臥薪嘗胆 ~マツダ訴訟裁判奮闘記~


2011年もあと10日あまりとなりました。


今年もたくさんの出来事と、たくさんの出会い、たくさんの学びを頂きました。


その中でも、特に印象が強かったのは…


私は非正規労働者という立場で裁判を闘っていますが、今年はいわゆる「正社員」「正規雇用」という立場の人が不当解雇に遭い、裁判で闘っているという人を何人か出会いました。


その人たちの訴えや想いを聞いていると、共通したことがあるのに気付きました。


それは…


「解雇に遭うまでの間の、自分がやってきた仕事に対して今も『誇り』を持っている」


ということでした。


私もサラリーマン時代には、自分の仕事に「誇り」を持っていましたし、「この会社に骨を埋める」という想いで仕事をしていたので、その気持ちはとてもよく分かります。


しかし…


いわゆる「派遣労働者」「非正規労働者」の人たちは、自分たちがやってきた仕事に対して「誇り」を持てたのでしょうか?


派遣労働者というのは、ある一定の期間を決めて、その場所で働く。


期間が過ぎれば、また他の会社に行って働く。


全国に支店を持っている派遣会社に所属していれば、鞄一つで全国どこにでも行く。


17名のマツダ訴訟原告団のうちの半数以上が山口県外の出身者であることも事実です。



私は、このマツダ裁判を「働く者の『誇り』と『尊厳』を賭けた闘い」と言っています。


私に限らず労働裁判で闘っている人は、正規・非正規に関わらず、そう思って日々闘っていると思います。



私そらみみも、マツダで派遣社員として働いていた時には、働くことに喜びを感じ、働くことに「誇り」を持っていました。


しかし、私は「派遣労働者」という位置づけだけで当時、自分が行なっていた仕事に関して「誇り」を持っていたかというと…正直言うと少し疑問があります。


もちろん、働くことに対してお金を貰っている以上は「プロ意識」と言うものを持っていました。


しかし、「そらみみさんは派遣だからね…」と、当時の所属長に言われると「ああ、そうだった」と、変に自覚してしまう自分もいました。



最近では、労働者派遣法の改正を巡り、改正案であった「製造業への派遣の禁止」を撤廃し、みなし雇用を3年延長するといった案で国会で法案を通して成立させようとする動きもあります。


派遣法が制定された当時は、「働く形を多様化させて、より選択肢を多くして、個人のライフスタイルに合わせた働き方が出来る。」ということを言っていましたが…


結局、所得の格差を生みだし、年収200万円以下の「ワーキングプア」を作りだす温床になったことは事実です。


ですが、それだけでなく、この労働者派遣法と言うのは、働く人の「誇り」さえ奪ってしまう存在なのかもしれません。



正直言って、私そらみみは当時、自分が行なっていた仕事に対しては「誇り」を持っていなかったかもしれません。


しかし今は、おかしいものはおかしいと真正面から声を上げ、すべての労働者が安心して働くことが出来て、夢と希望を持てる社会を取り戻すために、正々堂々と裁判と言う形で闘うことに対して、私そらみみは「誇り」を持っています。