~夜回り先生からのメッセージ【新章】~ 『あれから10年も・・・』 | 善住寺☆コウジュンのポジティブログ☆ 『寺(うち)においでよ』

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但馬、そこは兵庫の秘境。大自然に囲まれた静かで心癒される空間に悠然とたたずむ真言宗の御祈祷と水子供養の寺『善住寺』。目を閉じてください。聞こえてくるでしょう。虫たちの鳴き声 鳥たちのさえずり 川のせせらぎ・・・誰でも気軽にお越し下さい。寺(うち)においでよ!

 2005年の善住寺だよりの中で、一人の闇を抱えた少年が善住寺にやって来た時のエピソードを 『夜回り先生からのメッセージ』 というタイトルで書いた。

 もしかしたら、覚えていてくださる方もあるだろうか。

 

 その少年と家族のように過ごした数日間の思い出は、今でもかなり鮮明に記憶されている。 

 彼との関わりの中で、住職を始めとするうちの家族はどうしろという指導はなにも行わなかったし、もちろん僕もお説教をするつもりなどなかった。

 

 言葉よりも、人の温もりや自分と向き合う静かな時間が、彼にとっての薬になると信じていたから。

 いやそうじゃないな。きっとそれしかできなかったのだろう。

 

 ただそれでも、別れのバスに乗り込む彼に向けて僕は一言だけ言った。

 「ドラッグにだけは手を出さないでくれよ。」

彼は笑いながら答えた。

 「大丈夫です。」

 

 僕はこの直前に出会い影響を受けていた夜回り先生にでもなったつもりだったんだろうな。

 彼を見送りながらなんとなく満足した気分だったというか、僧侶らしい責任を少しは果たせたと感じていたというか、どこか勘違いした自分がいた。

 

 その後、彼の担任の先生から話を聞いた。

「腕輪念珠をもらったって喜んでいましたよ。お兄ちゃんからもらったって」

 

 僕はエッと驚きつつも嬉しさが込み上げてくる。

「お兄ちゃんって呼ぶんだよ」と伝えてはいたが、一緒に過ごす間には一度も呼ぶ気配すら見せなかった彼が、秘かにそう呼んでくれていたことに。

 

 しばらくして、彼から中学を卒業して働き始めたという手紙が送られてきた。

便箋の中に包んであった三千円のお供え。

 

 「初めてのお給料です。お供えしてください。」

そんな彼の手書きの文字を何度も読み返しながら、みんなが感激したものだ。

 

 彼は変わったということだった。その後の学校での態度も、卒業してから仕事に通い始めた姿勢も。

 

 「やっぱりお寺に行かせてよかった」と、担任の先生や彼のお母さんから電話や手紙ももらった。それを見て、僕たち家族はまた役に立てたという満たされた気持ちで一杯になった。

 

 全てが順調に進んでいると思われていた矢先、あの事件が起こったことを知った。

 彼が薬物中毒で道に転がっているのを警察に見つかり、補導されたというのだ。

 

 そんな知らせを受けた僕たちは茫然とした。信じられなかった。

いや、信じたくなかった。

 

 なんでだよ。彼は立ち直ったんじゃなかったのか。

彼の笑顔が浮かびあがる。「大丈夫」と言って笑った彼の笑顔が。

 

 だけど、彼は間違いを起こしてしまった。

 

 考えてみれば、あんなわずかな時間一緒に過ごしただけで何が変わるというのだろうか。

 それは、一気に彼の闇が晴れればいいなという僕の願望だろ。彼はあの後も一人苦しんでいたに違いないんだ。

 

 どれだけ苦しいかったんだろう。

どれだけ寂しかったんだろう。

わかってあげられなくてごめん。

 そんな罪悪感が僕の中に残った。

 

 更生施設にどれだけいたのか知らない。

彼は無事に出所し、社会に戻ったと聞いた。

 

 彼に出しても返ってくることのない手紙や葉書。

それでも彼の母親から時々近況を語る手紙が来る。

「家族で乗り越えて行きたい。」そんな趣旨の言葉が書かれていた。

 

 会いに行きたいと思ったこともある。

なんでそれをしなかったのかと後悔することもある。

 

 それでも僕たち家族は、君のことを思い出しては心配してるんだ。

君が僕らに後ろめたく思ってるんだとすれば、そんなの気にしなくていいよ。

またぜひ訪ねてきてくれよな。みんなで待ってる。

 そんな思いを空に放つことだけしかできなかったんだ。

 

 あれから十年が経った。

ある日のこと、両親が嬉しそうに手紙を僕に差し出した。

「あの子から来たぞ!」

 

 僕はドキドキしながらその手紙を手に取り、何度も読み返した。

そこには壮絶な人生の告白があった。

 

「十三、十四才から始まった薬物を使用する人生は、二十一才まで続きました。その間、家族を傷つけ、友人を失い、自分の命も失いそうになり傷つけていく人生でした。」

 

 そうだったのか。僕と出会った時にはもうすでに薬物に手を染めていたのか。

 

 その後に二十一才で転機が訪れ、施設の治療プログラムを経て、薬物をやめ続けることができていること。

 大切な人達ができ、家族との関係も修復、それ以上の成長ができていること。

 現在その施設で職員となり、同じように薬を止められずにいる人たちに希望を持って生きることを伝えていること。などが書かれていた。

 

 自分の過去を書くことで見捨てられたり、もう会えない恐怖があることも。

 それでも、手紙を書く準備がやっと整い、勇気を出して伝えたいと思ったのだということも。

 

 最後にこう添えられていた。

「最近善住寺の皆様のことをよく思い出します。もし、こんな僕でも宜しければ、善住寺さんに行かせて頂きたいと勝手ながら思わせてもらっています。」

 

