【呼子で潮風を感じて編 その3】
『露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢』
呼子の町に別れを告げ、向かった先は名護屋城跡
名護屋城とは、今から約420年前、日本国内を統一した太閤秀吉が
中国大陸に出兵(文禄・慶長の役)するため軍事拠点として築かせた城です
総面積は17万㎡で、当時としては大阪城に次ぐ規模で
半径3kmの範囲に約130の大名陣地、人口10万人を超える城下町があり
史上かつてない一大城塞群の偉容が造り出されていたそうです
車を運転しつつ、そんな事を考えていると、呼子の町から10分ほどで入口が見えてきました
車を駐車場に停め、名護屋城跡の見学前には、まず「名護屋城博物館」にてお勉強
ここには、教科書に出てくる豊臣秀吉画像など、貴重な資料が展示されていますが、何と無料で入館可能
『よっ、太っ腹』
と、軽口を叩きながら早速入館しました(もちろん心の中で)
『おお~っ』
中に入ると、当時の名護屋城の模型が飾ってあったので、食い入るようにパチリ
東松浦半島を城塞化していただけに、かなりの規模ですね~
因みに天守閣は一番上の真ん中に見えますよ~
少しアップすると、城の全体感が分かりますね~
そして、搦手口から見た天守閣
五層七階の天守閣は壮観ですね
そして、圧巻だったのはこの巨大な船
向かって左は日本水軍の最強軍船「安宅船」、右は朝鮮水軍が誇る「亀甲船」です
因みに、この戦いは日本軍約15万人、明・朝鮮軍約25万人の兵が投入され
数十万人の尊い命が失われた後、秀吉の死により日本軍が撤退し、幕を閉じました
年老いた秀吉の無謀とも言える夢の代償は、あまりにも大きすぎますね
そして、博物館を出た後は、入口付近で弓矢体験をしていたので、息子くんがチャレンジ
的までは届きませんでしたが、結構遠くまで飛んでましたよ~
そして、いよいよ「名護屋城跡」(入場料100円)へ
早速「大手口」から入城して~
「東出丸」で、あまりにも景色がよかったのでパチリ
ここでも爽やかな風を感じて、気分爽快でした
そして、すっかり林となっている「三ノ丸」を通り抜け~
漸く「本丸」に到着しました
そして、その奥には五層七階建ての天守閣があった「天守台」へ
ここには、当時の模様が分かるよう「名護屋城跡並びに陣跡」があり
改めてこの城の壮大さに目を奪われました~
そして、うっすら見える壱岐・対馬をの~んびりと眺めつつ
太閤秀吉もこの景色を見ながら、中国の王になる日を夢見ていたのかな、と感慨に浸っていましたが~
『お~い、危ないぞ~』
写真を撮った後、姿が見えないと思ったら・・・
全く油断も隙もあったもんじゃないですね~
因みに冒頭の句は、秀吉辞世の句
激動の一生を駆け抜けた秀吉が人生の儚さを謳った句ですが
往時の名護屋城を偲んでいると、僕にも何だかその気持ちが分かったような、そんな気分になりました~