ひさびさのブログ記事ですが、我が家に嬉しい出来事がありました。


先日日曜日、息子がライオンズクラブ主催の英語弁論大会に参加しました。


今回は「友情」がテーマで、英語に自信のある生徒たちが緊張しながらも「友情」について様々な経験、思いを英語で伝えました。


県内トップの進学高の生徒から、商業、工業といろんな高校から17名参加しました。


上位入賞者3名には、ライオンズクラブから来年、交換留学生として海外に派遣されます。


二位、三位はマレーシアと決まっていて、優勝者だけ行きたい国、どこでも一つ選んでいいということでした。


もちろん、旅費、宿泊費すべてライオンズクラブ持ちだそうです。




今回、息子は参加するにあたり、「中学のころから、ホームステイをしたいと望んでいたけど、うちは経済的に実費でホームステイなんて無理だし、今の僕には、こういった企画でしかホームステイできないと思う…だから、今回参加することは、僕にとってチャンスだと思う。」と話してました。



そんなこと言われると、親として申し訳ないな…と思いましたが、上には上がいるんだし、上位入賞なんて…でも、挫折もいっぱい経験して、現実の厳しさを学んでたくましく育ってくれれば…何事にも挑戦すればいい…という思いでした。




審査の加点は、発音・抑揚はもちろんのこと、内容・態度も加味されます。



どのような内容にするのかは、息子にとってあまり苦労はなかったようです。

なぜなら、実体験をそのまま伝えると決めていたからでした。




「友情」…をどのように息子は伝えようとしているのか…


日本語で文章作成し、英語に文作する作業を経なければなりませんでした。


5分間のスピーチで要点をまとめ、いかに聴衆者の心に訴えるか、15歳の子には難しかったと思います。


先生方の協力もあり、内容は大変よくまとめられていたと思います。



先生方も苦労したのは、英語にない言葉をどのような言葉で表現するかという点だったと思います。


たとえば、「私生児」という単語を英語でどの単語を使って文にするかとか、「貧乏の家の子」など…



スピーチの練習も放課後学校に残ってネイティブの先生たちと毎日練習していました。


家に帰ってきても、ネイティブの先生が原稿を読んでくれた録音を聴きながら反復練習したりと…。



息子なりに努力はしたと思います。

あとは練習の成果を、当日悔いのないように精一杯やりきってくれればと願うだけでした。



迎えた本番当日、やはりみんな自分の意見をしっかり持って、自分の経験を通して友情とは…を語ってくれました。


みなさん本当に健全なご家庭でのびのびと成長し、素晴らしい両親の元で育っている子たちだなと、みなさんのスピーチから感じました。


親からホームステイを勧められ、海外で経験した外国の子との友情や、部活を通して得た仲間との友情、

耳に障害を持っているため、健常者の子たちとのコミュニケーションをどのように取って友情を得てきたか…さまざまな背景を持った子たちの爽やかな経験からくる、素晴らしい英語でのスピーチでした。


みんな「青春」が前面に現れた爽やかな内容でした。



それとは違って…


うちの息子の経験…


内容…



みんなの内容と比べると、かなり異質でした…



どうしよう…


私は不安で不安で仕方ありませんでした。



息子のスピーチの内容を日本語に訳すと、このような内容でした。



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見失っていた真の友



「真の友」とは何か?」

それは、困難の時に互いを支え、助けを差し伸べることができるのが「真の友」であると僕は長い時間を経て気が付きました。


16年間、僕は友情がどんなものであるのか理解できませんでした。

そのかわり、たくさんの裏切りを経験しました。


僕は「友情とは何か?」について考えることに多くの時間を費やし、本当の友情を求め続けました。


 友情とは何でしょう…?


それを見つけ出すことは簡単なことではありませんでしたが、僕は諦めませんでした。

困難を通して、僕は友情について本当の意味を見つけることができたのです。



僕が幼い頃、僕にとって友は必要ないと感じていました。


僕の家庭環境ゆえに、僕はクラスメイトの誰からも受け入れられず、いつも一人ぼっちでした。


彼らは僕のことを「父なし子」や「貧乏の家の子」と呼び、その言葉は非常に僕を悲しませ、傷つけました。


僕はクラスメイトを憎み、そしてこのような境遇に僕を生んだ母をも恨みました。


しかし、母は結婚し、僕に義父ができました。


義父は僕を温かく世話してくれることで、僕の傷ついた心は癒されていきました。



そんな時、僕はついに、安心して全てを打ち明けることのできる友人を見つけることができました。



僕と彼との関係は最初は非常に良かったのですが、いつしか彼は僕に「俺の父の愛は本物だけど、お前の父親の愛は本物じゃない」と言うようになり、僕は彼が何故そのようなことを言うのか理解できず、彼に裏切られたと感じていました。



