職場も変わり、新しい環境で新しい仕事を覚えることに必死で、なかなか世の中の流れや情報を得ていませんでした。


ニュースやネット、TV番組を見ることもなく、数か月がたちました。



先日、久しぶりにニュースをみていたら、町田市女児殺害で、祖父が逮捕された事件を知りました。



生活苦による犯行だったようですが、幼い子どもが犠牲となる事件はニュースなどで幾度となく見てきましたが、今回もまた悲しい事件を知り、豊かな日本は何処へ行ってしまったのだろう…と思うほど「生活苦」「将来を悲観して」などという理由で老夫婦や幼い子と無理心中する事件も、今の日本では、もう誰も驚かない事件となっているのではないでしょうか。


でも、時代が変わっても、日本の情勢が変わっても、幼い子の死は誰もが心を痛めることは変わらないのではないでしょうか。



なぜ優花ちゃんはこのようような犠牲となったのか…


家庭環境はどうだったのだろうか…


お母さんはいなかったのだろうか…


などどいろいろ想像しながら祖父が逮捕された場面を見ていました。


祖父の供述から優花ちゃんの背景や、どのような経緯でどのように殺害されたのか知りました。


やるせなくて、悲しすぎて、この気持ちをどのように表現していいのか複雑です。




以下事件記事から




3連休真ん中の13日、東京都町田市の広場で小学3年生の太田優花さん(9)は、大好きなおじいちゃんと一緒にどんど焼きの火の周りにいた。


2日の朝、優花さんの遺体が自宅の寝室で見つかった。


殺害を自供したのは、共に広場にいた同居する祖父の嘉行容疑者(66)だった。


警視庁の調べに、嘉行容疑者は次のように語った。


どんど焼きに行った次の日の朝、7時のニュースが始まったころ、孫の寝る2階寝室へ行った。


仰向けの顔に布団をかぶせ、馬乗りになって首を絞めた。


「だれ?」。目を覚ました孫はそう言って足をばたつかせ、「かみさまっ」と叫んだ。


「後ですぐに行くからな」。


念じながら絞め続けた。


孫はもがき手をほどこうとした。


「おじいちゃん」



いつも一緒に寝る自分を呼んで助けを求めたが、それを最後に動かなくなった。



嘉行容疑者は風呂場で手首を切ったが死にきれず、帰宅した次男(35)の通報で駆け付けた警察官の前で首をつろうとしたが、殺人容疑で逮捕された。


青森で生まれ、20年ほど前に離婚した後、中学生だった次男とともに関東に出てきた。


次男を一人で育てつつ、パン工場などで働いた。


次男が結婚し、優花さんが生まれた9年前、後に事件現場となる町田市の一軒家に引っ越してきた。


次男夫婦、3人の孫と6人暮らし。


目立って「おじいちゃん子」だったのが優花さんだ。


近くに住む主婦(71)は「放課後の学童のお迎えの時間、優花ちゃんは『おじいちゃんが来た』と駆け寄っていた。

手をつなぎ、いつもにこにこしていた」と話す。


通っていた小学校の校長も「元気で成績がよく、宿題もきちんとしてくる。安定した家庭ととらえていた」と話す。


しかし、嘉行容疑者の心の中は違ったようだ。


昨年12月に次男夫婦は離婚。

次男、優花さんとの3人暮らしになった。


営んでいた印刷業は採算が取れなくなり同じころやめた。


年金保険料の納付期間を満たしていなかったため年金も受給できない。


車のローンに月十数万円の家賃、生活費…。


「次男の収入だけでは足りず、貯金も底をついた。


もう生きていけない。そう思ったが、かわいい優花をひとりぼっちにできない。


だから連れていこうとした。」


無理心中を図った動機についての供述だ。


「どこか吹っ切れたような表情に見えた。ただ、自分が死にきれなかったことについては後悔していた」


逮捕後の様子について、捜査関係者は言う。


どんど焼きのときには心中の決意をしていた。

嘉行容疑者はそうも供述している


そのどんど焼きの広場で優花さんは、嘉行容疑者のそばを離れなかった。


棒に刺した団子を火であぶり、うれしそうにほおばる姿を近くの住民は覚えている。






優花ちゃん、もっと生きたかっただろうに…。


普段ならストレートに「祖父の利己的極まりない事件だ」などと意見する私ですが、この事件に関しては、そう言うことができないくらい複雑な心境です。


この祖父と重なる、似たような心境を私も抱いたことがあります。



JWのころは、近い将来ハルマゲドンが来ると信じ、定職に就かず、水道検針やパートで、生活の中心は集会、伝道、個人研究でした。


年金や生命保険をかけたりすることも、預金をすることも必要性を全く感じることはありませんでした。


それらは全て将来必要とされるものではないから…


職業だってそうでした。


看護婦になるために通っていた学校をやめるとき、輸血に携わる職業はJWに相応しくない職業であると、司会者から「輸血だけでなく、看護婦なんて将来残る職ではないでしょ?

