お墓のある故郷 | 善住寺☆コウジュンのポジティブログ☆ 『寺(うち)においでよ』

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 私は個人的にお墓っていらないと思うのですが、どうですか?

ある方からそんな質問をされた。


 お仏壇があるからお墓はなくてもいい。

親やご先祖様を粗末にしようという気持ちなのではけっしてなく、そういう考えのようだ。


 僕はやはりお仏壇という身近な存在とともに、お墓は必要なのだと思う。


 お墓なんて作らなくていいよ。

私のお骨は大好きだったあの海に流してくれればいい。

懐かしい故郷の山にまいておいてくれればいい。

そんな考えの方も増えているようだ。


 それはひょっとすると子供たちや残された人に負担をかけたくないという思いからくるのかもしれない。

 しかし、それは逆に子供たちや残された者たちにとって、いのちの繋がりをぶった切る行為になるともいえる。お墓は残されたものにこそ必要なのだ。


 子供や親族はいいだろう。

心に留めておくと決めたならばそれを忘れなければいい。

しかし孫やひ孫はどうなるのだろう。

僕はどこから来たの?

お父さんのお父さん?

そんなの多分いないよ。


 最近ではお墓を立てる場所に困っている人が多い。

私たち年よりは田舎。

子供は大阪に家を建てた。

孫は横浜に家を建てた。

墓はいったいどうすればいいの?


こんな想いの方も多いだろう。

近くにあればお参りに行きやすいが、こんなご時世どうしていいのかわからない。


 そんな方々に言いたいのは、お墓は自分のルーツである故郷の田舎に置いておいて欲しいと思う。

 一年に一度、それが無理なら二年に一度だけでも帰ってくるように。

 荒れ果ててしまうので置いておけない。

そんな方はぜひお寺の墓地に持っていただきたい。

墓石はいのちの繋がりをいつまでも伝えるもの。


 そう、石というものはずっと伝えていくのに最もふさわしいもの。

今回の東日本大震災でも、石碑の奇跡が話題になっている。



「岩手県宮古市の姉吉地区にある、大津浪記念碑。東日本大震災が引き起こした大津波は、この石碑の50メートル手前で止まり、この地に暮らす11世帯34名の人々の命を救いました。この奇跡は、海外でも紹介され「魔法の石碑」として話題になっています。

78年前に建設された大きさ約1.5メートルのこの石碑には、先人から将来の世代への警告が刻まれており、これまでも津波の度に人々の命を救ってきました。


「高き住居は児孫の和楽/想(おも)へ惨禍の大津浪/此処(ここ)より下に家を建てるな/明治二十九年にも、昭和八年にも津浪は此処まで来て/部落は全滅し、生存者、僅かに前に二人後に四人のみ/幾歳(いくとし)経るとも要心あれ」

石碑に記された「ここより下に家を建てるな」という言葉は、住民が過去2度も経験した大津波の悲劇をもうこの先味わってほしくないという思いが込められています。」

(webより抜粋)



 石で後代へ残すということはこんなにも大切なのだ。

仏壇のお位牌はもちろん、自分のいのちが自分だけのものでなくずっと繋がってきたものなのだという『揺るぎない証』としてお墓は守られなければならない。


 見えない命が、自分たちの根として支え続けてくれている場所。

その場所は自分のルーツとなる場所にこそふさわしい。


 孫やひ孫は住んだこともない場所で愛着がもてない。

はたしてそうだろうか。

縁もゆかりもある場所なのだから。


 見たこともないおじいちゃんおばあちゃんが住んでいた場所。

だけどなんだろう、この胸の中が熱くなる想いは。

自分の中に流れる血潮。

受け継いできた想い。


 お墓のある故郷。

さ~自分という樹の根っこに水やりに帰ろう。

お父さん。

お母さん。

おじいちゃん。

おばあちゃん。

ひいおじいちゃん。

ひいおばあちゃん。

もっともっとさかのぼったご先祖様。

待っててな。


お墓参りをする家族の姿。

とても素敵だな~と思う。