そのような残酷な時間を過ごす中で、ほかの友達は、僕の状況を理解しようと努め、傷ついていた僕を励まし、支えてくれました。


それまで僕は多くの友人に気遣われ、多くの友人に囲まれていた事に気づいていませんでした。


彼らは僕に「僕たちを頼っていいんだよ。僕らは必ず君を支えるから」と言ってくれました。


彼らの言葉に僕はすごく安心しました。

そして僕も、誰かから頼られる、誰かを支える人でありたいという願いを持つようになりました。


アメリカの初代大統領であるジョージ・ワシントンの言葉に「真の友情はゆっくり成長する植物である。友情と呼ぶにふさわしいところまで成長するには、度重なる危機にも耐え抜かなければならない。」とあります。


僕は、いじめや差別に苦しんでいる人と、彼の言葉を共有したいと思います。

そして、僕はぜひ付け加えて言いたいことは、「あなたは決して一人ではない。あなたの友達は、あなたを支え、あなたに希望を与えるでしょう。」と。


僕は厳しい状況の後に本当の友達を見つけました。


友達と苦難に耐え、お互いを理解することを通じて、真の友情を見つけることができます。



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息子のスピーチを聞きながら、「そうだったな…そんなこともあったな…悲しい思いをさせたな…傷ついて一人で泣いていたな…」と、いろんなことが昨日の事のように思い出されて目頭を熱くしました。


確かに、今回参加された子たちとは、異色の経験を息子は語っていました。


学生らしい爽やかさがある内容か…?と言えば、そうではありません。



でも、息子なりにベストは尽くしたと思います。

後は結果を待つのみ…



そして結果発表…


6位から発表され、5位、4位、3位と順番に発表が続き、息子の名前はその時点まで呼ばれませんでした。


2位…息子の名前ではありませんでした。


そして1位…



まさか…



息子の名前が呼ばれたとき、思わず体がビクンと椅子から飛び上がりました。


私の中で一瞬空白の時間が数秒あったのですが、息子がステージに上る後姿を見て、いろんな事が思い出され声を震わせ泣きました。



今年の初めに、あんなに行きたかった志望校を落ちて、悔し涙して落ち込んでいた子が、今は自分の夢を自分の手で勝ち取ったんだ…と思うと泣けてきて泣けてきて…


ライオンズの会長からトロフィーを手渡され、硬い握手を交わし、会長が何か息子に声をかけていました。

息子は笑顔で応え、ステージから降りようとしたとき、会長から呼び止められ、二人笑顔で記念写真。


白い歯をのぞかせ、微笑む息子の顔は、親の私が言うのもなんですが、本当にハンサムでカッコよく見えました。


大会終了後、上位入賞者と父兄は別室に呼ばれ、海外派遣の説明を受けました。


1位は、どこでも行きたいところをと言われたのですが、息子が一番行きたがっていたイギリスは年齢が不足とのことで諦めました。


イタリア、クロアチア、オーストリア方面を考えているようです。



ありがたいことに、現地のライオンズ会員がホストファミリーとして迎えてくれるらしく、安心して預けることができるばかりか、旅費、宿泊費、お小遣いまですべてライオンズが負担してくださるとのこと。


「お母さんは保険代とパスポート代だけご負担願います。」と説明受けた時は、本当に何もかもが信じられませんでした。


周りの方たちの協力を得て、行かせて頂くことに本当に感謝して、この経験を将来に役立ててほしいと願うばかりです。



本当におめでとう。


お前はお母さんの誇りです。

今の仕事に就いて早半年が過ぎました。


がむしゃらに走り続けた半年でした。


数百もある製品を覚え、その製品の品質管理や、ゼネコンや企業様に毎日20件余りの承認願いを作成し提出する作業は気が遠くなる思いです。


営業マン30人余りを私一人で対応するのですから、ひっきりなしの電話での依頼や申請書の処理だけでもパニックになってしまいます。


出荷時に書類を持たせる物件があれば、それだけでも今の私には大変な作業で、時々逃げ出したくなるときもあるんですよね。



入社時は、「この年齢で正社員と採用されただけでも感謝!」と喜びと感謝に満ちて毎朝7時30分までに出勤することも苦にならず、仕事を覚えることが楽しくて、自分で努力して勝ち取ったのではない環境であることは十分わかっていました。


