善住寺☆コウジュンのポジティブログ☆ 『寺(うち)においでよ』

但馬、そこは兵庫の秘境。大自然に囲まれた静かで心癒される空間に悠然とたたずむ真言宗の御祈祷と水子供養の寺『善住寺』。目を閉じてください。聞こえてくるでしょう。虫たちの鳴き声 鳥たちのさえずり 川のせせらぎ・・・誰でも気軽にお越し下さい。寺(うち)においでよ!

 但馬の秘境に悠然とたたずむ真言宗のお寺、善住寺。


「いつまでも 清き流れの 岩清水 

 熊野の山を ここに移して」


 こんな素敵な自然の中に生まれたこと、

今では感謝しています。




善住寺☆コウジュンのポジティブログ☆ 『あ、寺(うち)来る?』




 善住寺副住職、コウジュンが記す想い。

様々な悩みや葛藤の先には何が見付かるのか?



 「迷ってぶつかった分だけ道は大きく広がっている。」


何かが伝わりますように。。。




【最初から読む】


《テーマ1》   い の ち  


  僕のブログの中で、これを一番に読んでほしいって思います。


《テーマ2》   お寺に生まれて


   僕というお坊さんができるまで。 生い立ちから修行時代まで。


《テーマ3》   お 経


   お経に書かれていることを、僕なりに読み説いていきます。 


【善住寺公式ホームページ】

          http://www.zenjuji.jp/



【善住寺YouTube】

         http://www.youtube.com/user/koujun1976



【コウジュンtwitter】

         https://twitter.com/koujun1976



【善住寺グルッポ】

         http://group.ameba.jp/group/B7B_jmUd8-xC/






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8月21日 午前10時半ごろ

写経が完成した子から順に、裏にある書庫へ向います。

そこで生け花をしました。5年ぶりくらいに条件が整い行いましたので、毎年参加してくれている子たちも初体験の子がほとんどでした。

まずたくさんの生花を寄贈してくださった方があったからであり、そして母の気が満ちたからでもあります。

花に大量な蟻がくっついていて、それが大変でした。子供たちがきゃ~きゃ~言うのと、後の掃除も含めてです。

みんな自画自賛の生け花が完成したね。

センスあるな~。

 

12時過ぎ 昼食

恒例の手巻き寿司。みんなモリモリと食べました。

 

休憩。今年はほとんどの女の子が写真を撮らせてくれませんでした。しくしく。。。

素敵な表情をありがとう。

 

そしてこの時雨が降り始めました。

布団を干していたのですが、子供たちが教えてくれたおかげで大変なことにならなくてすみました。

 

13時15分 ふりかえりシート

この二日間の体験で思ったこと感じたことを書いてもらいました。

 

14時 一言づつ感想

雨でお宝ゲットができなくなったので、それぞれ一言づつ感想を声に出して発表してもらいました。

 

15時半から16時半過ぎ

保護者参加の寺っ子修了式です。お父さんお母さんに見守られながら最後の読経と瞑想を行いました。

これで熱い熱い39名の子供たちとの2日間が終わりました。

17時前 解散です。

 

 

 人との出会いで人生が変えられるのだとすれば、
そしてその出会いとはただの偶然ではなく、ちゃんと自分が引き寄せているのだとすれば、

 

 ここを見つけ出したあなたは、
僕を見つけ出したあなたは、

 

 きっとあなたの人生に、僕を必要としてくれているんだね。

 

 見つけてくれてありがとう。
引き寄せてくれてありがとう。

出会ってくれてありがとう。

 

 僕の方からも君たちを見つけたよ。
君達を引き寄せたよ。
君達を必要としていたよ。

 

 あ~、出逢えてよかった。

「あう」って素敵だね。

 

 

                寺っ子体験スクール2016 完

 

 

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8月21日 (寺っ子体験スクール二日目)

 

6時起床 着替え、洗面、布団片付け

 

6時半 ラジオ体操

 

6時50分 朝のおつとめ

 お香を塗って、本堂に入ります。

 読経の後、瞑想。

その姿勢が素晴らしく、とても長持ちしたので、20分も瞑想をすることができました。
子供達が静寂を保っていればいるほど、時間は延びていくのです。

 あと瞑想時については写真を撮るタイミングというのにとても気を使うのですが、18分くらい経った終了寸前にしました。

 せっかくの静かな境地を邪魔しないように、せめて終わりの合図として撮影してみました。

 みんな、すごいよ。

かっこいい!

