高校を卒業して、(といっても卒業式はすっぽかしましたが)
とにかくめでたく上の学校に進学したものの、
最初の1年間は戸惑ってばかりいるうちに過ぎてしまいました。
大学では学び方がわからず、
上級生はとんでもなく思索的にみえ、
周りをみると遊び方も、ハメの外し方も鮮やかで、
バイト先では社会人の悪戦苦闘続きの毎日を目の当たりにし、
なんてあっけにとられているうちに、
気がつけば1年生を終えようとしていました。
◆
この本をラストシーン読んであの頃のことを思いかえしました。
フラニーはまさにあの頃の私と同じ年頃です。
◆
「ライ麦畑でつかまえて」の作者J.D.サリンジャーの
何度も邦訳されてきた作品を村上春樹が訳しています。
- フラニーとズーイ / J.D.サリンジャー / 村上春樹訳 (新潮文庫)
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「フラニー」と「ズーイ」の2篇で構成されていますが、
「フラニー」は「ズーイ」の序章といった位置づけです。
◆
「フラニー」の舞台は1955年のニューヨーク。
フラニーは始まったばかりの大学生活にうんざりし、
ボーイフレンドに会いに泊りがけで出てきます。
フラニーと彼のレストランでの食事の場面で、
彼はSnobぶりを発揮し、フラニーは混乱の度合いが増します。
若々しさの特権でもある自意識の塊のふたりの会話は、
実に気の利いた都会的な文章で、ウンザリさせてくれました。
◆
そして本編ともいえる「ズーイ」は、
実家に帰り傷心に萎れたフラニーをみて、
すぐ上の兄のズーイが立ち直らせようとします。
この「ズーイ」は
ふたりの兄で作家のバディが書いた小説という設定。
バディは、「ズーイ」で自分自身を三人称で登場させています。
ちょっと凝ったツクリです。
田舎でひっそりと暮らしながら小説を書くバディは、
なんだかサリンジャーを連想させます。
◆
フラニーとズーイの母親に反抗して言い返す言葉は
なかなか気が利いています。
一方で、宗教感を持ち出すズーイとフラニーのケンカは、
序章の「フラニー」より垢抜けしない面倒な言い争いです。
前説のような解説、バディからの手紙、
ズーイと面倒な母親との会話、
フラニーに語りかけてからのスリリングふたりの駆け引き。
好みからいえば、決して好きな作品とは言えなかったものの、
手が込んでいながら鮮やかな展開と文章に脱帽です。
◆
私が20歳の頃に
こうすればいいんじゃないか、と戸惑いの出口を、
ほんとうは出口のいと口を見つけた時には、
まるで人生の問題をすべて片づけたと勘違いするほど
ほっとした感覚がいまでも身体のなかで蠢いています。
この本のラストシーンで、ベッドで眠りにおちてゆくフラニーは
どんな気分だったのでしょう。
[end]
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