そっとカカトを上げてみる ~ こっそり背伸びする横浜暮らし

そっとカカトを上げてみる ~ こっそり背伸びする横浜暮らし

大きな挑戦なんてとてもとても。
夢や志がなくても
そっと挑む暮らしの中の小さな背伸び。
表紙の手ざわりていどの本の紹介も。

相互読者登録のご期待にはそいかねますのでご了承ください。


この著者は、アメリカの東部を3,500kmにわたりのびる自然道、アパラチアン・トレイルを踏破しました。

Google Map によれば、
北海道の北端宗谷岬から鹿児島県佐多岬まで歩いたとしても2,600km足らず。
3,500kmは歩くにはとんでもなく長い距離です。

この本に書かれているのは単にその踏破の記録ではありません。

そもそも生物が通った跡である道とは
どのようにしてできるものなのか
、という視点です。

果ては、国境をまたぐ国際的なトレイル〈道〉や
抽象的・概念的な道まで思索は及びます


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トレイルズ(「道」と歩くことの哲学)/ ロバート・ムーア著、岩崎晋也訳(エイアンドエフ)
原題:On Trails: An Exlprolations, Robert Moore
2018年刊
お気にいりレベル★★★★☆

トレイルは「信頼してついていくことのできる印のつながり」です。(リチャード・アーヴィン・ドッジ大佐による定義)
「印」とは、例えば動物が通る際に残す足跡、糞、折れた枝といった目印です。

最初の生物はなぜトレイル〈道〉(何度も通った跡)をつくったのか?
トレイル〈道〉の機能とは?
一度断絶したトレイル〈道〉を、昆虫、動物、人間はどのようにして伝承してきたのか。
現在のトレイル〈道〉(観光用を含む)はどのような歴史を経てできたのか?
科学技術の発展にともない、トレイル〈道〉と人間の関係はどのように変わったか?
そして何よりも、なぜ大変な思いをしてまで長距離のトレイル〈道〉を歩こうとするのか?

こうした疑問を解くために、
実際に長いトレイル〈道〉を歩くことに加え、
ロングトレイルに挑戦する人びとの言動や生き方、
生物、先住民の生活、科学と暮らしの変化などの研究など、
多岐にわたる分野に著者は思索の翼を広げます。


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昆虫のアリを題材にした小さな生物たちが作るトレイル〈道〉プロセスや仕組みに関する記述や、
異なる生物の作ったトレイル〈道〉を利用している実例は、
人間歴史のなかで暮らしがトレイル〈道〉を歩くことを通じて他の生物の生活に影響されてきたことにあらためて気づかされました。

文字が一般的に使われていなかった時代・地域において、
生きる知恵=文化の伝承と土地との関係は不可分であったことは、
考える価値のあることでした。

その延長でといってもよさそうな話で、
私にとって「自然」という概念が大きく揺らぎました。
いまの人間がもたらした結果を含めて「自然」かもしれません。
他の生物の実例や歴史からすると、私に末恐ろしい想像をもたらしました。


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一方で、実際にロング・トレイルを歩く人々の思考やコミュニケーションの逸話を読むと、
本書の『「道」と歩くことの哲学』という副題もうなづけました。

長年、ロング・トレイルを歩き続けた伝説的人物が、
もうトレイル〈道〉を歩くことを止めようとの決意を
歩いている途中で告白した時、
一緒にいた人たちがとった、自分の命を削るような行動には心が動かされました。

「体験する」→「知る・感じる」→「考える」→「問う」→「答え(仮説)を得る」→「検証する=体験する」というサイクルを、本書上で疑似体験させてもらいました。



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この作者の芥川賞受賞作『乳と卵』を読んだ時の記憶は、
14年経った今も圧倒された体感ばかりです。

何に圧倒されたかというと、
ぐいぐいと圧してくる大阪弁、
主人公の姉が意識的に放つある種の女っぽさといわれる行為、
主人公の姪の母親(=女性性)に対する強い拒絶・・・・ etc.
100ページの文庫本の圧力の正体をろくに探れないままでした。

なのに懲りずに、同じ川上未映子作『夏物語』に挑戦しました。
『夏物語』の第一部は事実上『乳と卵』そのもの、
第二部はその8年後の後日譚です。

読んでみて、
親として子をつくるか否か、
親とは、
子として生まれてしまったら、という視点から
特定の考えにこだわらず幅広く果敢に挑んだ
本作に手を伸ばしてよかったです。