なんだよ。なにが「こんな僕でも」だよ。来ていいに決まってるだろ。

僕の瞼に熱いものが込み上げた。忘れてなかったんだ・・・。

 

 そして連絡を取り合った僕たちは、再会の約束を取り付けた。

彼が善住寺に再訪する日程は、カレンダーの「次女の三才の紐落とし」と書かれた日に、敢えて合わせた。

 

 2015年11月14日。

 十年前と同じく湯村温泉に着いた特急バスから迎えた彼は、とてもかっこよく素敵な大人の男性になっていた。

 彼は会うなり「お兄ちゃん、お迎えありがとうございます」と爽やかな笑顔で挨拶し、あっさりとその「お兄ちゃん」という家族のキーワードをクリアした。

 

 そして善住寺家族みんなと涙の再会を果たし、四日間もう一度家族のように過ごした。

 彼は、ボロボロだったという歯もきれいに治し、脳のダメージもわからないほどたくさんの心理学の知識を蓄えており、みんなを驚かせた。

 薬物依存者だったなんて信じられないほどの回復ぶりだった。

 

 次女の紐落としの日には近所のお宮参りに一緒に行き、家族親族の集合写真にも一緒に収まった。それは「君は家族なんだよ」というメッセージであるとともに、僕の罪滅ぼしという名のエゴに過ぎなかったのかもしれないね。

 

 僕はこの四日間、彼との出会いがもたらしたものについていろいろと考えていた。

 もしかしたら彼を救えなかったという罪悪感が、僕をスピリチュアルケアの道へ向わせたんじゃないかなって。

 

 そしてスピリチュアルケアで学んだのは救い方なんかじゃなかった。

救うなんておこがましいこと。

救わなければならない人なんて存在しないこと。

救うという一段高い所に立った目線がかわいそうな人を作り出すこと。

 

 もしかして当時の僕は、彼を救うことを自分の存在証明のために使おうとしてたんじゃないだろうか。そんなことを思ったりもした。

 

 そしてそんなもの必要ないって気付けた時、彼は戻ってきてくれたような気がする。

 

 彼が話してくれたことの中で最も響いたのは、母親から薬物依存を抜け出せない息子へと投げかけられた最終通告の言葉だった。

 

「あなたのもう戻ってくる場所はありません。私は私で幸せになります。あなたはあなたで幸せになってください。」

 

 これは本当に辛くて堪えたけど、これが治癒への鍵になったと彼は語った。そこが僕の学びと重なり合い、確信をくれる。

 

 そうだよな。自分が人生を目一杯楽しんで、満たされて、心豊かで、そこから溢れだした幸せは、周囲をも幸せの渦へと巻き込こんでいく。

 それが本当のケアなんだよな。

 

 最後の日、二人で湯村温泉の夢千代館に行き、一年後の自分に届くという「夢手紙」を書いた。

 「時間」というものの不思議を強烈に感じるからこそ、このタイムカプセルを彼と共に投函してみたかった。

 彼は一年後の自分へ向けてどんなことを書いたのだろう。

 

 「あれから十年も~。この先十年も~。」

 

 渡辺美里さんの歌が頭の中を流れていく。
歌詞はこう結ばれる。

「大切なものは何か今も見つけられないよ」か・・・。

 

 たしかに・・・。

その大切な何かを見つけたくてもがいてた君の行為を、僕が「間違い」ってジャッジするのもおかしいよな。

 ごめん。

 

 そして、よかったな、ほんとに。

十年前と今とを重ねながら、改めてそうつぶやいた。

 

 彼の横顔をじっと見ていると、すごく変わったなと感じていたはずだったのに、なんだ変わってないな、とも思い始めた。

 

 そうだよ、十年前だってさりげなく優しくて、笑ったらかわいかったよな。多分今は、それを歪めずに素直に表現できるようになっただけなんだろうな。

 

 あの時足湯につかりながら交わした言葉を思い出し、彼に伝える。

「いいところですね。」

「そんじゃ住むか。」

「いえ、遠慮しときます。」

そんなくだり。

 

 彼は笑いながら景色を眺めている。

ほとんど覚えていないという過去の記憶を一つ一つ取り戻していくかのように。

 

 バスに乗り込む彼に今回伝えたのは、「またおいでよ」って言葉だけだった。

それしか思い浮かばなかったし、それが等身大の自分の言葉だと思った。

 

 その三カ月後、思いがけずテレビの報道番組で彼の姿を目撃する。

元プロ野球選手の清原和博さんの覚醒剤所持で逮捕のニュースだった。

 

 そこで彼は更生施設スタッフの一人として、自身の回復体験をもとに、回復の道は必ずある、絶望することはないということを伝えていた。

 

 彼のビシッときまったスーツ姿を愛おしく見つめながらつぶやく。

「なんだよ、偉い人になりやがって。」

 

 彼は薬物からの回復という奇跡を見せてくれる人になって、僕たちの前に帰ってきた。

 でも一方で薬物依存は一生完治しないものということも彼から聞いている。

 

 関係ないさ。かっこいい君も、かっこ悪い君も、どっちも受け入れる器が今の僕にはあるって自分を信じてるから、安心していつでも戻ってくればいいよ。そう思った。

 

 もう僕に罪悪感はない。

お互いに目一杯自分の幸せを発信していこうな。

 

 僕には僕にしか、君には君にしかできない幸せの表現がある。

 

 

 

 

 

 

 

 生きるって素晴らしいことだよな、えいと。  

 

 

 

 

 

 

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◎いのち16 夜回り先生からのメッセージ(後編)

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