だって、私たちが待ち望む楽園は、病気も死もないんだから、将来必要とされる職に今から就いているほうが賢い選択だと思いませんか?」と言われたことを思い出します。



看護婦の道を絶つには葛藤がありましたが、何度も何度も「将来必要とされない職なんだ、無駄なんだ、将来なくなる職を身につけるのは愚かなことなんだ、何の役にもたたないんだ」と言い聞かせてきました。


将来は皆若さを取戻し、病人もいない、お金で犯罪が生じるからお金もいらない…という洗脳から、必然的に年金も生命保険も入院保険も預金の必要性を感じなくなり、無駄で無意味なことだと感じていました。


そんな生活を正しいことと信じて十数年…


二十代、三十代後半まで歩んできたときに、この組織の偽りを知りました。


洗脳から目を覚ましたとき、今まで見えていなかった現実が大波のように押し寄せてきたようでした。


将来、JWが待ち望む楽園が来ないということ。


将来、JWが信じているような楽園を、聖書は教えていないことを聖書から否定されたあの衝撃…


いまでもあの感覚は忘れられません。


楽園を希望にたくさんのものを犠牲にしてきました。


失ってきました。


楽園が必ず来る…と信じて。



こないんです。



どんなに聖書を隅々まで丁寧に読んでも、そう約束されている箇所がないんです。


聖書はJWが信じてる地上の楽園など約束していません。


それがどういうことなのか…



考えただけでも恐ろしいことです。


これからの私はどうやって生きていくのか…


何の備えも貯えもしてこなかった…


そんな厳しい状況で、どのように立て直していくことができるのか。


ゼロからのスタートではなく、マイナスからのスタートには、あまりにも貴重な時間と若さと体力、精神力を失いすぎている…と失望感だけでした。


現実の私は同世代の世の人より生活水準は低く、本当に何もない状態でした。


今までの「ツケ」が回ってきたんです。


今まで騙されていたことにも気がつかず、大切な自分の可能性を失ってきたことに、どんなに後悔しても何も取り戻せない…本当に失意状態でした。


何をどのように整理してよいのかわかりませんでした。


何から取り掛かり、どのように始めていいのかわかりませんでした。


そんな状態で、決して心が元気になるわけでもなく、思考は殺害された優花ちゃんの祖父のように「将来を悲観」し、「年金も受給されない」「貯えもない」「定年まで働ける保証のある正社員になれる見込みもない」


「ない」「ない」「ない」ばかりで心は悲鳴をあげていました。


思考が負のスパイラルに入ると極端なことまで心配するようになりました。


何年か前に、確か大橋巨泉さんの番組だったか、日本社会の影の現実を取り上げ「こんなものいらない」というタイトルだったか、ドキュメンタリーで放送されたことがありました。


その中で、生活保護の受給ができない老夫婦に対し、役所は妻に「少しでも収入を得るために何か仕事をするように」「ビルの清掃員の仕事もあるじゃないですか」「あなたにできる仕事をさがすように」と、生活保護の申請をなかなか受け入れてもらえなかった年老いた妻が、風俗店で働いているという現実でした。


もちろん顔や体からして、かなりの年齢をいってますので、その妻が勤めている店は小さな個室の壁に穴が開いていて、その壁の穴から男性が体の一部を出し、年老いた妻が手や口で壁越しに処理するという仕組みでした。


当時は現実にそんなことがあるなんて、本当にサタンの世は人を不幸にするんだな…と他人事に感じていましたが、「このままでは私もあの年老いた妻のようになるのではないだろうか」と、起きてもいないことを「そうなるかも」「そうなるかも」と心配し始めるようになり、泣きながら主人に話したことがありました。


幸い主人はカルト思考ではなく、「お前、どうしてそんな考えをするのか?今からちゃんと働けばいいじゃないか、徐々に力をつけて、次に進めばいいことなんだよ」と、軽く笑い飛ばしてくれたのは救いでした。


主人がいてくれなかったら、マイナス思考から抜け出せなかったでしょう。



そんな不安を経験しているだけに、今回優花ちゃんを殺害した祖父の心境は他人事に思えないんです。


本当に不安で、ほかに良い方法は考えることができず、思いつかなかったと思います。


別の選択肢なんて、祖父には考え付かなかったと思います。


悲観は、人をそのようにしか選択できないようにしてしまうのでしょうね。


本当に悲しいです。


誰に首を絞められているか知らずに死んだ優花ちゃんが最後に「かみさまっ」「おじいちゃん」と叫んだことも衝撃で心が痛みました。


優花ちゃんの中には神さまを求める心があったんですね。


優花ちゃんが、どの神様に助けを求めたのか定かではありませんが、たとえ真の神様を優花ちゃんが知らなかったとしても、優花ちゃんの助けが、ご自分に向けられたものではなかったとしても、愛のある憐み深い真の神様には必ず届いていることと思います。