敵前逃亡 ~なぜ責任を取らなかったのか? | 日本と中国の真実に迫る!

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こんにちは。
長谷川です。


1937年、12月南京の状況を今一度振り返ってみます。

「虐殺があったのか、なかったのか」
このことを検証するために
「確実にあったこと」
洗い出していく必要性を感じます。


〇蒋介石逃亡


早くも12月7日に

国民党の蒋介石総統、宋美齢夫人、

何応欽軍政部長、白崇禧参謀総長ら

政府および軍首脳は、

市民と防衛軍をおきざりにして南京を脱出し、漢口に遁走しています。


〇我さきにと逃げた蒋介石


 すなわち、12月7日の時点で蒋政権は南京を放棄したということです。


それから南京はパニック状態に陥ったといいます。
富裕階級や高級官僚は持てるだけの荷物と現金をもって、南京を脱出し、続いて、
司法院も行政府も立法府の官吏も、

およそ役人という役人は政府要人のあとを追って南京を脱出しました。

地方公務員も同様に…。

教師、警察官、郵便局員、電話、電信、水道局の工員に至るまで、
われ先にと南京脱出をはかり、南京は文字通り、無政府状態になってしまいました。



〇そのときの朝日新聞『日本に渡す「廃墟南京」』


南京はそのときの首都だったのです…。


仮に首都に大軍を送り込まれたと仮定して
戦いが始まる前に国のトップと
役人が逃げてしまったわけですから..


現場は混乱したであろうことは簡単に想像できます。


では、その後

日本軍はどのように国民党に呼びかけたのでしょうか?


〇南京市をオープンシティに!


大日本陸軍 松井石根総司令官は
12月9日に空から降伏勧告文を散布したのです。


〇松井石根総司令官


これはいわゆるオープンシティ勧告といいます。


戦争で敗戦が濃厚になってきた場合、そこで戦争をすると市民に被害が出るため、
その町を敵に明け渡すこと。

公式に非武装宣言をして国際法によって都市を敵の攻撃から守ることができすのです。
日露戦争の奉天 第二次世界大戦のパリが有名な例です。


・以下、松井司令官の勧告文です。


『日軍百万既に江南を席巻せり。
南京城は将に包囲の中にあり。


戦局大勢見れば今後の交戦は只百害あって一利なし。
惟ふに江寧の地は中国の旧都にして民国の首都なり。


明の孝陵、中山陵等古跡名所蝟集(いしふ)し、

宛然(さながら)東亜文化の精髄の感あり。


日本軍は抵抗者に対しては極めて峻烈にして寛恕せざるも、
無この民衆および敵意なき中国軍隊に対しては寛大をもってこれを冒さず、
東亜文化に至りてはこれを保護保存するの熱意あり。


しかし貴軍にして交戦を継続するならば、南京は勢ひ必ずや戦禍を免れ難し。
しかして千載の文化を灰燼に帰し、十年の経営は全く泡沫とならん。

依って本司令官は日本軍を代表して貴軍に勧告す。
即ち南京城を平和裡に開放し、しかして左記の処置に出でよ。


          大日本陸軍総司令官  松井石根


本勧告に対する回答は十二月十日正午中山路句容道上の歩哨線において受領すべし。
もしも貴軍が司令官を代表する責任者を派遣するときは、
該処において本司令官代表者との間に南京城接収に関する必要の協定を遂ぐるの準備あり。


若しも該指定時間内に何等の回答に接し得ざれば、
日本軍はやむを得ず南京城攻略を開始せん。』


南京を東洋文化の真髄の感と褒めちぎり

そして平和裡に開放と呼びかけています。


国民党の軍隊は

どのような行動をとったのでしょうか?


〇唐生智 投降拒否、敵前逃亡


期日の時間になっても
中国側は誰も姿を現さず、勧告を無視しました。

〇唐生智


そして
唐生智は、
敗残兵を城内に残したまま、
12日夕刻、「各隊各個に包囲を突破して、目的地に集結せよ」と命じて、
自分ひとり、ひそかに揚子江北岸に遁走したのです。



このときこの勧告文を漢訳した岡田通訳官はこう述べています。


何故、降伏勧告した時、

中国軍はそれを受け入れなかったのですか。

もう負けははっきりしています。あとは降伏するだけです。


国家全体の降伏ではありませんし、南京だけ降伏していい訳です。
日露戦争の時旅順攻略でステッセルが乃木大将に降伏してますね、
あれと同じです。旅順陥落で日露戦争は終わった訳ではなく、その後も続きます。


南京の場合も、南京の一局面だけ降伏してもいいわけですよ

私は正直いって、中国びいきです。満州国をつくったのも賛成じゃない。


日支事変も日本がやり過ぎたところがあると思っています。
しかし、
京の降伏拒否は中国が悪い。

しかも、結局、最高司令官の唐生智は逃げますからね。
あれは中国の悪いところで、義和団の時も同じで、
清の責任者は最後になると逃げています。会社がつぶれる時と同じで、
責任者がいなければ会社は混乱して、社員は物を持って逃げますよ


 降伏拒否がなければ捕虜の問題もなかったと思います。
国際法上、とよくいいますが、国際法上からいえば中国のやり方はまずいと思います


○●○●○●○●○●



このように
国のトップも
軍隊の司令官も


責任を取ることなく
次々と逃亡を続けた国民党

この後、南京では市民の略奪、暴行が続き
中国人が中国人を殺したという
証言が数々あります。


もし仮にこの後、
2ヶ月程度で「日本軍の虐殺」があったと仮定しても
なぜ、中国の政府や軍隊は
助けに戻らなかったのか、という疑問が
沸き起こるはずです。


朝日新聞は、このとき遁走した
唐生智は「軍法会議にかけられ処罰された」と
紙面に書きましたが
後に誤報だったことが判明しています。


「南京で多くの死者が出た」
その責任は、逃亡した蒋介石が取るべきでしょう。




ご署名お願いいたします!

リンク先→ユネスコ「南京大虐殺文書」の世界遺産登録、取り消しを求めます。




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