昨日の葬儀後、火葬中に待合室を借りてお清めをし、拾骨の
時間である事を告げに部屋に入ると、初老の男性が歩み寄り
「先生、今日は勉強になる話しを本当にありがとうございま
した。 私は岩手ですが群馬に引っ越してきたいと思うほど
ですよ。 遠くから来た甲斐がありました」と頭を下げられ
僕のほうが恐縮しました。

気恥ずかしさもありますが、褒められたら誰でも嬉しいのが
本音でしょう。 僕も同じで気分は良いのです。 がしかし
例えは悪いですが『麻薬』のようなものでもあります。

僕が子供の頃は両親、祖父母は勿論、近所の小父さんや小母
さん、学校の先生など、叱る人はいくらでもいました。
ところが加齢と反比例して叱る人は減り続け、40代に入る
頃は滅多に叱られることもなくなる。
また自分が経営している社内で叱る人などいなくなる。

さらに60代に入れば、まぁ叱られる事なんて無いに等しい
わけだし、今回のように湯かん納棺で納棺師をした後、家族
親族の腰が今迄以上に低くなる傾向にあるし、今回みたいな
褒め方をされると人は図に乗って舞い上がるものです。

一度や二度なら嬉しいだけで済みますが、僕のような凡人が
陥りやすいのは天狗になることでしよう。

『あんしんサポートの設立を褒め称える人』
『誰にでも出来る事じゃない人助けだと褒める人』・・ etc
挙げればきりがないほど称賛の言葉はあるものです。

初めは照れたり、謙遜もしていますが、そのうち自分の中で
当たり前感覚に成って来れば、いつの間にか天狗になってる
事だってあるでしょう。

しかし、それ以上に怖いのは、自分のしている事、言ってる
ことの全てが正しいと・・・自分を過大評価する事に思える

物事には全て表裏があるように、利益を得る人がいる裏には
不利益をこうむる人もいるのが常です。

例えば、24時間体制でいつでも会員さんからの依頼が受け
られるようにするには『年中無休・24時間体制』となる。

依頼予定のある家族には、頼もしい、安心と称賛されますが
僕らの家族にとっては最悪な仕事であるとも言えるのです。

『食えるだけの収入があれば、家族の時間を大切にしたい』
と考える人は結構いるでしょう。 なのに休日もなく、正月
でさえ仕事だし、夜中に起きて出掛けるし・・・

「俺は余裕の無い家族の役に立つ仕事をしている」と言えば
否定もしないし、苦言も言い難いでしょうが、仕事を離れて
家族として考えれば、ちっとも良い旦那や父親ではない。
もっと言えば、陰で支えてくれる家族があるから、好き勝手
していられるのも確かでしょう。

『人から褒め続けられる』→『気分が良くなりもっと頑張る』
→『いつか天狗になり傲慢になる』→『その傲慢さがいつか
家族崩壊に繋がる事もある』これが麻薬に例えた流れです。

そこで苦言を呈してくれる人、叱ってくれる人、問題提起を
してくれる人の存在も必要不可欠ですが、一般社会では人が
何をどうして失敗しようが関係ありませんから、馬鹿な奴と
思っても「あー、そうですよね」と言えばスルーできます。

では、僕のブログを思い出して貰えば分りますが、各回毎に
『強気な発言が続けば』その後で『自戒の念や自己反省』の
文面を書くことが多いのです。

読んだ人の中には、自己反省のできる人と思われるかもしれ
ませんが『本当の意味での自己反省が出来ない人間だから』
あえて文章化することで、客観視できるようにしているだけ
・・・というのが本音です。

麻薬のように中毒になって、人として駄目な奴だと世間から
烙印を押されてからでは、僕の年令では間に合いません。

前向きな叱咤激励をしてくれる人がいたら、多分本人は余り
良い気分ではないでしょうが、何でも同調してくれる人より
大切にすべき人なのかもしれません。



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