は武蔵・小次郎の決闘が行われた頃と比較すると
埋め立てされたことにより、当時の5倍ほど大きくなったそうです
そして、下関には坂本龍馬が滞在していたこともあり
こんな碑も設置されていましたよ~
そして、岸壁と言えば、やっぱり石原裕次郎ばりにこのポーズ
う~ん、決まってるわ~
そして、何やら不思議な船と木を発見したので~
『あはは…』
これは「決闘の地木碑」と「巌流島文学碑」と呼ばれていますが
寝そべって写真を撮るなんて、まったくこの親子は~
その後、行き交うタンカー等を眺めつつ~
テクテク歩いて行くと~
『おお~っ』
遂に宮本武蔵と佐々木小次郎の銅像を発見しました
この像は、船の櫂を削った木刀を振りかざして宙を舞う武蔵と
三尺一寸(約103cm)の太刀を持つ小次郎の決闘シーンを再現したものなんですよ~
それにしても、この銅像はどの角度から見ても見事で~
立ち位置を変えながら~
さまざまな角度から、いっぱい写真を撮って~
最後に、記念撮影をしました~
そして、下の方を眺めると~
そこには、決闘の場所をイメージした約90mの人工海浜があり
往時の決闘シーンが蘇るような感じでしたよ~
因みにこの船は武蔵が乗って来た船をイメージして設置されているらしく~
これまた、パチリパチリと写真を撮りましたよ~
そして、まるで小次郎が武蔵を待ち構えるかのように、真似して立つ息子くん
吉川英治著「宮本武蔵」によると~
約束の8時を2時間過ぎても現れない宮本武蔵
苛立つ佐々木小次郎が待ち構えるなか、漸く到着しましたが
怒りに任せて刀の鞘を投げ捨てた小次郎に
「佐々木小次郎 敗れたり」
「なにっ ?」
「勝つつもりがあるなら、何故鞘を捨てた。その鞘に再び刀が戻ることはあるまい。」
とのやり取りの後に、下から切り上げようとした佐々木小次郎の頭上に宮本武蔵が木刀を打ち下ろしました
この決闘の模様は諸説あるみたいですが
結局佐々木小次郎はこの決闘に敗れ、この地で息を引き取ったそうです
命を賭けた決闘とはいえ、哀しい話ですね
その後、再びテクテク歩き出しましたが~
平和そうな雰囲気を醸し出す草原を目の前にして
息子くんは既に遠くに走り去っていました~
因みに、巌流島は正式名称を「船島」と言いますが
敗者の小次郎の流派「巌流」の名がこの地に残されて
一般的に「巌流島」と呼ばれるようになったそうです
そして、ここには「佐々木巌流之碑」があるので~
静かに手を合わせ、佐々木小次郎に想いを馳せました
そして、船着場に戻ってくる途中で「船島神社」を発見したので~
ここにもしっかりお参りしましたよ~
その後、迎えの船が到着するまで、海を眺めていると~
漸く船が現れて~
無事に下関の街へと戻って来ました
最後にすっかり意気投合したイケメンの職員さんと記念撮影して
巌流島への1時間の旅は終わりを告げました
次回はお楽しみのランチ編
楽しみにしていた下関でのランチは、皆さまのご想像通りの食べ物ですよ~
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「決戦!!川中島の戦い」編