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夏物語 /川上未映子(文春文庫)
2019年刊、2021年文庫化
お気にいりレベル★★★★☆

もう一度読み返したら、

さらに人物の心の奥が見えて★x5になりそうです。

第一部で描かれるのは、2008年の夏、
東京の下町三ノ輪に住む作家志望の夏子(30歳)のもとで、
大阪から豊胸手術のために上京したホステスの巻子(39歳)と
その娘緑子(12歳)が過ごす3日間。

第二部は、あれから8年後、
小さな文学賞を受賞後、細々と作家を続ける夏子が、
独り身で、性欲もないのに

自分の子どもに会いたい、一緒に生きてみたいと迷う日々です。

20歳になった姪緑子とその彼春山くん、
独身主義の編集者仙川涼子、
シングル・マザーで作家の遊佐リカ、
非配偶者からの人工授精(AID)関係者 etc.

 

結婚や出産・子育ての視点から

男女親子様々な立場と考えを持った人物が、
場面や相手を選びながらも率直に考えを言葉にします。
それぞれの立場や考えの違いから発言し、

時には議論を交わすことも。

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わたしたち、言葉は通じても話が通じない世界に生きているんです。

編集者仙川涼子が夏子と初対面でこんなことを言い、このあと村上春樹の『1973年のピンボール』の言葉を引きました。

作者の筆は特定の考え方に肩入れすることなく、
意外な角度からの考えを登場人物に端的な言葉で語らせます。

そんな言葉を投げかけられながらも、
主人公夏目夏子は立場・考えの異なるそうした人たちと接し、その度に心が揺れます。


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女性の個性的な人物が次々と登場する一方で、
夏子の父や元カレ、作家遊佐リカの元夫、精子提供者など、
男性はいまひとつうだつがあがらない人物が並びます。

特定の考えに肩入れしていないにも関わらず、こうした描き方になるのは、
提供者の匿名性があるAIDに関わる場面もあるからか、
子育てはおろか、出産というか生殖において、
男性(オス)の役割に通過的一面が見えるのかもしれません。

そのためではないものの、
男性読者として、テーマの当事者に移入できませんでした。
私がもっと身につけなければならないか、あるいは
捨てなければならないか、考えます。


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一方で、この小説でぐんと視点の拡がりと深みを添えているのが
AIDによって生まれた登場人物です。

頼まれて産んでもらったわけではない点では、
通常の出産で生まれた人と何ら変わりはありません。
また、AIDでなくても産みの親を知らないケースはあります。
彼らが親の役割や責任をどのように想像し、

自分の将来に向き合うか。

そうしたケースとの同一性と相違を
人の気持ちとしてどのように表されているか。

川上未映子の「いのち」の責任にかかわる思索と創作に強く惹かれました。


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終末の宵、ひさしぶりに文字通り同じ釜の飯を食った、
言い換えれば食わせた側と食わせてもらった側双方の、
仲間で横浜駅近くに集まりました。
前回からコロナ禍をはさんでの集まりです。

若い時分なら暗算ですぐに「何年何ヶ月ぶり」と言えたのが、
その後は指折り数えなければならなくなり、
近ごろでは指を折るのも億劫でこんな言い方になります。


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男女それぞれ4人、50年のつきあいになる8人です。
「50年」というと「半世紀」。長い時間に思えますが、
いざ高齢期になって振り返れば、あっという間です。
「ハンセイキ」の音も「反省期」と変換されて頭に浮かびます。

こうした集まりは間があくほど集まるエネルギーが要ります。
なかには県境を越えて参加する者もあり、
なんとか実現にこぎつけられたのも、
この人ならと思える旗振り役や
マメに連絡を取ったり日取りを調える幹事役のおかげです。


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「LINEを使えばなんてことないじゃん」
そう思う向きもあるでしょうが、
なにしろ高齢者が8人ともなると、
LINEのグループ作りひとつとっても大騒ぎです。

若い世代にはなんてことのないことを
大騒ぎしながらするのも楽しみのひとつ
と心得ている(心得ちがい?)ところもありますが。

そんな高齢者たちを見かけたら、
それはそれでよし、

と温かい眼で見守っていただければと思います。

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8人のうち多くは今も仕事やらライフワークやら、
まだ外に向かった生き方をしています。じつに元気です。

一人ひとり、ことなる背景があったり、思うところがあったり、
集まりに顔を出すまでの間、いろいろあったかもしれません。

それを言葉に出して気分を楽にする者もいたかもしれないし、
あるいは幾らか強がった者もいたかもしれないし、
あえて言葉にせず限られた時間、自らを日常から解放した者もいたかも。

