なぜ変わったのか?青い草原が黄色い砂漠へ | 日本と中国の真実に迫る!

日本と中国の真実に迫る!

ご訪問いただきありがとうございます!

「なぜマスメディアは中国やアジアの真実を報道しないのでしょうか?」、そういった日々の疑問をブログにしています!

自由にご拡散ください!

おはようございます。


昨日、南モンゴルに関して

お話を聞かせて頂きました。

感想も含め、レポートを書かせていただきます。



○南モンゴル(内モンゴル自治区)


中国東北部(旧満州)を含む地域にあります。

・面積は、1,183,000㎢

・人口は、2384万人が住む地域となっております。

詳細は、ウィキペディアにて→内モンゴル自治区



■毛沢東像が置かれる寺院も・・・


南モンゴルは
北のモンゴル国とは、分かれていますが

モンゴル国と同じ、独自の宗教、文化を持った国です。


現在は、中国の一部とされており
街中には、「毛沢東像」が置かれています。

しかし、1947年より以前
ここには独自の文化が花開き
そして、今よりたくさんの寺院があったのです。



○フフホト市 仏像ではなく毛沢東像が建っています。



■文化根絶 →すべてが共産主義へ


1947年、日本が敗戦し
中国から引き上げると、その地域にて中国共産党が
支配地域を広げます。

当然、南モンゴルにもその魔の手が伸びました。


共産党は、「土地改革」と称し
遊牧民を減らし、漢民族による農業を推し進めました。


1956年まで、「反革命者への弾圧」「社会主義運動」などと

政治運動を推進し、元々あったモンゴルの僧侶を改宗させ
「共産主義への回心」を行ったのです。


それは序章にすぎず
1957~65年 「反右派闘争」「大躍進運動」
1966~76年  「文化大革命」

と徹底的に共産主義化をすすめました。



○反党分子を批判する様子


○焼かれる仏像。こんなことよく平気でできますよね


日本人学校に通っていたもの
その関係者、親や友人などすべてを洗脳させ
そして従わないものは、暴力をふるうなど


非道なやり方をとりました。

それと同時に、「大革命」といいつつ
実は「毛沢東への崇拝」を教義とし、

彼の本、言動など行動にいたるまで
何から何まで同じことをする教育を受けさせました。



○南モンゴル、ウイグル、チベットで行われた民族弾圧



■3つの課題 →『教育、環境、祭祀』


「文化大革命」後、そのやり方が過度であったことを
共産党も認め、現在では、個人崇拝などは無くなっているものの

当時、壊された寺院や、文化的建造物などを
今一度、見直すという動きがあります。


『教育』の面では
失われた元々の言語を研究する…
モンゴルには独自の文字もあります。
しかし北京語が広がっているというのが現状です。


共産党優先の教育では、元あった文化を
教えることはほとんど行いません。


○フフホト市

道路標識が、北京語であてはめられています。

日本の漢字と違う部分もあり、解読しづらいですね



『環境』の面では
遊牧民が多く住んでいた青い草原…
遊牧民従事者は減り、その土地を農地化し
土地は変わり果てました。
そして開発優先で、工場が多くたてられ、砂漠化も
進行しています。



○内モンゴル自治区 ~オルドス市

近年の建設ラッシュがゴーストタウンも生み出しました



『祭祀』の面では
モンゴルではオボー祭祀という独自の宗教があります。
天の祭祀、大地の祭祀、家畜の祭祀、チンギスハーンの祭祀
などがあり、その中でもオボーが故郷のシンボル
唯一の伝統であるといわれています。


○オボー祭祀

○積み上げられた円錐形の上に守護神や精霊が下りてくる、

という神を祭る祭祀儀礼です。



今でもすすめられている

漢民族の大量移住、そして

様々な中国共産党優位策。


南モンゴルについてしっかりと

日本人も見直すことが大切だと

痛感しました。


今回は

ボヤント氏『内モンゴルから見た中国現代史』

出版記念、学術講演を拝聴させて頂きました。

講師の楊海英氏のお話も聞かせていただきました。

非常に実りのあるいいお話でした。


楊海英先生より

「昔の日本統治時代がよかったことが

 南モンゴルで伝えられている」

というお話がとても印象的でした。


こちらもぜひ!中国共産党が行った侵略についてまとめました→7つの侵略 ~一方的な領有宣言~





当方、ブログランキングに参加させていただいております。

貴殿のご支援、よろしくお願い申し上げます。


人気ブログランキングへ

にほんブログ村