 

7時45分 朝食

 朝からお腹がすいた~と言ってた子も、ようやく食事にありつけましたね。

 

8時45分 作務行

 4班に分かれて、室内外の掃除を行いました。
 この時間は強い日差しが照りつけていましたが、みんな頑張りました。

綺麗になったよ、ありがとう。

 

9時半 お写経

少しスケジュールより早いですが、ゆっくりと文字と向き合えるように、15分時間を繰り上げて写経を始めました。

 これも感動的なほど、みんなが真剣に取り組んでいました。
え~うちの子がこういうことできるんだって、驚かれる方もあるかもしれませんが、全員しっかりと最後まで書き上げています。

 

(8月21日午前生け花~午後の部へつづく)

 

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13時15分

午後の部開始です。数珠作りです。

 

14時20分

お行儀作法。和室での立ち方、座り方、おじぎの仕方、歩き方をやりました。

日和先生から僕自身が学びたてのものを、みんなにお伝えしました。

そしてこの紐を使った歩き方のレッスンは、それを勝手にアレンジしたものなのですが、みんな真っすぐに足を運ぶイメージはつかみやすくなったのではないかな~と自己満足です。

 

15時半 夕べのおつとめです。

さっき午前にやったばかりですが、またやるんです。

読経後は瞑想です。集中度で判断するのですが、10分ちょっとで終えました。

 

16時半 お風呂に行こう。

この人数を乗せる車の手配が毎年なかなか大変だったりします。

湯村温泉の薬師湯を乗っ取ってしまった感じ。

お湯あがりにアイスかジュースをお接待してあげると、みんな大喜びです。

 

18時前 お風呂から帰ってすぐ鐘つきです。

 

18時過ぎ 夕食です。

 

19時半 夜のお楽しみ会です。

まずは「先生からの穴あきお手紙」。今年もみんなのおもしろい回答により、爆笑のお手紙ができあがりましたね。

紙芝居

幻燈(げんとう)

ビンゴゲーム

 

21時 日記を10分ほどの短い時間で書きます

 

21時15分 お布団敷きと歯磨き、トイレをすませ、

21時半 予定時間に就寝です。子供たちの数だけ布団はありません。とにかく詰め込むのです。暑苦しいようですが、子供たちは喜んで寝てくれます。

やや人数の多い男の子チームは広間。

女の子チームは本堂手前のお部屋

ま~予想通りですがなかなか寝ませんけどね(笑)

この辺りは多少大目にみています。

この一泊をするということが子供達にとってすごく大きいということを、年々身に染みてわかってきているからです。

仲間との深まり、自分の中での自信、ワクワクした子供たちの姿をとても強く感じるのです。

 

 

(8月21日午前の部へつづく)

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寺っ子体験スクール2016。


凄まじい熱気の中に、静寂を注ぎました。

 

今年も39名の子どもたちと交わる時間は、僕にとってとてもかけがえないものだと、しみじみ思うのです。

 

 

8月20日(土) 寺っ子体験スクール初日

 

開始前。慣れた子は柔らかく、初めての子は固い表情です。

どんなことをするんだろう、みんなと馴染めるだろうかなど、さまざまなドキドキを感じているのでしょうね。

名札やよいこのしおりを配布して始まりを待っています。

 

9時。寺っ子体験スクールの開始です。

参加者の点呼、そして心得の説明を致します。

 

9時20分

一休さん衣装にお着替えして、記念写真です。

 

10時 

本堂にて、入門式を行います。

お香で身体を清め、濁りない自分へと向き合います。

自分で座布団を敷き、着座します。

座り方、正座の仕方、手の合わせ方、おじぎの仕方などをお話します。

合掌、礼拝。

そしてご挨拶。「よろしくお願いいたします」

洒水という儀式を行います。火と水のエネルギーを凝縮し転写したお水を注ぐのです。

難しいので「よい子になりますように」とお伝えしています。よい子というのは誰かが判断するものではなく、親にとっての都合のいい子という意味でもなく、自分で「私って素敵だな」って思えればいいのでしょうね。濁りない自分を目指してほしいと思います。

 