まぁ、とにかくこの8人には、
集まれる健康・心持ち・経済力・時間をやりくりできる健やかさがあったということです。

上々じゃん。



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このエッセイの著者岡潔 おかきよし (1901-1978)は、日本が生んだ数学の天才のひとり。
この季節に思わず手にとりたくなるタイトルのエッセイは、60年ほど前に書かれました。

簡潔ながら意外な一文から始まります。

人の中心は情緒である。

その翌年には東京オリンピックが開催され、
日本は高度経済成長の真っ只中です。
そこで、この数学の天才は、この国のありさまが心配になって口を開きました。

この冒頭の一文のある「はしがき」は、
漂う不穏な空気に、これから何が起きるのだろうという期待が高まる1ページです。


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春宵 しゅんしょう 十話 / 岡潔 (角川ソフィア文庫)
1963年刊、1969年文庫化
お気にいりレベル★★★☆☆

冒頭の一文の次の段落で、数学の学問としての性質を「学問芸術」という表現で説きます。
数学と情緒、数学の思い出、宗教、知性の力、教育について持論を展開します。

その春宵十話につづき、 宗教や日本人の価値観や知性の特性、それを伸ばすための教育などをとり上げます。
さらに、芸術、学者仲間、スポーツと著者の周りの話題が他とり上げられます。


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西洋型の文化と対比させながら、日本の文化の特性を挙げ、
これを著者自らの研究スタイルや成果を例に具体化を図ります。

知性に自由がどこまであるか、という論点で述べられた一節は、
科学と文化との関係を歴史の流れに沿って繰り広げられ、
十分に理解できなかったなりにも楽しめました。

さらに、十話のうちのひとつ『情操と智力の光』では、

数学の最も良い道連れは芸術である。

という一文を跳躍のいとぐちに、
数学を例に科学の学び方を次々と解き明かす部分は、
『春宵十話』で伝えたかった著者の真骨頂が発揮されています。


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数学者でありながら、誰もが同じことを想起する定義は少なく、
数学と宗教や芸術など、感性で概念と概念の関連をひとクセ混ぜながら説いた上で、
経験に基づく実例で具体的なイメージづくりを援ける
という記述スタイルに、私には理解しきれない部分もありました。

それでも、ぼんやりとかかった霞の向こうにある、未知の魅力に富んでいました。



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このところ、意識して
好みとはいくぶん反りの合わない本を手にとってきました。
心身ともにいい調子だったので、
必ずしも好きではない方面に逸れるのもいいかなと思って。

詩集、
日欧米以外の作家の小説、
理科系の人の小説や随筆、
言語を崩したり、方言を多用する小説、
強く生理的に女性を描い小説
哲学者の書いた本 etc.

仕事をしていたときには自然に起きていた、
自分の好みとは違う価値観や感覚との接触を
反りの合わない本を読むことにより意識的につくって、
自分のどこかに計算外の変化が起きないかと考えました。


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実例の一部を挙げると、
詩集:『世界は美しいと』(長田力)
日欧米以外の作家の小説:『恥辱』(J.M.クッツェー)
理科系の人の小説や随筆:『春宵十話』(岡潔)、『ご冗談でしょう、ファインマンさん』
言語を崩したり、方言を多用する小説:『地球にちりばめられて』多和田葉子、『夏物語』(川上未映子)
強く生理的に女性を描い小説:『夏物語』(川上未映子)
哲学者の書いた本:『大衆の反逆』(オルテガ・イ・ガゼット)

やはり反りが合わないためか、読んだ後もこのブログで紹介していないものが多いですね。


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同じ系統をたて続けに読むとまだ消耗するので、
少し感覚を空けて、また同系統の次の一冊を手にしています。

これらをとりあえず読了しましたが、
未消化の部分も多く、

その宙に浮いている疑問のようなものが、
心地よいとまではいわないものの、
不思議な魅力をもち始めています。

3部作を機に多和田葉子のファンに転じ、
ちかごろは川上未映子をもっと読み直そうと思っています。
哲学者の書く本もエッセイなら興味深く読んで行けそうです。

よく知らないものが、
これから少しわかってくるような感じです。
霧がたちこめ、それが少しずつ晴れてきて、
これからもう少し視界がきいてくる期待です。

自分のなかではゲームとして形になってきたので、
このゲームをもう少し続けてみようと思います。



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