「ローハイド」などの西部劇や「コンバット」のような戦争物に混じって、
「パパは何でも知っている」、「ビーバーちゃん」といった
日本でもTVで放映されたホームドラマを通じて、
今から50年前のアメリカは、日本人の目には憧れの世界でした。
一方で、そのアメリカで、まだこんな世界がありました。
◆
ひと旗あげようと、日本からアメリカに移住した人たちがいました。
また、そうした人を親とした日系二世がアメリカにいました。
- 葡萄畑 / 高橋 三千綱 (新潮文庫)
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1960年代、サンフランシスコに留学していた日本人が、
夏休みを利用して生活費をひと稼ぎしようと、
同じカリフォルニア州の葡萄畑でアルバイトをします。
そこにいたのは、小屋のような建物に並ぶベッドに寝泊まりし、
葡萄畑で働く日系一世、二世、たまに三世たち。
低賃金でも畑を渡り歩くことしか糧をえる術のない、
日々、命をつなぐのが精いっぱいの暮らしです。
◆
活きいきした会話も、その内容はというと、
愚痴、あてのない希望、ともに働く仲間への文句や皮肉。
町で仕事を得た仲間の噂には憧れと妬みが滲みます。
なぜか尖った話の矛先は、
自分たちと大きな差のある生活をするアメリカ人ではなく
同じ日本人に向かいます。
そこに彼らの知っているアメリカの狭さと諦めを見てとれます。
終盤、仲間のひとりに起きた事故後のアメリカ人とのやりとりでは、
ここまで言うのか、と思うほどあからさまな差別を見ました。
そんな被差別の積み重ねが、諦めをもたらした一因でしょう。
◆
メキシコ人が集まる畑では、家族で働きながら暮らすのに比して、
日系人の集まりは家族を持たない男たち。
日系人たちは稼いだわずかな金も、小さな町の酒場に消えます。
同じ貧しさの中にも、いくらかでも未来の見える人たちと、
むなしい未来しかない人たちの違いが際立ちます。
◆
諦めたら終わりというきれいな教訓が頭に浮かぶ一方で、
ここでは直接には描かれていない、
諦めても仕方がない過酷なアメリカの社会が透けて見えます。
そして、あらためて
今の日本にも、葡萄畑はあることを思い起こしました。。
[end]
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