おちかいの朗読。

そして般若心経を読経いたします。

 

読経後、瞑想に移ります。

座り方、印の組み方などをお伝えします。

 

電気を消して、10分間の静寂の時間を持ちました。

最初は「あ」という発声とともに呼吸を導きます。徐々に声を消していくのです。

 

11時20分頃

おちかいを書きます。

 

12時前

鐘つきです。

 

12時15分

昼食です。やや時間が押してしまいました。

まずは各班の班長、副班長を決めてもらってから、各自が順番に食事をもらいに行きます。

台所で食事を準備してくださった善住寺密教婦人会有志の方々。

それでは食時作法をして、「いただきま~す」。

 

 食後に20分ほど休憩を取りました。

みんなこのわずかな休憩時間が楽しみなんですよね。

 

(8月20日午後の部へつづく)

 

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 悔しいって言えたこと。

それは僕にとってほんとに大きかったと思う。

 

自分への悔しさが、あげまん道への羨ましい、そして妬ましいという気持ちへと変わっていたんだね。
 

 この悔しさを認めることって、とっても大切だな~って僕はしみじみと実感した。

どんな感情でも全て不要なものはなくって、それに蓋をしてしまうからややこしくなるんだな~って。

 

 ダメだって思ってた。悪いことだと思ってた。
 悔しい、羨ましい、妬ましいの気持ちをさらけ出すことが怖かった。

 

 さらけ出していいんだよね。

剥き出しにしていいんだよね。

 

 そこをねじまげて、無理やり

「悔しくなんてないし、羨ましくなんてないし、妬ましくなんてないし」 と白々しくそれを見ようとしてみたり、

「悔しいとか羨ましいとか妬ましいと思っちゃダメ。美しい心でいなくっちゃ」 と聖人気取りしちゃうから、

僕は本当の気持ちを取り逃がしてしまっていたんだろうね。

 

 「羨ましい人は自分の未来の姿だとして見るようにする」という思考法も素敵だけど、それをコーティングする前に、ちゃんと自分の気持ちをまるごと認めてあげることが大事なのかな、とも思った。

 

 

 きっと途切れることなく訪れる「今」という瞬間は、終わりのない「道」の上にあるもので、今の感情が最終結果ではなくって、いつもその先へと繋がっているんだろう。

 

 道なんだ。

全てその先へと続いてるんだ。

 

たとえ今のこの感情がどんなものでも、きっとその先の何かに繋がっているから。
だからどんな感情をもっていたって大丈夫だよね。

 誰かに「そんな感情を持つことはダメだ」って言われようとも、

誰かに「そんな感情を持つことはカッコ悪いよ」って言われようとも、

そして自分自身の理想とはかけ離れてしまっていたとしても、

自分の感情に嘘付いたり、ごまかしたり、引っ込める必要はないんだろうね。

 

 だって途中なんだから。

 

 嫌いっていう感情だって、好きになってる途中だから。

妬ましいっていう感情だって、素晴らしいって思えるようになってる途中だから。

悔しいっていう感情だって、嬉しいに向ってる途中だから。

 

 今、ありのままの感情をちゃんと認めようとしないで、その反対にある感情へとひっくり返るわけもないんだろうね。

 

 他人に向けて嫌い、妬ましい、悔しいって攻撃のエネルギーを放つよりも、自分のその感情を認め、ただ愛おしく見守ってあげることが、今を大切にするっていうことなのかなって、そう思った。

 

 だからこれからは感じたことを偽りなく表現していこう。

自分がどう感じたのかを記していこうって思った。
 

 僕には子宮がない。

だから女の人ほど感じる力が豊かではないのかもしれない。

 

 クセ付いた損得の思考がそれを覆い隠そうとしてくるし、

「○○なのです」とかいう風に、俯瞰したままで高い所から言葉を放ってしまがちにもなる。

 

 だけどこれからは言葉にならない響きを頼りに、下から上へと丁寧に感じていきたい。

それを丁寧に言葉にしていきたい。

 

 いつしかそれが僕の中の小さな誓いになった。

 

 統計的にこういう結果がでてるからとか、

科学で証明されてるからとか、

あの偉い先生がこう言ったからとか、

そういうことで他人から決めつけられたくないんだ。

 

 それよりも、まず自分の感覚を信じたいと僕は思うから。


 

 

