憧れの果て ~ 「葡萄畑」 | そっとカカトを上げてみる ~ こっそり背伸びする横浜暮らし

そっとカカトを上げてみる ~ こっそり背伸びする横浜暮らし

大きな挑戦なんてとてもとても。
夢や志がなくても
そっと挑む暮らしの中の小さな背伸び。
表紙の手ざわりていどの本の紹介も。

相互読者登録のご期待にはそいかねますのでご了承ください。



「ローハイド」などの西部劇や「コンバット」のような戦争物に混じって、
「パパは何でも知っている」、「ビーバーちゃん」といった
日本でもTVで放映されたホームドラマを通じて、
今から50年前のアメリカは、日本人の目には憧れの世界でした。

一方で、そのアメリカで、まだこんな世界がありました。


         


ひと旗あげようと、日本からアメリカに移住した人たちがいました。
また、そうした人を親とした日系二世がアメリカにいました。

葡萄畑 / 高橋 三千綱 (新潮文庫)
¥336 Amazon.co.jp

1960年代、サンフランシスコに留学していた日本人が、
夏休みを利用して生活費をひと稼ぎしようと、
同じカリフォルニア州の葡萄畑でアルバイトをします。

そこにいたのは、小屋のような建物に並ぶベッドに寝泊まりし、
葡萄畑で働く日系一世、二世、たまに三世たち。
低賃金でも畑を渡り歩くことしか糧をえる術のない、
日々、命をつなぐのが精いっぱいの暮らしです。

         

活きいきした会話も、その内容はというと、
愚痴、あてのない希望、ともに働く仲間への文句や皮肉。
町で仕事を得た仲間の噂には憧れと妬みが滲みます。

なぜか尖った話の矛先は、
自分たちと大きな差のある生活をするアメリカ人ではなく
同じ日本人に向かいます。
そこに彼らの知っているアメリカの狭さと諦めを見てとれます。

終盤、仲間のひとりに起きた事故後のアメリカ人とのやりとりでは、
ここまで言うのか、と思うほどあからさまな差別を見ました。
そんな被差別の積み重ねが、諦めをもたらした一因でしょう。

         


メキシコ人が集まる畑では、家族で働きながら暮らすのに比して、
日系人の集まりは家族を持たない男たち。
日系人たちは稼いだわずかな金も、小さな町の酒場に消えます。

同じ貧しさの中にも、いくらかでも未来の見える人たちと、
むなしい未来しかない人たちの違いが際立ちます。

         


諦めたら終わりというきれいな教訓が頭に浮かぶ一方で、
ここでは直接には描かれていない、
諦めても仕方がない過酷なアメリカの社会が透けて見えます。

そして、あらためて
今の日本にも、葡萄畑はあることを思い起こしました。。


[end]


*** 読書満腹メーター ***
お気にいりレベル   E■■■□□F
読みごたえレベル  E■■■□□F

ペタしてね
(ペタお返しできません。あしからず。)

*****************************
作家別本の紹介の目次なら
日本人著者はこちら

海外の著者はこちら

*****************************


<----左側の
①「ライブラリーを見る」をクリックし、
②ライブラリの各本の"LINK"をクリックすると
 その本を紹介した記事にとびます。