高校生の時に知り合って以来12年、
つきあっているような、いないような、曖昧な男と女がいます。
こうした設定にふだんなら、
なかなか進展しないストーリーに 焦 れるのですが、
なぜかこの小説は読みすすめても、そんな気になりませんでした。
一人称の「私」=女性が男を「あなた」と二人称とする語り口が
愛情とそれが成就されないという諦めを同居させています。
この作者の腕のよさがうかがわれます。
◆ ◆ ◆
袋小路の男 / 絲山秋子 (講談社文庫) 432円 Amazon、378円 Kindle版 2007年刊、2012年文庫化 |
「袋小路の男」「小田切孝の言い分」「アーリオ・オーリオ」の
3篇が収められています。味わい深い3篇です。
「袋小路の男」は「私」日向子が
「あなた」=作家を志す小田切孝との関係を語ります。
「小田切孝の言い分」は小田切を主軸に日向子の視点と交互に
三人称で二人のつき合いが語られます。
「アーリオ・オーリオ」はプラネタリウムに連れて行ったことを
きっかけに、孤独な叔父と14歳の姪の文通がはじまります。
◆ ◆ ◆
出会ってから十二年がたって、私達は指一本触れたことがない。
この文の後ろに次の一文が続いて
これが単なる例えではないことが実感できます。
厳密に言えば、割り勘のお釣りのやりとりで中指が触れて
しびれたことがあるくらい。
中指!! 記憶の詳細さ、鮮明さで切なさが伝わってきます。
「私」が「あなた」との記憶をどれだけ大切にしていたか。
なのに、進まない、離れない関係です。
◆ ◆ ◆
かけがいのない相手だからこそ、これ以上接近しない。
こんな関係を語る小説を焦らされずに読めるのは、
日向子も、小田切孝も、互いに惹かれながら
親密になることを諦めている、親密になったあと続かなくなる、
と思っているからでしょう。
◆ ◆ ◆
進展のないストーリーを淡々と語りながら
読み手を飽きさせないポイントのひとつは生々しさです。
触ったらぬるりと冷たいんじゃないか、という気がした。
そのぬるりのことを考えるとわき腹のあたりがせつなくなった。
高校生(!!)の日向子が明け方初めて小田切孝をみた感覚です。
◆ ◆ ◆
絲山秋子の文章はびんびんと響いてきます。
私と相性がいい作家がいるっていいですね。
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*** 読書満腹メーター ***
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