 

 

 (つづく。次回最終回)

 

 

 

 

 

 

 

 

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 2005年の善住寺だよりの中で、一人の闇を抱えた少年が善住寺にやって来た時のエピソードを 『夜回り先生からのメッセージ』 というタイトルで書いた。

 もしかしたら、覚えていてくださる方もあるだろうか。

 

 その少年と家族のように過ごした数日間の思い出は、今でもかなり鮮明に記憶されている。 

 彼との関わりの中で、住職を始めとするうちの家族はどうしろという指導はなにも行わなかったし、もちろん僕もお説教をするつもりなどなかった。

 

 言葉よりも、人の温もりや自分と向き合う静かな時間が、彼にとっての薬になると信じていたから。

 いやそうじゃないな。きっとそれしかできなかったのだろう。

 

 ただそれでも、別れのバスに乗り込む彼に向けて僕は一言だけ言った。

 「ドラッグにだけは手を出さないでくれよ。」

彼は笑いながら答えた。

 「大丈夫です。」

 

 僕はこの直前に出会い影響を受けていた夜回り先生にでもなったつもりだったんだろうな。

 彼を見送りながらなんとなく満足した気分だったというか、僧侶らしい責任を少しは果たせたと感じていたというか、どこか勘違いした自分がいた。

 

 その後、彼の担任の先生から話を聞いた。

「腕輪念珠をもらったって喜んでいましたよ。お兄ちゃんからもらったって」

 

 僕はエッと驚きつつも嬉しさが込み上げてくる。

「お兄ちゃんって呼ぶんだよ」と伝えてはいたが、一緒に過ごす間には一度も呼ぶ気配すら見せなかった彼が、秘かにそう呼んでくれていたことに。

 

 しばらくして、彼から中学を卒業して働き始めたという手紙が送られてきた。

便箋の中に包んであった三千円のお供え。

 

 「初めてのお給料です。お供えしてください。」

そんな彼の手書きの文字を何度も読み返しながら、みんなが感激したものだ。

 

 彼は変わったということだった。その後の学校での態度も、卒業してから仕事に通い始めた姿勢も。

 

 「やっぱりお寺に行かせてよかった」と、担任の先生や彼のお母さんから電話や手紙ももらった。それを見て、僕たち家族はまた役に立てたという満たされた気持ちで一杯になった。

 

 全てが順調に進んでいると思われていた矢先、あの事件が起こったことを知った。

 彼が薬物中毒で道に転がっているのを警察に見つかり、補導されたというのだ。

 

 そんな知らせを受けた僕たちは茫然とした。信じられなかった。

いや、信じたくなかった。

 

 なんでだよ。彼は立ち直ったんじゃなかったのか。

彼の笑顔が浮かびあがる。「大丈夫」と言って笑った彼の笑顔が。

 

 だけど、彼は間違いを起こしてしまった。

 

 考えてみれば、あんなわずかな時間一緒に過ごしただけで何が変わるというのだろうか。

 それは、一気に彼の闇が晴れればいいなという僕の願望だろ。彼はあの後も一人苦しんでいたに違いないんだ。

 

 どれだけ苦しいかったんだろう。

どれだけ寂しかったんだろう。

わかってあげられなくてごめん。

 そんな罪悪感が僕の中に残った。

 

 更生施設にどれだけいたのか知らない。

彼は無事に出所し、社会に戻ったと聞いた。

 

 彼に出しても返ってくることのない手紙や葉書。

それでも彼の母親から時々近況を語る手紙が来る。

「家族で乗り越えて行きたい。」そんな趣旨の言葉が書かれていた。

 

 会いに行きたいと思ったこともある。

なんでそれをしなかったのかと後悔することもある。

 

 それでも僕たち家族は、君のことを思い出しては心配してるんだ。

君が僕らに後ろめたく思ってるんだとすれば、そんなの気にしなくていいよ。

またぜひ訪ねてきてくれよな。みんなで待ってる。

 そんな思いを空に放つことだけしかできなかったんだ。

 

 あれから十年が経った。

ある日のこと、両親が嬉しそうに手紙を僕に差し出した。

「あの子から来たぞ!」

 

 僕はドキドキしながらその手紙を手に取り、何度も読み返した。

そこには壮絶な人生の告白があった。

 

