今から、70年ほど前の
【7月29日 午前2時】
に恐るべき事件が発生しました。
マスメディア、学校教育では
伝えられることがなく
そして歴史家の中でもこの凶悪な事件を
語る方はごく少数です。
しかし、
日本人として覚えておかなければならない
と強く思っています。
1937年7月29日の新聞をご覧ください。
〇『通州事件』 その概要…
『中国の通州において冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が
日本軍の通州守備隊・通州特務機関
及び日本人居留民を襲撃し、大量虐殺をおこなった。
通州特務機関は壊滅し、
日本人居留民のうち女性はほとんど強姦されて殺害され、
殺害方法も猟奇的なものが多かった。』
〇事件の背景…
通州は、北平(現:北京市)の東約12kmにあった
通県(現:北京市通州区北部)の中心都市で、
南京政府から離脱して設立した冀東防共自治政府が置かれていた。
また、義和団の乱後の北京議定書に基づき、
欧米列強同様に日本軍が邦人居留民保護の目的で駐留していた。
〇事件の経過 ~極悪非道としか言いようがない…
1937年7月29日午前2時、3000人の
冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が日本軍へ攻撃を開始、
殷汝耕を捕獲し、日本軍守備隊、特務機関を襲撃、日本軍は壊滅し、
また日本人居留民を襲撃し、在留日本人385名のうち223名が虐殺された。
【防衛庁防衛研修所戦史部 (1975)、228頁】
歴史家、渡部昇一氏の主張によると、
保安隊の兵力は千数百人、華北各地の日本軍留守部隊約110名と
婦女子を含む日本人居留民約380名を襲撃し、260名が惨殺されたとしている
こんな目を覆うばかりの暴虐も…
冀東政府保安隊は日本軍を全滅させると、
日本人居留民の家を一軒残らず
襲撃し、略奪・暴行・強姦などを行なった。
7月30日午後通州に急行した天津歩兵隊長
及び支那駐屯歩兵第2連隊長の萱島高の証言によれば、
飲食店の旭軒では40から
17~8歳までの女7、8名が強姦後、射殺された
日本人男子の死体は
ほとんどすべてが首に縄をつけて引き回した跡があり、
「血潮は壁に散布し、言語に絶したもの」であった
【歴史家、中村粲氏の著作より】
〇●〇●〇●〇●〇●〇●
1937年に始まった支那事変
…日本軍の戦い
それは、教科書などでは「日本軍による非道」があり
と何度も日本が悪かったと記載されています。
果たしてそれが真実といえるのでしょうか?
この通州事件の後、
その暴虐さが日本に伝わり
「反中感情は一気に高まった」と
渡部氏、中村氏は述べております。
反中感情が起因したという歴史の流れもあったと
記憶しておくべきだと思います。
当時、流行った唄からもその感情は伝わってきます。
有名な唄をご紹介します。
(1937年)
作詞:佐藤惣之助
作曲:古賀政男
唄:奥田英子
1.
思ひ出すたび西空に
熱い涙を手向けませう
二百余人の同胞(はらから)が
露と消えたる惨劇の
恨みは深し通州城
2.
夢もはかなし七月の
二十九日の明けの空
響く銃声(つつおと)物音は
賊(ぞく)か鬼畜か叛逆(はんぎゃく)の
一語に狂ふ保安隊
3.
暗い民家に武器はなく
頼む夫は斃(たお)されて
愛し我が子を懐に
内に万歳唱へつつ
大和撫子散るもあり
4.
忘れやうとて忘られぬ
悲し恨みはいつまでも
西に流れて草を染め
赤い廃墟の夕焼けに
秋風寒し通州城
〇●〇●〇●〇●〇●〇●
中国共産党は通州事件を隠蔽し
隠し続けています。
そして
ジャーナリストの櫻井よしこ氏は
「後に作られた
『南京虐殺』の作り話が
この事件の内容と酷似している」と
指摘しています。
さらに「南京陥落後、日本軍が組織的に
虐殺を行ったような光景を
目にしたものはいなかった」
とも。
さらに戦後の東京裁判で
日本はこの事件を取り上げようとしましたが
ウェッブ裁判長にて却下されているのです。
この事件の明らかなる非人道性は、
当時日本だけが裁かれた裁判の流れを
「変える恐れがあったため」だといえるでしょう。
今一度、考え直し
そして歴史を再考する機会だと思います。
通州事件にて
お亡くなりになった英霊に
心からご冥福を祈り哀悼の誠を捧げます。
平成27年(2015年) 7月29日 午前2時
「マスコミが報道しない中国の真実」 管理人:長谷川