転職に強みのある特別な資格など十分持っていない私ですし、この年齢での正社員採用には誰が普通に考えても不利な状況でした。


だからこそ神様が働いてくださったとしか考えられない、完全に「与えられた」としか言いようのない仕事だったので、感謝は大きかったです。


でも、本当に人間の慣れというものは恐ろしく、悲しいものですね。


どうして初めに抱いた感謝を持ち続けることができないのでしょう。


残念です…。



仕事を覚え、ある程度こなすようになってきたら、自分の力量や能力に注目してしまい、「与えられた」という認識を、いつの間にかどこかに忘れてきてしまってるんですよね。


「してもらったこと」を忘れて、あたかも自分の力で得てきたような現在の自分がいて、ハタと立ち止まって振り返ってみたとき、「ここに至るまで、どの辺まで『神様から与えていただいた職場』と感謝の気持ちを持っていたんだろう…?


どの辺からその感謝を自分では気が付かないけれど、忘れてきたんだろう?


その境界線は何処から始まったんだろう?…」


と自己吟味すると、「なんて恩義のない事をしたんだろう…自分って本当に人として最低、最悪だな…」と思ってしまいます。



いけない…


いけない…


本当にいけないことです。


気が付いたら早めに軌道修正しなければ…



JWの中で生きて、失った十数年を取り戻そうと必死になってた部分もありました。


JWのように生活の現実を正しく見ることもせず、「楽園が来る」と、「明日はどうにかなるさ…」的な楽観視で、もう二度と失敗はしたくないという気持ちが強かっただけに、必死になりすぎていたところもあったと思います。


必死になりすぎると大切なものまで失って、神様を悲しませてしまうこともあるんですね。



正直、この会社で定年まで働けるとしても二十年もありません…

二十年なんて、アッという間に過ぎていきます。


「バリバリ働ける期間が私に残されているのは二十年もないんだ…」


「もっと働かなきゃ!」


「貯蓄もしっかりしなきゃ!」


「今の私は、幸いなことに健康の悩みや精神的悩みはない…お金の悩みだけ…


誰かが言ってた…『いろんな悩みの中で、一番いいのはお金の悩み、それは働けば解決できる事』と…」


いつの間にかそんな思考が半年間で膨れ上がって神様への感謝を追いやってしまったようでした。



頑張って努力することは大切ですが、周りが見えなくなる危険性も隣り合わせになることも注意が必要だったと思います。


ハッとさせられた部分はありますが、完全に不安が解消されたわけではありません。



軌道修正して、また思考を変化させ、気持ちを新たに前に進むのですが、本当にJW組織は何て罪深い組織なんだろう…と痛感します。


責任転嫁するつもりはありません…

私自身が好んで、納得して足を踏み入れた組織であり、私の意思で選択したのですから私の責任です。


今は、それを難儀して刈り取っている状態です。



ふと、考える時があるんですよ。


はっきり言って、やり直しにはかなりの精神力とエネルギーが必要な年齢です。


ただ、私の場合、まだ非JWの親に成人まで育てられてきたので、世から隔離されたJW二世とは違い、JW組織から離れたとしても世で生きていくベースは持っていたのでしょう、世で生きていくやり直しにかなりのエネルギーは必要とされましたけど、どうにか持ち直してきています。


それを考えると、私の元司会者は二人とも完全なJW二世で、幼い時からJW組織の思考で訓練されてきた姉妹です。

正直、彼女たちがこの組織の偽りを知ったとき、私と同世代の年齢ですから、世でのやり直しに私の何倍ものエネルギーを必要とするでしょうね。



あの組織を出て、偽りだときがついていないJW二世と、JW組織から出て、親が悲しんでいる事に心を痛め、挟間で揺れ動いている二世がいます。


彼女は組織が嫌で飛び出したのですが…


飛び出したというより排斥なのですが…


排斥後、親との交流は最小限に限定され、親元を離れ一人で生活しているのですが、やはり世での免疫がない状態で放り出された状態ですから、いろんな面で不安を抱え、途方にくれているようでした。


毎日泣いている親の夢を見るそうで、毎日親を悲しませていることを考えると涙するそうです。




かわいそうに…



世での生き方を手探りの状態で、自分の事を考えても不安で悲しいのに、親の悲しみを理解して親のために泣くなんて、本当に子どもは親をいつまでも思うものなんですね。


それに比べてJW現役の親は、排斥で組織を去ったわが子の事をどれほど思っているのだろうか…



彼女の話では、一番心に深い傷を負ったのは、組織を出るとき、親から「この親不孝者!組織に戻る意思がないなら、お願いだからあんた病気か事故で死んでちょうだい!