「十三、十四才から始まった薬物を使用する人生は、二十一才まで続きました。その間、家族を傷つけ、友人を失い、自分の命も失いそうになり傷つけていく人生でした。」

 

 そうだったのか。僕と出会った時にはもうすでに薬物に手を染めていたのか。

 

 その後に二十一才で転機が訪れ、施設の治療プログラムを経て、薬物をやめ続けることができていること。

 大切な人達ができ、家族との関係も修復、それ以上の成長ができていること。

 現在その施設で職員となり、同じように薬を止められずにいる人たちに希望を持って生きることを伝えていること。などが書かれていた。

 

 自分の過去を書くことで見捨てられたり、もう会えない恐怖があることも。

 それでも、手紙を書く準備がやっと整い、勇気を出して伝えたいと思ったのだということも。

 

 最後にこう添えられていた。

「最近善住寺の皆様のことをよく思い出します。もし、こんな僕でも宜しければ、善住寺さんに行かせて頂きたいと勝手ながら思わせてもらっています。」

 

なんだよ。なにが「こんな僕でも」だよ。来ていいに決まってるだろ。

僕の瞼に熱いものが込み上げた。忘れてなかったんだ・・・。

 

 そして連絡を取り合った僕たちは、再会の約束を取り付けた。

彼が善住寺に再訪する日程は、カレンダーの「次女の三才の紐落とし」と書かれた日に、敢えて合わせた。

 

 2015年11月14日。

 十年前と同じく湯村温泉に着いた特急バスから迎えた彼は、とてもかっこよく素敵な大人の男性になっていた。

 彼は会うなり「お兄ちゃん、お迎えありがとうございます」と爽やかな笑顔で挨拶し、あっさりとその「お兄ちゃん」という家族のキーワードをクリアした。

 

 そして善住寺家族みんなと涙の再会を果たし、四日間もう一度家族のように過ごした。

 彼は、ボロボロだったという歯もきれいに治し、脳のダメージもわからないほどたくさんの心理学の知識を蓄えており、みんなを驚かせた。

 薬物依存者だったなんて信じられないほどの回復ぶりだった。

 

 次女の紐落としの日には近所のお宮参りに一緒に行き、家族親族の集合写真にも一緒に収まった。それは「君は家族なんだよ」というメッセージであるとともに、僕の罪滅ぼしという名のエゴに過ぎなかったのかもしれないね。

 

 僕はこの四日間、彼との出会いがもたらしたものについていろいろと考えていた。

 もしかしたら彼を救えなかったという罪悪感が、僕をスピリチュアルケアの道へ向わせたんじゃないかなって。

 

 そしてスピリチュアルケアで学んだのは救い方なんかじゃなかった。

救うなんておこがましいこと。

救わなければならない人なんて存在しないこと。

救うという一段高い所に立った目線がかわいそうな人を作り出すこと。

 

 もしかして当時の僕は、彼を救うことを自分の存在証明のために使おうとしてたんじゃないだろうか。そんなことを思ったりもした。

 

 そしてそんなもの必要ないって気付けた時、彼は戻ってきてくれたような気がする。

 

 彼が話してくれたことの中で最も響いたのは、母親から薬物依存を抜け出せない息子へと投げかけられた最終通告の言葉だった。

 

「あなたのもう戻ってくる場所はありません。私は私で幸せになります。あなたはあなたで幸せになってください。」

 

 これは本当に辛くて堪えたけど、これが治癒への鍵になったと彼は語った。そこが僕の学びと重なり合い、確信をくれる。

 

 そうだよな。自分が人生を目一杯楽しんで、満たされて、心豊かで、そこから溢れだした幸せは、周囲をも幸せの渦へと巻き込こんでいく。

 それが本当のケアなんだよな。

 

 最後の日、二人で湯村温泉の夢千代館に行き、一年後の自分に届くという「夢手紙」を書いた。

 「時間」というものの不思議を強烈に感じるからこそ、このタイムカプセルを彼と共に投函してみたかった。

 彼は一年後の自分へ向けてどんなことを書いたのだろう。

 

 「あれから十年も~。この先十年も~。」

 

 渡辺美里さんの歌が頭の中を流れていく。
歌詞はこう結ばれる。

「大切なものは何か今も見つけられないよ」か・・・。

 

