ゴールデンウィークですね
いかがお過ごしでしょうか?
今日は「要求」について、です。
週末におやつを食べよう、という時に、
3歳の娘がこんなことを言い始めました。
「クッキーが食べたい」
どうぶつビスケットを出すと、ちがう、と言います。
「バターのついているクッキーが食べたい」
クラッカーにバターをつける?
(そんなことはこれまでしたことないけれど)
ちがーう!と怒ります。
「バターが挟まっているクッキーが食べたい」
白い恋人
バターじゃないけど。ホワイトチョコレートだけれど。
先々月、1回1枚、2回ほど食べさせていたのでした。
けれど、我が家に在庫はないし、近所に石屋製菓もありません。北海道物産館へ行く予定もありません。
なので、
「ママも食べたいなぁ。でも、今は家にはないから、また今度見つけたら買おうね」と言って事なきを得ました。
(ちなみに、バターサンドは食べさせたことがないので、バターサンドかも?とは思いませんでした)
が。
「要求する」ということについて、いろいろ考えさせられる一場面でした。
話し手である要求者は、欲しいものが明確にあり、言葉や手がかりを重ねて伝えようとする。
そして、聞き手である提供者は、相手の欲しがっているものについて、発される言葉と現在と過去の文脈から類推して聞き取る。
その両者が一致すれば、
たとえ、バターがホワイトチョコレートであれ、
それが今目の前にないものであれ、
同じものを思い描けるのですよね。
話し手がどんなにつたなくても、伝えようとすることをあきらめず、聞き手が忍耐強く聞き取ろうとすれば、単純な物の要求って伝わることが多いだろうな、と思います。
でーもー、後で気づいたのです。
先月、白い恋人を食べた時の空き箱を娘の「ままごと遊びのクッキー入れ」におろしてやっているのです。
これ↓
開けると、母お手製のダンボールクッキーが詰まっています。
このクッキーが食べたいの!と見せてくれれば、すぐに欲しいものを理解してあげられたのに。こんなにわかりやすい箱、他にはないのに と思ったのでした。
発語のない子どもたちの言葉のトレーニングをしていると、もっとうまく聞き取りたいなぁ、と思うことが多々あります。「文脈」を共有できているとかなり多くのことを聞き取れるので、お母さんと一緒に考えたりするのですが、「伝えようとすること」を早々に子どもがあきらめてしまうことが多々あります
子どもにあきらめないで!と言っても、そんな言葉は意味を成しません。
あきらめないで要求を続けてくれるようにするには、大人が忍耐強く聞き取って要求を叶え、要求が叶ったと子どもが喜ぶ回数を増やすしかないのです。
白い恋人の中身をバターだと言ってもそれでいいのです。
箱を持ってきて これ と指さすだけでもいいのです。
生活を共にして楽しいことを一緒にする、ということは、そんな(テキトーな)伝え方でも伝わる、ということなのです。そして、その経験が要求したら叶う、という経験になり、その経験がもっと細かい要求も伝えたいという次への気持ちにつながるのでしょう。
子どもが自分の欲しいものを手に入れるまで、あきらめずに伝え続ける気持ちが育つといいなぁ、と願っています
しかし・・・。
美味しい記憶ってすごいなぁ、と思ったのでした。
約2ヵ月前に人生でたった2回しか食べていないものを思い描き、限られた語彙を駆使して要求しちゃうほどのモチベーションになっちゃうのですね。