こんにちは!
あの事件からもうすぐ26年ということで
事件の総括ブログをかきますね(*^-^*)
■3ヵ月続いた民主化要求、100万人以上が参加!
これは何の運動だと思いますか?
1989年6月4日に武力鎮圧がされるまでの
北京での民主化運動・天安門事件のことです。
おそらく、あの戦車が人をひく寸前の写真が
天安門事件だと思っている人も
少なからずいるのではないでしょうか?
中国全土で、100万人もの市民、学生が
民主化を望んだひとつの歴史の波だったのです
日本では、天安門事件は否定はしていませんが
その本質をとらえず、今はほとんど報道されていません。
■胡耀邦(こようほう)追悼集会と、1万人の民主化デモ
さかのぼること3か月前
1989年、4月上旬。
当時、言論の自由化を推進し、
国民からは「開明の指導者」として支持を集めた胡耀邦が
死去したことがことの発端となります。
民主推進派の学生による追悼集会が行われ
その後、北京の複数の大学で1万人程度のデモが行われます。
やがて天安門広場前の人民大会堂前で
座り込みのストライキへと発展していきます。
■中国、各都市に広がる民主化の叫び
4月下旬以降、学生によるデモは市民にも共鳴を呼び
西安、長沙、南京、武漢などにも運動が派生していきます。
当時の総書記、趙紫陽(ちょうしよう)はこの運動を見過ごし北朝鮮への訪問を
行い、さらなる市民の反感を買いました。
そして、民主化の要求を動乱だと決めつけ、鎮圧するよう
指示を出したのです。
週刊誌に対し共産党は、
、(民主化を推進した)「胡耀邦を擁護するな」と指示を出し
記事の統制を行い、
国営メディアによるテレビで事件の沈静化を促しました。
そのため、ジャーナリストなどからも反発
を呼び民主化のうねりは広まりました。
■そして50万人規模へ膨らんだ大きな波
5月上旬、北京の学生・市民らは
ついに約10万人の規模まで膨らみ
再び民主化を求めるデモと集会を行いました。
5月13日からハンガーストライキへと突入するのです。
(飲まず食わずの座り込み)
やがて全国から学生や労働者があつまり
その規模は、50万人も膨れ上がります。
警察による規制もきかなくなり、自由に意見を言える場となりました。
香港、日本、アメリカなど国外からの支援も活性化していきました。
さて
ここからなぜあの戦車が登場したのでしょうか!?
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『民主の女神』登場! (リンクがございます)
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