 たしかに・・・。

その大切な何かを見つけたくてもがいてた君の行為を、僕が「間違い」ってジャッジするのもおかしいよな。

 ごめん。

 

 そして、よかったな、ほんとに。

十年前と今とを重ねながら、改めてそうつぶやいた。

 

 彼の横顔をじっと見ていると、すごく変わったなと感じていたはずだったのに、なんだ変わってないな、とも思い始めた。

 

 そうだよ、十年前だってさりげなく優しくて、笑ったらかわいかったよな。多分今は、それを歪めずに素直に表現できるようになっただけなんだろうな。

 

 あの時足湯につかりながら交わした言葉を思い出し、彼に伝える。

「いいところですね。」

「そんじゃ住むか。」

「いえ、遠慮しときます。」

そんなくだり。

 

 彼は笑いながら景色を眺めている。

ほとんど覚えていないという過去の記憶を一つ一つ取り戻していくかのように。

 

 バスに乗り込む彼に今回伝えたのは、「またおいでよ」って言葉だけだった。

それしか思い浮かばなかったし、それが等身大の自分の言葉だと思った。

 

 その三カ月後、思いがけずテレビの報道番組で彼の姿を目撃する。

元プロ野球選手の清原和博さんの覚醒剤所持で逮捕のニュースだった。

 

 そこで彼は更生施設スタッフの一人として、自身の回復体験をもとに、回復の道は必ずある、絶望することはないということを伝えていた。

 

 彼のビシッときまったスーツ姿を愛おしく見つめながらつぶやく。

「なんだよ、偉い人になりやがって。」

 

 彼は薬物からの回復という奇跡を見せてくれる人になって、僕たちの前に帰ってきた。

 でも一方で薬物依存は一生完治しないものということも彼から聞いている。

 

 関係ないさ。かっこいい君も、かっこ悪い君も、どっちも受け入れる器が今の僕にはあるって自分を信じてるから、安心していつでも戻ってくればいいよ。そう思った。

 

 もう僕に罪悪感はない。

お互いに目一杯自分の幸せを発信していこうな。

 

 僕には僕にしか、君には君にしかできない幸せの表現がある。

 

 

 

 

 

 

 

 生きるって素晴らしいことだよな、えいと。       

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 それ以降、あげまん道関係の投稿は一気に減った。

妹と友達のタグ付け投稿がなくなったためだった。

 

 妹との関係も今までとは違うステージに入り、妹が繋げてくる新しい出会いとともに、お寺を使った新しい活動も始まった。

 

 嵐のように吹き荒れて、嵐のようにあっという間に去っていったあげまん道。
僕の毎日は、台風一過のように平穏だった。

 

 だけど僕の中ではまだ続いていたんだよね。
あげまん道を終わらせることはまだまだできなかったんだ。

 

 忘れもしない昨年の9月4日。
高野山で行われた前期4日、後期4日の阿字観瞑想の合宿の最終日のことだった。

 

 前日までの僕は散々だった。

前期のつまらない講義内容に、もう後期は辞めてしまおうかというモチベーション。

おまけに風邪ひきでしんどい。
 さらにもうトラウマなどなくなったと思うほどよく眠れるようになっていたのに、再び不眠で苦しむ始末。
 相変わらず講習は古文の現代語訳や瞑想のやり方など上辺だけの説明に終始するものばかり。

 

 「こんなの僕の求めてた講習じゃない。」
「こんなのじゃリアルから取り残されてしまう。」
「僧侶の存在価値なんてありはしないよ。」
僕は聞いてくれる仲間にわめき散らした。

 

 「僧侶で夫婦問題、子育てなど身近な問題に真摯に向き合ってる人がどれくらいいるんだよ。」
 「人のことにおせっかい焼いて、自分の家庭を省みてない僧侶がどんだけいるんだよ。」

 

 「なにをそんなに焦ってるん?」
そうたしなめるように言ってくれた年配の僧侶。

 

 僕はうめくように言葉を絞り出した。
「僕は、僕は・・・ 悔しいんです。」
自分の言葉にハッとした。
「そう、ただ僕は、自分がただ悔しいだけなんです。」

 

