パッションを見て感じたこと | [天使の卵] 女神塾 宮城県 仙台

[天使の卵] 女神塾 宮城県 仙台

2009年~「天使の卵 女神塾」 開校。

天使画、エンジェルブレッシング、パステル海講座、マリアブレス、レイキ伝授、エンジェルカード、エンジェルヒーリング、曼荼羅アート(曼荼羅ワーク®️)、カウンセリング、各種講座、コンサルティング

多分、このタイトルについてはこれからも感じるたびに書くと思う。


受け取ったものが大きすぎて、その時は消化できないこともある。

だからそういったものは時間をかけて徐々に感じて行こうと思う。


実は昨日もある場面でなぜか心が反応した場所があった。

それは、それまで弟子だったものたちがキリストを裏切った場面。

ユダじゃなく。


ユダがキリストを裏切ったというのはさすがに有名だし、絵とかを調べていたときにも知っていたけど、ユダじゃない別の人。他にもいたのか、と昨日初めて知った。


それまで弟子だったのに、キリストが捕らえられると「自分はあの人を知らない」と言った。

そしてその場にいたマリア様に対しても、(キリストを裏切って)申し訳ないという気持ちで逃げるように去っていく場面。 


ここがなぜかとても私の心にいつまでも残った。


ただ、ユダにしてもペテロにしても、みんな本当の、心からの裏切りではなかったんだと私は見ていて思った。

昨日の映画を見る限りそれは感じた。自分のしたことを後悔し、胸を痛め、心がつぶされそうになっていたのもわかった。



私は今まで自分の過去世らしきビジョンを感じたり人から言われたりして何となくキリストと深い縁があったとは思っていた。でも、私はどちらかというとキリストに関して、辛いことが多かったように感じていた。裏切られたように感じたり、見放されたように感じたり。


ローマでキリストの絵を描いていた時、キリストの絵を描いたばかりに捕らえられたような過去世を感じたことがあって、その時の感情、言葉はいまだに覚えている。

「誰も助けに来てくれない。神でさえも」

と。http://ameblo.jp/angels-2009/entry-10384230248.html


そして「絶望」の絵。http://ameblo.jp/angels-2009/entry-10385752544.html

「神に見放された」、という思いを感じながら描いた。

私の中でキリストはずっとそういう印象を持っていた。


でも。。。。


昨日その映画の中で、裏切った一人の弟子の言動を見て、はっとした。

「あ。。もしかして私もその一人だったのではないか・・・」

弟子だったとかそんな大それたことは思っていないけど、弟子以外にもキリストを崇めていた人はその時もたくさんいた。


本当は崇拝していた。

だけど自分も捕まるのが怖くて、殺されるのが怖くて、素知らぬふりをした一人だったのではないか。


どうして助けないんだ。どうしてみんな見ているだけなんだ。怖くて震えながらそれを見ていた人たちがいる。

その場面は何とも言えない気持ちになった。


で、さっきから何となくじわじわとある思いが私の中で湧き上がってきたんだ。


私はキリストを裏切ったのかもしれない・・・


だからあの言葉を感じたんじゃないかって。

「過去世の私の言葉」http://ameblo.jp/angels-2009/entry-10650070416.html


「マリア様は、私をお許し下さるのですか」


マリア様は私を知っていた。

私のしたことも全て知っていた。

それら全てを知っててマリア様はこれまで私に優しくしてくれたんですか・・・



・・・・・


あ・・・気付いてしまった・・・

東京のルルドのマリア様の前でマリア様に言われた言葉が、今ようやく結びついた。

http://ameblo.jp/angels-2009/entry-10507067471.html



「私は今日どうしてここへ来たのですか?」


とマリア様に尋ねるとマリア様から言葉が来た。

「洗い流すためです。

あなたはこれまで自分を責めてきましたね。

それらの過去のものをすべて洗い流すためです。

誰もあなたを責められないのです。

それはあなただけではありません。

皆にも伝えなさい。

過去の自分を責めている人へ、この清らかな泉で洗い流し、そこに愛の光をあててください」


そして

「あなたを許してください」

「Forgive」


「自分では意識していなくても、記憶が無くても、

過去、あるいは過去世での自分のあやまちを

未だに引きずっている人がいます。

その人たちに「許しのエネルギー」を授けてください。

「自分を許すように」

「自分を愛するように」

「ありのままの自分を愛せるように。過去も含め、すべての自分を」



受け取った時も過去世のことだとは思ったけど、何のことだろう?と思っていた。

責めてきた?

自分が?

何を?


その時はわからなかったけど、でもなぜか無視できない言葉に感じた。

いつかわかる時が来るだろうと思っていた。


そして何だか今、腑に落ちた気がした。


多分、私はいくつもの過去世で、いろんな国や時代で、キリストやマリア様との繋がりがあったんだと思う。

もちろん男性だったり女性だったり。

時には裏切られたと感じたり、神に見放されたと思った過去もあったんだと思う。

でも今回初めて気付いてしまった。


私が「キリストを裏切ったのかもしれない」ということを。



だからこそ、ローマで絵描きをしていたような男の人の過去世の時は、記憶には無くてもその過去の償いとして生まれ変わってキリストの絵を描いてきたのではないかと。そしてシスターとして自分の身をささげたような過去も感じたことがあった。


私の魂はずっと、許されるために、許していただくために生きてきたのか。


そういえばマリア様にこんなことを言われたこともあったのを今思い出した。

http://ameblo.jp/angels-2009/entry-10464110720.html



うぅ・・・



これらが本当かどうかはわからない。


でもなぜか今、絡まっていた糸がするするとほどけて行くように、いろんなことが腑に落ちて行く。


そして昨日までと明らかに変わったことと言えば、キリストに対する思いだ。


それと、マグダラのマリア。



少しずつ、私の中で何かが変わってきている。