Mりんです。
恐れながら今回は新年のご挨拶を省略させて頂きます。


年始に、悲しい報せがあった。
私は東に向かって手を合わせた。

面識のある高次脳機能障害の当事者の仲間がひとり亡くなった。
自殺。

その方は事故前はとても頭脳明晰で、IQの高い天才ばかりが集まるシンクタンクでお仕事をしていた人。
それが高次脳機能障害になったことで、同じ職場で前までのように仕事ができなくなってしまった話は聞いたことがある。
でも彼は残された能力でまだまだどこでも通用しそうな・・・今の状態でも人並みかそれ以上の能力があるように思えた。

でも仕事レベルを下げることは彼のプライドが許さなかったのかもしれない。
職能訓練を経て「自分のやりたい仕事」と「自分に残された能力で可能な仕事」は違うことを知り仕事探しの方向をあっさり変えることができた私には、彼がどんなに苦しんだか、いかに辛い思いをしたのか、その痛みを想像することしかできない。

同時に彼は孤独だったように感じた。
離婚によって、パートナーも子どもたちも失い、一人で生活をしていた。
当事者同士で集いお茶会をしたことがあったが、我々以外の彼の友達の話を本人からも他者からも聞いたことがない。
自分の話について関係者以外には一切話さないだけだったのかもしれないけれど、
私の知る限り、障害を持ってしまった彼の理解者や支援者は誰も居なかった。
この障害においては、実の家族さえ理解を示してくれない例もよく聞かれるのだ。

これは多くの当事者に共通することだと思うけれど、
以前できていたことができなくなってしまった悲劇を受け止め受け入れることは簡単なことではない。
でもそれ以外にもたくさん問題がついてくる。まず自分が前とどう変わってしまったのか自覚(=認識)するのが難しい。それがいかに困難であるか、うまく説明が出来ない。
自覚できないまま、自分が見えていないままの状態で、自分でも自分がわからなくなっていて対応も対策も考えようがない状態にあっても、無理解な周囲からは責められることとなり、さらに追い詰められてしまう。

これからは変わってしまった自分と共に生きていかなければならない。
そんなとき、周囲に理解者がいなければなお不安の波は大きい。
これから先、どうやって生きていったらいいのか。
目の前が真っ暗になって、自殺を考える当事者は少なくない。

でも、はやまるな。
死んだら全てが終わりだ。

変わってしまった自分と共に毎日を懸命に生きている高次脳機能障害の当事者の同士の方々。
「ただ生きているだけ」それだけでも貴方はすごく頑張っているのです。
変わってしまった自分に立ち向かい一生懸命毎日を生きているんです。自分と闘っているんです。
その努力を評価してくれる人が周囲に誰一人いなかったとしても、
自分が自身の努力を評価してほしい。結果が出なくても努力している姿勢を認め評価してあげてほしい。
社会からドロップアウトされるだけでは済まず、今の自分のさまに打ちひしがれ・・・自分自身さえ敵となってしまい四面楚歌な状態に陥ってしまう。私自身も経験がある。
でも違う生き方をすることで生きられるようになるかもしれない。
それには、今までの生き方ができなくなったことを認めなくてはならない、その痛み苦しみを乗り越えなければならない・・・
これを乗り越え、障害の診断ののち職能訓練を受けて自分に合う職場へ転職した仲間もたくさん知っている。
職場に限らず、自分と合わなければ支援者や訓練先を変える方法もある。

事故で脳外傷を負ったなどの原因をもって高次脳機能障害になってしまった当事者は、
以前とは違う自分を受け入れるのがとても困難です。
どこがどう変わってしまったのか、検査でわかるものはほんの一部でしかない。生きている中で少し環境が変わっただけで大きな壁にぶつかってしまう。
自分で自分のことがよくわからない状態なのです。それをどう対処していけばいいのかももちろんわからない。どうすればいいか手探りで探している状態です。
違う自分と共に生きる苦しみがどんなものか、言葉だけでは説明ができません。これから先どうやって生きていけばいいのか、そのあまりの辛さに命を絶つ当事者が実際にいるのです。悲しい事実です。
でも、そばに理解者や支援者が居るのは大きな支えになります。名古屋リハが発行している脳外傷の冊子のタイトルは「いっしょにがんばろう」。周囲に理解があることで当事者は生き易くなるはずです。

死に方は選べないが生き方は自由だ、という言葉を聞いたことがある。
死に方は選んじゃいけないんだ。自殺という死に方を選ばないで欲しい。
これを読んでいる当事者の方が今どれだけ辛く苦しい状況にあるかわからないけれど
今までこれだけ辛い思いをしたんだ、これから先は幸せがたくさん待っているんです!辛い思いをしたぶんモトをとらなきゃ!
これだけ辛い思いをしてそれでも耐えてきた貴方は、この先これほどの苦しみはそうそうないはず。乗り越えていけるはずです。
その幸せはもしかしたら明日待ってるのかもしれない。だから今日を生きようよ。



彼と私では能力的立場が全く違うので、その痛み苦しみがどんなものであったか想像することしかできない。
「孤独の中を苦しみ痛み絶望と戦い、今までよく頑張って生きてきた」
仏になってしまった彼には、苦労をねぎらう言葉を祈ることしかできない。