 悔しい。。。
あげまん道。そして心屋塾。
夫婦問題。子育て。そんな身近な問題に向き合い、非常識的手法でそのほつれをときほぐしていく自己啓発系。


 そんなやり方は違う。そんなのおかしいと必死に否定しようともしてみた。
 でもできなかった。
  悔しい。悔しい。悔しい。

 ただ、妹が、同級生が、知り合いが、「あなたでは私の心は救えない」と去っていくように勝手に感じて、悔しかったんだ、僕は。

 

 その晩僕は、聞いてくれるみんなの前で何度も「悔しい」って言葉を吐き出した。

 思えばこれで全ての下地は整ったのかもしれない。

 

 次の日の朝、僕は意識のチャンネルが変わる不思議な体験をした。
出会った出来事全てが、この日に通じているように感じた。


 過去の整理。
得ようとしてきた知識の集約。
自分の言葉でのアウトプット。
劣等感の吐き出し。

 

 全てが調った時が、高野山最後の日だったんだな~と、とても感激した。


 僕は知らず知らずのうちに植え付けられた、「僧侶は人を救わなければならない」なんていう価値観に縛られ苦しんでいたんだろうね。


  この時思ったんだ。
 人を救おうとなんてしなくていい。
僕は僕らしい輝きを発信していこうって。

 

 これ以降、あげまん道に対する僕の気持ちは本当に緩んだ気がする。
大嫌いなあげまん道。許せないあげまん道。
その顕在意識がひっくり返ろうとしている。

 

 僕は自分の中にある、認めたくなかったその悔しさを認めることができた。

 

 

                    (つづく。かもしれない)

 

 

大嫌い 大嫌い 大嫌い 大好き ああん☆
 

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 西川八月さんからちゃみさんの講演会に僕との対談を組みたいという夢のようなお話をいただきました。

 だから、今この機会にこそ、あげまん道がどれだけ僕に影響を与えたのか、時系列で振り返ってみようと思う。

 

 

 

『あげまん道と僕』

 

 あの日、僕はちゃみさんに質問をした。
妹からは口調がどこか攻撃的だったと言われた。
そして内心、なんでこれがわからないの?ほんとにこういうこと言うのやめてほしい。そう思ったらしい。

 

 去年の五月。
鳥取の無量光寺というお寺での講演会でのこと。

 

 どうしても僕は自分の中に残った違和感を置きざりにしておけなかったし、それで質問せずに終わるような卑怯なことをしたくないって、あの時は思ったんだった。

 

 自分勝手でいいじゃない。わがままでいいじゃない。他人のためより自分のために生きようよ、と痛々しいような叫びを毎日のように上げてくる妹のタイムライン。
 そのベースになっていたのがあげまん道。
僕はそれに対して毎日毎日苛立ちを隠せなかった。

 

 自分勝手にするんじゃなく、協調性を大切に。
自分のためより他人のために。


 今思えば、そう教えられて生きてきた僕の正しさの根幹が揺るがされるようで、怖かったんだろうな。
 家族を否定されるみたいで嫌だったんだろうな。

 

 父からはあげまん道に依存する妹を見かねて、「お前も心のことを学んでるのに妹をなんとかならんのか」と苦々しく言われ、さらに自分の問題として抱え込んでしまった。

 

 ぜひ夫婦でちゃみさんのお話を聞いてほしいと妹に懇願されるも、僕は正直いって気乗りしなかった。
 こちらを変えたいという強烈な思いを感じたことも、抵抗が生まれた原因なのかもしれない。
 それでも、自分の目で確かめてこようと参加を決めた。

 

 僕は妻と子供三人を抱えて本堂脇のキッズスペースから聞いていた。

ちゃみさんはおっとりしゃべる人だな〜。
あぶなくはなさそうだな〜。
 講演中の彼女の姿を見ていてそう感じた。

 

 この講演会を終えて、僕は妹のやりたいようにすればいいって思ったんだった。
僕はこの道じゃないけどなって。

 

 ちゃみさんに友達申請を出したら、「男性は基本お断りしているんですが、ゆりちゃんのお兄ちゃんですよね。よろしくお願いします」みたいな返答とともに承認をいただいた。

 

 そのすぐ後には、うちのお寺でちゃみさんの教え子の山村沙織さんの講演会をしたいという企画にもオッケーを出した。

 

 僕は物分かりのいい兄を気取っていたのかもしれない。

 

