【火の国熊本編 その3】
打ち合わせは予定通りに15時30分に終了したので、再びお楽しみのフリータイムへ
次に向かったのは、熊本市内観光の定番中の定番
天下の名城「熊本城」です
「熊本城」とは、中世の頃から存在していた「隈本城」を加藤清正が取り込み
現在の姿に築いたものです
「日本三大名城」の1つとしても有名ですね
入口に向かって歩いていると、派手派手しい神社が見えてきました
「熊本城稲荷神社」ですね
この神社は、熊本城築城の神・城下町繁盛の守護神で
現在では、商売繁盛の神として、地元だけでなく多くの人に崇敬されています
そして、今まで各地の神社をご紹介しましたが、ここにも「輪くぐり」がありました
その名もズバリ「知恵の輪くぐり」
今回は、時間がなかったのでスルーしました
因みに後ろにいる巫女さんみたいなのは、首から上を出して写真を撮る
記念撮影用でおなじみのものですよ~
(これ何て言うんですかね。わかる人いたら教えてください)
そして、いよいよ入口へ
入園料500円を払い、いざ突入
と、言っても17時には閉園されるので、急ぎ足での観光となりました
5分ほど歩くと、天守閣が見えてきました~
日本三大名城の一つと言われるだけあって、立派な姿に感動しますね~
そして、天守閣の手前に来ると、何やら怪しいものを発見したので
近づいていきました
中を覗き込むと、それは井戸でした
築城の名人と言われた加藤清正は、朝鮮出兵の「蔚山城」篭城戦での苦しい経験から
井戸を重要視していて、城内に120もの井戸を掘ったと言われています
この井戸は水面までの深さが36mあるそうです
そして、危険と書かれたこの看板
石垣は裾の方は扇のように勾配が緩やかであるため、敵武者が登れるように見えますが
石垣の八合目あたりからは反り返って殆んど垂直になり、それ以上は登れず、引き返すしかないんです
皆さんは、そんな石垣ならば登るような輩はいないと思うでしょ
でも、違うんですよ
ここで、突然話は30数年前、僕の小学校の修学旅行に飛びますが、引率の先生から
『おい男子、この石垣は登れないから登ってみろ』
と言われ、一斉にみんなでよじ登り、全員あえなくギブアップしたのが、鮮明に思い出されます
今じゃ大問題になるかもしれませんが、昔は大らかで本当によかったです
そして、いよいよ「天守閣」に向かうために「本丸御殿大広間」下の石垣の下に入りました
中はこんな風になっています
この通路は「闇り通路(くらがりつうろ)」と呼ばれていて、全国的にも珍しい通路です
本丸に向かうのに、こんな所を通るなんて、不思議な感じでしょ
そして、これが「本丸御殿大広間」です
今回は、時間がなかったので入りませんでしたが
この中には「昭君の間(しょうくんのま)」があります
この部屋は、藩主の居室として使用していましたが
実は、豊臣家有事の際に、豊臣秀頼を密かに匿うために作ったとも言われています
石田光成が嫌いで、徳川家康に近づいたものの
豊臣秀吉の御恩を終生忘れることがなかった、加藤清正らしいエピソードですね
因みに「昭君(しょうくん)」は「将軍」の意味ともとれ
そう聞くと先ほどの謎めいた地下通路も何となくわかるような気がしますよね
そして「天守閣」へ
いよいよ時間もなくなってきたので、大急ぎで最上階に登りました
天守閣から見た阿蘇山方面です
天気がよければ、キレイに見えるんでしょうが、少し残念です
と、言いつつ大慌てで先ほどの井戸の辺りまで帰ってきたら、天気が回復しました
そして、「加藤清正」公の銅像も格好いいですね
何故、今の世には多くの人々から信頼され、尊敬されるリーダーがいないのでしょうか
そして、出張メンバーと合流した後は、恒例の宴会に突入しました
熊本といえば、やっぱり「馬刺し」ですよね
流石、本場だけあって、鮮度が全然違っていて、美味しかったです
そして「辛子れんこん」
少し紹介すると、病弱だった肥後細川藩初代藩主「細川忠利」を見舞った玄沢和尚が
栄養価が高いれんこんを食べるように勧めたので
れんこんの穴に和辛子粉を混ぜた麦味噌を詰めて、揚げたものを作ったところ、喜んで食べたそうです
その他色々食べましたが、少し長くなったので、ここでおしまいSTOP
まだまだ書き足りていませんが、今回は歴史バリバリでしたね
次回は、いよいよ熊本編最終回です