私は、誰かに何か言われたりすると、
その場その時に何も言い返せない。
誰かに表だって何か言われた時もそうだけど、
日常会話でも、うまいこと返事が返せなかったり、
その次の会話につながらないことが、多々ある。
言いたいことはあるんだろうけど、
言葉が出てこないというか、
何も考えられなくなっている。
一瞬、・・・なんだろうな、なんといえばいいのか・・・・
誰かに何かを言われた直後、心の中に「何もなくなる」。
(こういうところが、完全に、「後者」なのだろうと思う。)
その後、必死で、相手に返す言葉を探す。
その、「何もない」中から。
時は刻々と過ぎていく。もうその話題での会話は
終わっている。今更話を戻すのもな・・・と思い、
会話が成り立たないまま、そのまま流す。
しばらくたつと普通でいられるので、自分では
「ああ、何か言われても、流せるほど自分は
大人になったのだな」と思っていた。
でも、心の中に何となく残るモヤモヤ。
家に帰って一人になると、
後から後から、その時に言いたかったことが
溢れ出てくる。
「あれも言いたかった、これも言いたかった。」
「もっと、うまい切り返しが出来ないものだろうか」
「ああ、会話が盛り上がらなかったな。私のこと、相手は
【つまんね~】と思っただろうな。もう、次はないな」
と、自分を責めていた。
「言われっぱなし」な自分が、悔しかった。
「話を広げられない自分」が、嫌だった。
「何で、その場その時に言い返せないんだろう・・・?」
「なんで、もっと気のきいたことが言えないんだろう?」
「私は、頭が悪いんだ」「私は頭の回転が悪い、
ダメなやつなんだ」
そんな自分をどうにかしようとして、コミュニケーションの本やら、
「こういうことを言う相手は、自分のことをどう思っているのか」
ということが書かれている本やら、「こういうことを言われたら
どういう風に切り返すか」という本を、けっこうたくさん読み漁ったりした。
「話し方教室」というものに通おうかと、本気で悩んだこともあった。
この方の記事に書いていること、そのものだった。↓
「違和感の正体は。言い返せない私。」
http://ameblo.jp/miyo1cafe/entry-12154798499.html
こちらの記事も、素晴らしい・・・。↓
「後者の言語化」
http://ameblo.jp/mukae-443/entry-12154631515.html
だんだん、何をどうしようとしても改善しない自分にも
嫌気がさしたので、よほど水を向けられない限り、
自分からは、しゃべらなくなった。
だって、自分から話しかけたって、次が続かないし。
どうせ私と話したって、盛り上がらないし。
だったら、ひたすら、人の話を聴いていよう。
それだったら、相手も「聞いてもらった」って満足するだろうし、
自分も話題に困ったりすることもないから。
ひたすら相手にしゃべってもらおう。
そう思って、ひたすら聞き役に徹した。
そして、自分の気持ちを伝えるときは、
「話し言葉」より、「書き言葉」に依存するように
なった。
文章だと、いろいろ気持ちを整理しながら思いを伝えられるので、
なんと楽なことか。
相手に、ぶしつけな言葉を返してしまうこともない。
とんでもないことを言ってしまって、「あちゃ~」ということもない。
「何言ってるかわからない」って、はねつけられることもない。
でも、それは、私の「しゃべりの下手さ」を助長してしまったし、
何より「相手と心が通っている実感」がないままになって
しまっていると思う。
ひたすら話を聴いていて、相槌だけで何もしゃべらない私に
「壁に向かってしゃべっているようで」違和感を覚える人も
いるだろうし。
なので、ひとまず「その場その時で言葉を返せない自分」を
責めずに、気持ちをひたすら感じて、その時に言いたかったことを
整理して、・・・という一連の作業が必要なのだなと思う。
それと。
私が、イベントや何かで、あなたに話しかけられて、
反応が薄いように見えたり、言葉に詰まって固まったりして
いるのを、大目にみてやってください。
あなたに返す言葉を、頭真っ白で何もなくなってる状態から
探っていて、必死なのです。
私が何か言葉を発するのを、待っていてくださると
とてもありがたいです。
めんどくさい奴ですが、どうぞよろしくお願いいたします。
・・・・ここまで書いたら、すっきりしてきた(笑)。
お読みくださり、ありがとうございます。
↑2月のぢんさんMONDOU LIVEに向かう途中の
ゆりかもめからの景色♪