職場から冬にはくっきりと姿を見えていた富士山が、
春の訪れとともに霞の向こうに隠れてしまう時期がありました。
富士山の姿を拝みたくなって、久々にこの小説を読みました。
この小説の書き出しは、読み手のうちに富士の姿を
くっきりと姿を浮かび上がらせます。
◆ ◆ ◆
富士の頂角、広重の富士は八十五度、文晁の富士も八十四度くらい、
けれども、陸軍の実測図によって東西及南北に断面図を作って
みると、東西縦断は頂角、百二十四度となり、南北は百七十五度
である。広重、文晁に限らず、たいていの絵の富士は、鋭角である。
ね、あなたならではの富士山の姿が浮かんできませんか?
富嶽百景・走れメロス他八篇 / 太宰治 (岩波文庫)
648円
1943年刊、1957年文庫化 |
富嶽百景 / 太宰治
Kindle版 円
1943年刊、2012年電子化 |
今回はネタバレです。
1930年代後半、太宰治は芥川賞に漏れ、女性と別れ、薬物に溺れ、
何も書けない、失意のどん底にありました。
東京から富士を眺める御坂峠の天下茶屋に移り、その二階で、
再び書こうとする自身の再生に向かう様子を描いた短篇です。
◆ ◆ ◆
この短篇の中で、主人公の作家(=太宰治)は
何度か富士山を眺めた感想を書いています。
東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。
御坂峠へ行く前のどん底の状態で眺めた時のものです。
まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。
御坂峠の天下茶屋に来て間もなく、その二階から眺めた感想です。
みんながいいと誉める光景を俗っぽいと非難しています。
いいねえ、富士は。やっぱり、いいとこあるねえ。
よくやっているなあ。
同じ天下茶屋で、主人公のファンと称する若者が来た時のもの。
明るい月夜だった。富士が、よかった。
吉田で主人公を慕う若者たちと過ごして、彼らと別れた後です。
富士には、月見草がよく似合う。
吉田から天下茶屋に戻ってきたときの感想です。
月見草は茶屋の裏口に自ら種を蒔いたもの。
富士山と一緒に見ることができない組み合わせに、
主人公だけが知るひとしおの思い入れがありそうです。
◆ ◆ ◆
気が遠くなるほど永い年月ただそこにあるだけの大自然を、
評価するに足る審美眼を持った者として富士山に向かっています。
だた、その評価はその場の気分次第です。
芥川賞が欲しくてたまらなかった作者は、
自分の作品に自信を持ちながらも、作家の成功の証に
きちんとした眼を持った人たちに評価されたかったのでしょう。
富士山に対する評価者の態度はその裏返しに思えます。
なのに、どん底の気分から主人公を救い出したのは、
市井の文学好きの青年です。
主人公のこの辺りの微妙な脆さ、危うさが、
太宰ファンにはたまらない魅力のひとつなのでしょうね。
それにしても、そんな自分を客観視して書く、
私小説作家とは苦しい職業です。
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