 この講演を好意的にとらえた僕のレポ投稿から、何人かのあげまん道のお仲間たちからの友達申請があり、許可すると、ますます僕のタイムラインはあげまん道関係でいっぱいになった。

 多分今よりフェイスブックも表示が偏ってたよね。
他の人たちの投稿が上がってこないほどあげまん道、あげまん道だった。

 

 正直、うざかった。。。
だけど、みんなが投稿にタグ付けしあって、ワイワイと楽しそうにしているのが眩しくも見えた。

 

 読みたくなくても目に入る投稿。

ちゃみさんの投稿の中には、とても僕の心に響くものがあった。
次第にその内容を受け取れるようになっている自分がいた。

 

 僕は時々気軽にメッセージもした。
「ちゃみさん、この言葉を使っていいですか?言えれば癒える。話せば手放せる。許せば緩むっていう言葉を気に入ったんです」みたいに。
 ちゃみさんは「ご自由にどうぞ〜」って気さくに返信してくれた。

 

 だけど、それから2か月後くらいに妹からラインが入ったんだった。
「あげまん道、もうすべて終わっちゃったよ。だからお兄ちゃん、これからは心のことを私に教えてください」

 

 実は妹のタイムラインの中で、あげまん道仲間とのコメント欄が少し荒れてるところを僕は目撃していた。

 それが原因だということは明白で、妹の深い傷つきも感じたが、僕はあげまん道からリタイアしたことに、少しホッとしたんだった。
 それに初めて妹に頼られた感じがして、嬉しかったんだった。

 

 妹はあげまん道仲間との繋がりをほとんど消去したみたいだった。
妹の友達も、共感してなのか同じように繋がりを切ったようだった。

 

 僕は、、、
どうしようかと少し迷ったけれど、妹と僕は別の人なのだから、このまま繋がりを置いておこう。そう思った。
 ここに変な仲間意識は不要だと。

 

 ただし、あげまん道をリタイアした妹にホッとしながら、自分は繋がりを保ちたいという矛盾が残る。

 もしかすると、あげまん道に対する嫌悪感にかぶさってたのは、妹からお兄ちゃんの価値観が間違ってるって言われるのが怖い、僕の方が正しいって言って欲しいっていう、妹から僕へのジャッジへの嫌悪感なのかもしれない。


 それはつまり僕自身が正しいとか間違ってるというジャッジの中に生きているってことだよね。

 そんなことも明らかになってきた。

 

                           (つづく)

 

 

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 今日はたくさん歩いたし、もう近くのラーメン屋で妥協しておくかと思ったら、そのお店がまさかの早終い。

 

 これはやっぱり行けということなのですね。
そんな宇宙との会話をかわし、重い足にムチを入れます。

 

 そのラーメン屋さんは阪急梅田駅構内にあって、そのためだけに入場券を買って改札をくぐります。

 

 「お前アホやろ。」

 

 「たとえアホやと言われても、これが僕の人生に偏(かたよ)りをくれるものなんだよ!」

 

 脳内会話を楽しみつつ、オーダーストップ前の21時45分くらいに到着。
おおっと、この時間で20人待ち。

 

 食券を購入。
味玉ラーメンに、トッピング全部のせ。

 

 ん?
買ってから気づく。
なんで味玉ラーメンにしたんだ〜。
全部のせるなら普通のラーメンでいいのに。
卵二つもいらんわ〜!

 

 このあたり、マインドは働きません。

 

 そんなこんなで駅構内だからなのか回転数が早く、22時15分くらいにはラーメンにありつけました。

 

 スープうま〜い。甘めですっきり。
麺うま〜い。歯応え絶妙。

 

 おー、卵一個しか入ってない。
よかった〜と思いきや、写真を撮った後に全部のせの具が到着(^^;;


 やっぱ二個はいらんわ。。。

 

 だけどもほんとに満足満足。
また来たいって思いました〜。

 

 そのお店は、京都ラーメンたけ井。
今話題のお店。
来てよかった〜。

 

 ラーメン。
それは僕に偏りをくれるもの。
普段の生活の健康志向食とは対極にあるもの。

 

 だからこんなに行きたくなるんだろうな〜って、感じてます(笑)

 

 

京都麺屋たけ井 阪急梅田店

住所・・・大阪府大阪市北区芝田1-1-2 阪急梅田駅 2F

TEL・・・06-6377-1622

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