あんたが死んでも母さん悲しまないよ!

むしろハルマゲドン前に死んでくれたら復活があるから喜びだよ!

ハルマゲドンで直接エホバから滅ぼされた者は復活がないんだから、それこそ最大な親不孝だよ。

取り返しのつかない親不孝する前に戻ってくるか、ハルマゲドン前に死んでくれるかの、どちらかの選択しかあんたにはない事を常に覚えておきなさいよ!」と言われたそうです。



「親不孝」



なんて理不尽な言葉なんだろうと感じます。



「親不孝」「親不孝」と言いますが、じゃあ、逆に「子不幸」という言葉はないんですかね…


子どもって生まれた時から親不孝なんて子どもは世界中どこにもいないと思うんですよ。


子どもは生まれたときから親に喜びを与える存在だったはずです。


親に喜びを与えるなんて「生まれながらにして子どもは親孝行」なんですよね。


それなのに、なぜ親を悲しませてしまう「親不幸」に変えてしまうのでしょう…


世の中先に原因があって結果が生じるという法則から考えると、親が子どもを悲しませ、不幸にする行為が先にあるからではないでしょうか。


特にJWの親の子供に対する無理解やJW思考による理不尽な行い、矛盾の上でのしつけにより子どもの精神の混乱、虐待とも言えるほどの懲らしめ…数え上げればきりがありません。


それこそ「子不幸」が原因で心に傷を負い、苦しんでいるJW二世は彼女だけではないはずです。


子どもは親に認められたい、愛されたい、必要とされたい、喜んでもらいたいと一生懸命になります。


だからいつも親の表情には敏感なのです。


親の心の状態をいつも察知して、その親の思いにそえるように行動しよう、振舞おうとするのです。


子どもは、どんなに親から虐待を受けても親を恨むことをせず、常に親を求め、慕い、「怒られるのは自分が悪いからなんだ」「私が悪い子だからお母さんに嫌われるんだ」と自分を責めます。


だから…


だからこそ子どもが「親不孝」なんて言葉は最初は存在しないんです。



じゃあ、なぜ子どもが「親不孝」になってしまうのか…



それは、親の心を喜ばせよう、こたえようとしても、親に認められもせず、喜んでももらえず、親から自分は愛されているということを子どもに感じさせ、安心させてあげることを今まで親がしてこなかったからではないでしょうか…


それをJWの親は自分のしてきたことを取り上げもせず、自分がしてきたことを「子不幸」だとは思っていないからでしょうね。

もちろん、気づいていなくて、組織の教育こそ正しいと思い込んでいるので自分が子どもに何をしているのか見えないのでしょう。


そんなことが幾重にも積み重なり、いつしか子どもは悲しむ親にとって「親不孝」になるのでしょう。



彼女は健気に世で頑張って一人で生きてます。


JWの親からすれば彼女の苦しみや苦労は理解できないでしょう。

エホバから離れた報いだとしか思わないかもしれませんね。



今の私からすると、彼女のほうが人生取戻していると思います。


人生取り戻すには早いにこしたことはありません。


騙されたままJW組織で年を取ると、本当に取り返しがつかないのですから。


彼女は今は苦しいかもしれないけど、組織を出ただけでも組織に残っているJW二世より可能性は確実にあります。




いつか彼女に会う機会があれば、抱きしめて言ってあげたい。



あなたは決して親不孝なんかじゃないよ…と



職場も変わり、新しい環境で新しい仕事を覚えることに必死で、なかなか世の中の流れや情報を得ていませんでした。


ニュースやネット、TV番組を見ることもなく、数か月がたちました。



先日、久しぶりにニュースをみていたら、町田市女児殺害で、祖父が逮捕された事件を知りました。



生活苦による犯行だったようですが、幼い子どもが犠牲となる事件はニュースなどで幾度となく見てきましたが、今回もまた悲しい事件を知り、豊かな日本は何処へ行ってしまったのだろう…と思うほど「生活苦」「将来を悲観して」などという理由で老夫婦や幼い子と無理心中する事件も、今の日本では、もう誰も驚かない事件となっているのではないでしょうか。


