親愛なるわたしへ。① | ❤️大塚ファミリーのゆるらぶワールド❤️ *ANGELIC *

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アンジェリーク&家族愛の奏でる想い…Love&Peace


親愛なるわたしへ。




一つひとつを丁寧に味わい

シンプルに物事を捉えてゆくと

それはそれは美しく

ただただありがとうの一言に尽きる







公にしたのがちょうど1ヶ月前…



そう考えるとこの1ヶ月は

表現し尽くせない程の愛を

受け取り続けてるよ




私の意図通りに計らわれた現実を

綺麗事なく表現するね




妊娠を知った直後からの安静要請



すべてを私に委ねると

素直に完全放棄の司令



過去の妊娠においてここまで

自分だけのために生きたのは、初




そして取り巻く人たちも同じく

私最優先のサポートで

快く受け容れてくれた




上げ膳据え膳、何もしないではなく

私のやりたいように

生きたいように生きることを

私が赦しきった瞬間

とても穏やかな光で包まれた


そのアレコレの記憶を辿りながら・・・





昔々から私と繋がりがあれば

記憶にある人もいるかな




遡ること8年前

ゆうたろう妊娠初期に

生まれたばかりの猫が

私たちの元にやってきた



友人が放置されてた猫を見つけ

私たちに助けを求めてきた


無視することはできず受容






この子に名づけた名前はテン


まだ親になってない私たちに

突然やってきた赤ちゃんは

天使そのもの



ただ発見された時から生死の境目で

24時間つかず離れず

関わる人たちの愛に包まれながら

20日程生きてくれた



ただ希望とは裏腹にどんどん衰弱し

お医者さんでも施しようがなくなり

最後はヤスくんの手の中で

息を引き取ったある日の明朝







2人で涙枯れるほど泣ききったのは

今までも、あれきり



誰もが同じような言葉を投げかけてくれた





『お腹の赤ちゃんの身代わりだったのよ』





当にその通りと言っていい程

大きな使命をもち命がけで

私たちの元へ舞い降りた悠太郎




彼を迎える一年は

私たちにとって

最初の試練が度重なった



あの当時はじっくり味わうというより

踏ん張って乗り越えて来れた

ゆうたろうの存在そのものが

私たちの背中を押してくれた







今回、お腹にやってきた子に

名づけられたのも、、テン





母子満場一致で決まったけど

私たち夫婦は名が重なった時点で

最後まで口にはしなかったけど

諸々の覚悟をして向きあったんだと思う





妊娠当時、ヤスくんも突発性難聴から入院



妊娠が分かってからは

日々のサポートだけでも万全なのに

毎晩ボディケアもし続けてくれた夫



私の身体を通じて唯一テンと対話ができる

ひとときだったのねと、今は想う



私は完全に委ねきる日々





テンに祈りを注いだ期間は

先が見えない不安よりも

凡ゆる物事を俯瞰してみてた



テンを介して魂と直結し

自分の宇宙を旅する感覚



この間はリンクするように

妊娠・出産報告が相次ぎ

置かれてる状況に一喜一憂することなく

皆の喜びを心から祝福できる私自身にも

ハニカミながら現実と向き合った




いつも夫婦で検診、

最後2回は家族で受診




今回も難しいかもと

医師に言われた数日後の朝




身体の違和感や痛みから一気に解放

そのとき、テンの生命が尽きた事を感じた

これは私の中だけに留めてた



数日後の診察日は感じた通り

心臓の動きがなく

稽留流産と診断がくだされた



誰よりも赤ちゃんを望んでたハナ

女性として生まれれば経験するだろう彼是を

彼女に見せきりたい妊娠でもあったから

診察に受診されてる様もすべて立会い

結果も母娘で聞いた



「テンちゃんは死んだってこと?」

「そうだよ」


一瞬悲しそうな顔もしたかしら。





待合に待ってた男たちにも伝えると

言葉にはならない空虚感が漂う


2人の心に共鳴したのだろう




ただ私は不思議と

悲しいとか辛いでもなく

現実をただただ受け止められた




やり残した事がないって

こういう事なのかな…



そんな風に感じた想いは

すぐに答えとしてやってきた






ハナは車内に乗り込んだ瞬間

「テンちゃんが死んだ死んだ ♪ 」と

歌にのせてルンルンで歌う




彼女には過去も未来もなく

常に現実しかない

死と生は同じなんだってことを

表現しきる娘を目の前に

最強すぎる映し鏡だと悟った




ハナ同様切替が早い私も

緊張が解れ心なしかホッとした



どうなるか分からないと

告げられてからの2週間

ただただ安静というものを

模索した時期が何より辛く

学びの多い期間だったもの






何より前々から妊娠を反対してたのは

まぎれもない主治医だったから。

勿論、私の身を案じてだけど

現実を突きつけられ

私自身との対話が始まった

これは後で事実を語ろう…




その後、当てもなく車を走らせ

食事の買い出しへ。



事を理解する為には夫々のペースがある…と

改めて知れたのは、この時。




スーパーでカートを押しながら突然

「テンちゃんと遊びたかったなぁ…」と

発言したゆうたろう




“ それ、いま一番あかん言葉だよ ” と

感じるよりも先に号泣してた

ただ辛くて流れる涙じゃなくて

彼なりの愛が沁み渡ったのね



ヤスくんのこのときの落胆度は

皆様のご想像にお任せ…







つづく。。。