出産から17日 『退職強要』

  客室教務員 大森美央さん


 私は過去の病気休職を理由に日本航空から解雇されました。
1998年7月6日、20歳のときに契約客室乗務員として入社しました。当時の社内には、子どもを産んで育児と両立させながら元気に働き続ける客室乗務員がたくさんおりました。
 ママさん客室乗務員が、子連れのお客様や妊婦さんへ対応している光景は実にすばらしく、いつも生き生きと働く姿に勇気づけられ、学ぶことも多く、私の憧れの存在でした。
 早く正社員になって、子どもを産み育てながら長く働き続けたい、それが私の目標でした。
 2008年7月に妊娠しましたが、残念なことに流産し、そのことにともなう抑うつ状態で、医師の指導のもと、09年7月13日から休職を余儀なくされました。自分が着用していた制服を見ては自分自身を励まし、1日も早く回復して元気に仕事をすることを夢見ていました。
 10年1月にふたたび妊娠し、今度こそこの子を産みたいと頑張りました。6月には、主治医から就業可能の診断をいただき、休職は終了となり、7月から産休となったのです。
 10年9月10日に無事に出産することができ、母になれた喜びでいっぱいでした。産休・育休期間の後は、乗務に復帰し、育児と両立させながら客室乗務員として働こうと希望をもっていました。
 ところが、出産から間もない9月27日に上司のマネジャーから電話連絡がありました。マネジャーは、「あなたは希望退職の対象になっている。説明会に出席するように。管理職との個人面接を受けてもらう。整理解雇も視野に入れている」と冷たく言い放ちました。
 退院から2週間も経過しておらず、体も十分回復しない状態で、ましてや乳飲み子を家において外出は不可能ですと伝えると、マネジャーは「何としてでも出席するように」と高圧的な口調でした。
 その後も複数回電話があり、「病気で休職している人、年齢の高い人は、会社への貢献度が低いとみなされても仕方がない。辞めてもらうのは、社会通念上の常識である」と退職強要してきました。
 私は、ママさん客室乗務員として、子どもを育てながら、定年まで働き続けたいと思い、退職はしないことにしました。
 ところが、次に会社がしたことは、12月9日に解雇予告通知を送りつけることでした。解雇日は12月31日大みそかでした。子どもが生まれて初めてのお正月に解雇だというのです。私たちに明るい新年など迎えられるはずがありません。
 いったい貢献度とは何なのでしょうか。一方的な基準を押し付けられての解雇は、悔しいという言葉以外で表すことはできません。
 私は、保安要員として仕事に励んでまいりました。人選基準で解雇された客室乗務員もそれぞれに職務をまっとうし、精いっぱいの貢献をしてまいりました。それが私たち客室乗務員の生きがいであり、誇りなのです。
 今回の不当な整理解雇のように、年齢や病気を理由に労働者を一方的に切り捨てる乱暴なやり方は、許されるはずがありません。
 被告から押し付けられた解雇によって、私は客室乗務員として定年まで働き続ける夢を打ち砕かれ、人間としての尊厳を大きく傷つけられました。悔しくてたまりません。



さて…この意見陳述を見ても、たくさんの法違反が見られます。


日航のやり方は、知れば知るほど悪質なものだということが分かります。


こうした企業の違法行為を、裁判所はしっかりと裁いてもらいたいものです。