臥薪嘗胆 ~マツダ訴訟裁判奮闘記~

先日の駅前署名活動の時に、


私そらみみは、ある男性に声を掛けて署名のご協力をお願いしました。


署名の内容を説明して、ご協力をお願いした時に、この男性はこう言いました。


「こんなこと…裁判なんてやっても無駄じゃないのか?」



確かにそう思われるかもしれません。


しかし、私そらみみは分かっています。


もし私がここで拳を挙げて闘っていなかったら今頃は、どこの誰にも言いたいことも言えず、ただ肩を落として背中を丸めて、毎日を生きているでしょう。


2年前、マツダから切られた元派遣社員は皆、そんな恰好で去って行きました。おそらく私も出ていく時はそうだったと思います。


しかし以前の私には戻るつもりはない。たとえこの裁判に勝てなくても、たとえ1円にもならなくても、この闘いは無駄になりません。


確かに、日々の労力・時間・経費、全てが無くなります。


しかし「記憶」が残ります。


一緒に闘ってくれた人・応援してくれた人・署名に協力してくれた人・この活動を見てくれた全ての人の「記憶」に。


そして、私に「闘い抜いた」という「記憶」が残ります。


たとえ誰に誉められなくてもいい。


誰に認められなくてもいい。


お金にならなくてもいい。


でも私は知っている。


私の脳には「ひとつの仕事をやりきった」という記憶が残ります。


確かに長い闘いです。裁判の途中で不安に駆られたり、「本当に裁判という選択は正しかったのか?」と思うこともあります。


実際に私もそう思った時もあります。


しかし、1度決めたことは最後までやり抜く。不安だからと言って動きを止めたり、途中で逃げるのは「自分で自分を裏切ることになる」になるんだと。



その男性の言葉に、私はこう言いました。


「無駄にはなりません。この署名活動を続けていくことによって、貴方の言ったことを言う人が少なくなっていきますから、それだけでも決して無駄にはなりません。」



そう言うと男性は、私の顔をしばらく見て、そのあと署名をしてくれました。