でも、時代が変わっても、日本の情勢が変わっても、幼い子の死は誰もが心を痛めることは変わらないのではないでしょうか。



なぜ優花ちゃんはこのようような犠牲となったのか…


家庭環境はどうだったのだろうか…


お母さんはいなかったのだろうか…


などどいろいろ想像しながら祖父が逮捕された場面を見ていました。


祖父の供述から優花ちゃんの背景や、どのような経緯でどのように殺害されたのか知りました。


やるせなくて、悲しすぎて、この気持ちをどのように表現していいのか複雑です。




以下事件記事から




3連休真ん中の13日、東京都町田市の広場で小学3年生の太田優花さん(9)は、大好きなおじいちゃんと一緒にどんど焼きの火の周りにいた。


2日の朝、優花さんの遺体が自宅の寝室で見つかった。


殺害を自供したのは、共に広場にいた同居する祖父の嘉行容疑者(66)だった。


警視庁の調べに、嘉行容疑者は次のように語った。


どんど焼きに行った次の日の朝、7時のニュースが始まったころ、孫の寝る2階寝室へ行った。


仰向けの顔に布団をかぶせ、馬乗りになって首を絞めた。


「だれ?」。目を覚ました孫はそう言って足をばたつかせ、「かみさまっ」と叫んだ。


「後ですぐに行くからな」。


念じながら絞め続けた。


孫はもがき手をほどこうとした。


「おじいちゃん」



いつも一緒に寝る自分を呼んで助けを求めたが、それを最後に動かなくなった。



嘉行容疑者は風呂場で手首を切ったが死にきれず、帰宅した次男(35)の通報で駆け付けた警察官の前で首をつろうとしたが、殺人容疑で逮捕された。


青森で生まれ、20年ほど前に離婚した後、中学生だった次男とともに関東に出てきた。


次男を一人で育てつつ、パン工場などで働いた。


次男が結婚し、優花さんが生まれた9年前、後に事件現場となる町田市の一軒家に引っ越してきた。


次男夫婦、3人の孫と6人暮らし。


目立って「おじいちゃん子」だったのが優花さんだ。


近くに住む主婦(71)は「放課後の学童のお迎えの時間、優花ちゃんは『おじいちゃんが来た』と駆け寄っていた。

手をつなぎ、いつもにこにこしていた」と話す。


通っていた小学校の校長も「元気で成績がよく、宿題もきちんとしてくる。安定した家庭ととらえていた」と話す。


しかし、嘉行容疑者の心の中は違ったようだ。


昨年12月に次男夫婦は離婚。

次男、優花さんとの3人暮らしになった。


営んでいた印刷業は採算が取れなくなり同じころやめた。


年金保険料の納付期間を満たしていなかったため年金も受給できない。


車のローンに月十数万円の家賃、生活費…。


「次男の収入だけでは足りず、貯金も底をついた。


もう生きていけない。そう思ったが、かわいい優花をひとりぼっちにできない。


だから連れていこうとした。」


無理心中を図った動機についての供述だ。


「どこか吹っ切れたような表情に見えた。ただ、自分が死にきれなかったことについては後悔していた」


逮捕後の様子について、捜査関係者は言う。


どんど焼きのときには心中の決意をしていた。

嘉行容疑者はそうも供述している


そのどんど焼きの広場で優花さんは、嘉行容疑者のそばを離れなかった。


棒に刺した団子を火であぶり、うれしそうにほおばる姿を近くの住民は覚えている。






優花ちゃん、もっと生きたかっただろうに…。


普段ならストレートに「祖父の利己的極まりない事件だ」などと意見する私ですが、この事件に関しては、そう言うことができないくらい複雑な心境です。


この祖父と重なる、似たような心境を私も抱いたことがあります。



JWのころは、近い将来ハルマゲドンが来ると信じ、定職に就かず、水道検針やパートで、生活の中心は集会、伝道、個人研究でした。


年金や生命保険をかけたりすることも、預金をすることも必要性を全く感じることはありませんでした。


それらは全て将来必要とされるものではないから…


職業だってそうでした。


看護婦になるために通っていた学校をやめるとき、輸血に携わる職業はJWに相応しくない職業であると、司会者から「輸血だけでなく、看護婦なんて将来残る職ではないでしょ?

