井の頭公園と山本有三記念館
※ずいぶん日が開いてしまいましたが;先日の吉祥寺(記事はこちら→◆ )の続きです。
本来の目的その1は贈り物の購入でしたが
その2は井の頭公園に行く、でした。
受験旅行のときに立ち寄って以来
学生のころは妹とも友達とも、何度となく行きました。
公園は駅前などと違って再開発もお店の入れかわりもなく、基本的には変わらないので、
東京で一番地理が把握できているところかも…(苦笑
井の頭公園 というと、入り口を入ってすぐ見える大きな池と噴水、
そこに架かっている橋、スワンに乗る人びとなどの風景が出てきますが、
私が勝手に気に入っているのはさらにその奥。
橋を渡って右手(ジブリ美術館方向)にどんどん突き進み
弁天様の裏のお茶屋さんの横をのぼって、
通りを一本越えると、雑木林が出現するのです。
案内図 だと「有料駐車場」の右上あたり、最も白紙な部分なのですが;
池のまわりに比べてぐんと静かで空気が透明で、
木々の間を縫うように蛇行する道も風情がある気が。
なにより地面がぜんぶ土と落ち葉なのが本当に気持ちがよくて、
このエリアが私はいちばん好きです。
この雑木林を左に回り込むように歩いていくと、西園に出ます(左)。
芝生の広々グラウンド、走っている人がいたり、バドミントンをしている人がいたり。
ここの入り口に玉川上水が通っているので、そこから再び散歩(右)。
ひんやりした水際と、しっとりぬれた土の匂い、
差しかわした枝から落ちてくる光をうけつつ、てくてく。
いつもは公園内の道を歩くだけなのですが、
太宰治の碑を見たかったので三鷹方向に進んでみることに。
「風の散歩道」と名前がついていました。
しばらく行くと、右手にものすごい門構えの建物が。
「これ、人の家?;」と表札?を見ると
山本有三記念館 でした。
遠目にもただものではないしっかりした洋館、しかも煙突が!
「『路傍の石』だっけ、ほか何した人?」と思いつつ(暴言その1、
近寄ってみると
うわーーーー!
なんというか、まわりの空気ごと海外のようなその佇まい。
さらに裏手に回ってみると
うおおおおお。
そしてこのテラスの前が
こんな公園(もとの庭)になっています。ひゃっほう。
ここで完全に何かが外れ
「このさい展示はどうでもいいから建物の中を見なくては!(暴言その2)」と館内へ。
入り口はこんなふう。
この家は1926(大正15)年頃に建てられ、
作家の山本有三(1887-1974)が家族(母・妻・一男三女)と一緒に
1936年から1946年(49~59歳)まで過ごした家なのだそうです。
代表作である『路傍の石』は、ここで書かれました。
玄関前にはリアル路傍の石↓が。
執筆当時、有三は「中野旧陸軍電信隊付近の道ばた」でこの石を見つけ、
「この家の裏庭に運び込んだと伝えられてい」るそうです。
結構大きかったです、たたんだ掛けぶとんくらいありました
戦時中にはここで「ミタカ小国民文庫」を開き、
蔵書を近所の子どもたちに解放したり、
戦後1949年には進駐軍に接収されたりもしたそう。
1951年に接収が解除され、国立国語研究所に建物を提供した後、
1956年、有三は土地と建物を都に寄付しました。
(自らは前年に箱根に移っています)
現在は三鷹市に移管され、1996年に「三鷹市山本有三記念館」として開館された由。
著作はほとんど読んだことがなく、
どんな人だったのかも全く知らなかったのですが、
それでも彼の人間の大きさと知識人としての水準の高さと品の良さ、
昔の日本人の気骨のようなものがひしひしと感じられる建物でした。
間取りはこんな感じです。
自分のお母さんの部屋と長女の部屋がお隣どうしだったり、
三女の鞠子ちゃんの部屋は二階で、すぐ上のお姉さんと同室なのですが、
勉強机のみ一階の一番上のお姉ちゃんの部屋に置いてあるのもほほえましかったり。
そしてなにより自分用には畳敷きの和書斎+大きな机のある洋書斎+同じ大きさの書庫ひとへや!
さらに一階には書生の部屋と女中の部屋が。
台所などは事務スペースになっていて入れなかったのですが、このあたりも見たかった…
(左)イングルヌック(間取り図では「ヌック」と表記)。
「イギリスの古代住居の暖炉の部屋を、近代になって洗練させたもの」で、
「19世紀終わりのアーツ・アンド・クラフツ運動の建築家たちが、積極的に建築に取り入れた」そう。
来客用の待合室にも、家族の団らんの場としても使っていたそうです。
(右)応接間。ここの床が圧巻で、杉綾というのでしょうか、
象嵌細工のごとく一枚一枚貼ってありました。
ドアも凝っていました。
白い方は二階の部屋、写真がご本人です。
「当時導入された海外の近代的様式の折衷的表現を試みており、
特色のあるデザインを示す希少な洋風建築として(中略)
三鷹市の文化財に指定されています」とあるとおり、
チューダー様式のように梁が出ているかと思うと
アールヌーボーのような曲線があったりするのが、とても興味深かったです。
左は階段の上から踊り場を見たところ、右は廊下かな?この照明がとても好きでした。
建築のことはわからないのですが、
素人目にも力のこもった建物で、知識があるともっと楽しめるのだろうなと思いました。
とにかく窓がそれぞれ少しずつ変わっていて、ほんとによかったです。
以下、窓の谷のウマシカ一号のコレクションをお楽しみください(二号大募集中!←殴)
(左)長男有一くんの部屋の庭に面した窓。
ここだけがかなり古い揺れガラスでした。オリジナルなのでしょうか??
(右)食堂の、廊下に面した飾り窓。家の中に窓があるのっていいな。
(左)応接間のステンドグラス。
(右)イングルヌックのステンドグラス。
下は長女朋子さんの部屋の窓です。
庭に出られるドアがついていて、いい部屋でした。
そしてマイベスト窓はこちら。書庫の窓です。
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本来の目的だった太宰治の入水地碑は見つからず、ずっと歩いて三鷹駅に着いてしまいました。
途中青森産と書かれた変わった石が唐突にあって、しばし訝しみ
「変な石しかなかったなぁ(暴言その3)」と思いながら帰ってきて、調べてびっくり、
その石が入水時点を示す岩でした…
表だって明記はしていないようです。よく考えてみると、石の産地は太宰の生まれ故郷でした。
ともあれ思わぬいい出会いがあって嬉しかったです。
普通は通りを歩いていて、いいなと思う家があっても、中に入ることはまずできないので、
いいなと思った家に入れたのが何かとても幸せなことに思えたのでした。