だって、私たちが待ち望む楽園は、病気も死もないんだから、将来必要とされる職に今から就いているほうが賢い選択だと思いませんか?」と言われたことを思い出します。



看護婦の道を絶つには葛藤がありましたが、何度も何度も「将来必要とされない職なんだ、無駄なんだ、将来なくなる職を身につけるのは愚かなことなんだ、何の役にもたたないんだ」と言い聞かせてきました。


将来は皆若さを取戻し、病人もいない、お金で犯罪が生じるからお金もいらない…という洗脳から、必然的に年金も生命保険も入院保険も預金の必要性を感じなくなり、無駄で無意味なことだと感じていました。


そんな生活を正しいことと信じて十数年…


二十代、三十代後半まで歩んできたときに、この組織の偽りを知りました。


洗脳から目を覚ましたとき、今まで見えていなかった現実が大波のように押し寄せてきたようでした。


将来、JWが待ち望む楽園が来ないということ。


将来、JWが信じているような楽園を、聖書は教えていないことを聖書から否定されたあの衝撃…


いまでもあの感覚は忘れられません。


楽園を希望にたくさんのものを犠牲にしてきました。


失ってきました。


楽園が必ず来る…と信じて。



こないんです。



どんなに聖書を隅々まで丁寧に読んでも、そう約束されている箇所がないんです。


聖書はJWが信じてる地上の楽園など約束していません。


それがどういうことなのか…



考えただけでも恐ろしいことです。


これからの私はどうやって生きていくのか…


何の備えも貯えもしてこなかった…


そんな厳しい状況で、どのように立て直していくことができるのか。


ゼロからのスタートではなく、マイナスからのスタートには、あまりにも貴重な時間と若さと体力、精神力を失いすぎている…と失望感だけでした。


現実の私は同世代の世の人より生活水準は低く、本当に何もない状態でした。


今までの「ツケ」が回ってきたんです。


今まで騙されていたことにも気がつかず、大切な自分の可能性を失ってきたことに、どんなに後悔しても何も取り戻せない…本当に失意状態でした。


何をどのように整理してよいのかわかりませんでした。


何から取り掛かり、どのように始めていいのかわかりませんでした。


そんな状態で、決して心が元気になるわけでもなく、思考は殺害された優花ちゃんの祖父のように「将来を悲観」し、「年金も受給されない」「貯えもない」「定年まで働ける保証のある正社員になれる見込みもない」


「ない」「ない」「ない」ばかりで心は悲鳴をあげていました。


思考が負のスパイラルに入ると極端なことまで心配するようになりました。


何年か前に、確か大橋巨泉さんの番組だったか、日本社会の影の現実を取り上げ「こんなものいらない」というタイトルだったか、ドキュメンタリーで放送されたことがありました。


その中で、生活保護の受給ができない老夫婦に対し、役所は妻に「少しでも収入を得るために何か仕事をするように」「ビルの清掃員の仕事もあるじゃないですか」「あなたにできる仕事をさがすように」と、生活保護の申請をなかなか受け入れてもらえなかった年老いた妻が、風俗店で働いているという現実でした。


もちろん顔や体からして、かなりの年齢をいってますので、その妻が勤めている店は小さな個室の壁に穴が開いていて、その壁の穴から男性が体の一部を出し、年老いた妻が手や口で壁越しに処理するという仕組みでした。


当時は現実にそんなことがあるなんて、本当にサタンの世は人を不幸にするんだな…と他人事に感じていましたが、「このままでは私もあの年老いた妻のようになるのではないだろうか」と、起きてもいないことを「そうなるかも」「そうなるかも」と心配し始めるようになり、泣きながら主人に話したことがありました。


幸い主人はカルト思考ではなく、「お前、どうしてそんな考えをするのか?今からちゃんと働けばいいじゃないか、徐々に力をつけて、次に進めばいいことなんだよ」と、軽く笑い飛ばしてくれたのは救いでした。


主人がいてくれなかったら、マイナス思考から抜け出せなかったでしょう。



そんな不安を経験しているだけに、今回優花ちゃんを殺害した祖父の心境は他人事に思えないんです。


本当に不安で、ほかに良い方法は考えることができず、思いつかなかったと思います。


別の選択肢なんて、祖父には考え付かなかったと思います。


悲観は、人をそのようにしか選択できないようにしてしまうのでしょうね。


本当に悲しいです。


誰に首を絞められているか知らずに死んだ優花ちゃんが最後に「かみさまっ」「おじいちゃん」と叫んだことも衝撃で心が痛みました。


優花ちゃんの中には神さまを求める心があったんですね。


優花ちゃんが、どの神様に助けを求めたのか定かではありませんが、たとえ真の神様を優花ちゃんが知らなかったとしても、優花ちゃんの助けが、ご自分に向けられたものではなかったとしても、愛のある憐み深い真の神様には必ず届いていることと思います。