本日は、唐澤祥人先生の旭日大綬章受章祝賀会に出席いたしました。
 
冒頭、東京都医師会尾﨑治夫会長から、唐澤先生のご略歴のお話がありました。
昭和44年に唐澤医院院長に就任され、小児科・内科を行う。その当時から子どものための電話相談もしていた。その後、産業保健の活動、産業医の充実を行った。東京都の保健医療計画の推進に力を注いだ。国民と一体になった医療、そして信頼のある、心温まる医療を行ってきた。という内容でした。
尾﨑会長は、今回はご挨拶で間違いがあってはいけないので、事務局からアドリブは禁止させられていると仰って、笑いを誘っていましたが、一言、奥様にとっては、唐澤先生はお忙しいですが“亭主元気で留守がいい”ということを仰っていました。尾﨑先生らしいご表現だと思いました。
続いて、日本医師会横倉義武会長より、唐澤先生は昭和43年に千葉大学医学部をご卒業された。気品と指導力の優れたリーダーでいらっしゃる。また、平成21年には新型インフルエンザの対応に関しては、対策本部をつくり自ら本部長をされた。本当に心の優しい先生で、個人的な思い出としては、唐澤先生と日本医師会の副会長をされた竹嶋康弘先生とご自身とで「旅がらす三人男」を歌って踊った楽しい思い出がある。また国際的には、ソウルでの演説が素晴らしかった。見識のある、本当に素晴らしい方である。というお話がありました。
続いて、日本医学会高久史麿会長からは、唐沢先生は日本医学会と日本医師会は車の両輪といつも仰られ、とてもご協力をいただいた。というお話がありました。
 続いて、自由民主党高村正彦副総裁から、唐澤先生と私は立川高校であるが、てっきり唐澤先生が先輩だと思っていたが自分が先輩だったのでびっくりした。それほど唐澤先生には風格がある。自分は人生の舞台は常に将来にあると思っている。すなわち今までのことはリハーサルにすぎない。唐澤先生、ぜひこれからが本番の舞台なので、またご活躍していただきたい。というお話がありました。
続いて、自由民主党茂木敏充選対委員長からは、唐澤先生は最高のリーダーであり、温厚で高潔なお人柄である。また、叙勲の制度は大宝律令の時からある。というお話がありました。
 続いて、石原伸晃衆議院議員からは、新型インフルエンザの時、唐澤会長は水際で防げなくなった時には、その後の病院の対応が重要だという政策をとられた。また、産科医療補償制度の設立にも力を注がれた。また、災害医療の支援体制の確立も行われた。卓越したリーダーシップを持っていらっしゃるのも奥様の内助の功のおかげであろう。というお話がありました。
 続いて、加藤勝信内閣府特命担当大臣からは、唐澤先生はJMATの基礎をつくってくれた。安倍首相は新三本の矢を新しく提言しているが、その一つの経済の発展も健康があってのものである。二つ目の子育て支援に関しても小児医療が重要である。三番目の社会保障においてもかかりつけ医が地域包括ケアシステムの中心である。また、予防医学が必要となってくる。今後とも様々なリーダーシップを発揮してほしい。というお話がありました。
 続いて、中川雅治参議院議員から、唐澤先生は温かく優しいお人柄である。自分も東京が選挙区なので、東京都医師会会長から日本医師会会長になられた時、とても嬉しかった。というお話がありました。
続いて、川井重勇都議会議長からは、東京都の薬事審議会、医療審議会でも大変お世話になった。都民の健康づくりを推進していただいた。唐澤会長は常に“医療は技、治療は心”と仰っている。というお話がありました。
続いて、安藤副知事からは、唐澤会長には医療審議会等様々な会議、保健医療計画の推進、そして地域住民のための様々な試みや救急医療体制の充実として休日・全夜間診療事業を立ち上げていただいた。さらに東京都リハビリテーション病院の運営も行っていただいた。というお話がありました。
 

唐澤先生ご本人からのご挨拶では、
まず父が医院を開業しており、兄が継いでいたが急逝したために、母の命でそれを継承した。そのため最初は近くの社会福祉法人同愛記念病院で、院長の三沢先生、副院長の佐分利先生、赤津先生に非常に鍛えてもらった。それで診療の基礎ができた。その後、日本大学医学部の研修生として、小島徳三教授に指導を受けた。そのようなことを考えると、医師の世界は出会いとめぐり合わせで生きてきたように思われる。昭和49年に墨田区医師会の役員になった。その当時の会長は伊能先生。その頃の医師会の役員の先輩たちは、戦中や戦後の方が多く、よくその話をしてくださり非常に勉強になった。自分はよく副会長とか副委員長とか副がつく仕事をしていて、そのため皆からサブちゃんと呼ばれていた(笑)。平成6年に東京都医師会の監事になった。開業医は交番と同じように、昔は建物に赤いランプが点いていた。よく夜中にたたき起こされたりし、往診にも行って朝までいることもあった。福井光壽元東京都医師会会長からは、これからの医療は待つ医療ではなく、参加する医療、心が重要だと教わった。それにしても地域医療推進委員会では非常に鍛えられた。その後、日本医師会に所属し、様々な押し寄せる問題、高齢化の問題に対応した。やはりその時も医療は心だと思った。
吉幾三さんは兄弟みたいなものである。吉さんからは、患者も人、医師も人、治療そのものは心だと教わった。また初代日本医師会会長の北里柴三郎先生は、よく医道ということを書かれた。また、ハーバード大学のマイケル・ライシュ教授は、武見敬三先生とともにグローバルヘルスを訴えていらっしゃる。それは世界中の人が健康にそして安心した暮らしができるようにすることであり、地域の格差をなくすことが重要である。今後は一隅を照らしていきたい。また、福井光壽先生がよく慈悲の心ということを仰られる。最初は上から目線のことではないかと思っていたが、真実は菩薩の心、すなわち苦しい人を薬を使って救って差し上げるということが基本であった。日本の医療は素晴らしい医療であると、つくづく思っている。それは皆様が支えているからだと思う。というお話でした。
 

その後、前東京都医師会会長野中博先生から、唐澤先生はかかりつけ医ということを大事にしてくださった。医療の心を説いてくださった。日医に行かれてもかかりつけ医の重要性を発信していただき、それがまた、現会長の横倉先生にも繋がっているのだと思う。心意気は繋がるものだと分かった。唐澤先生はいまでもご自身で往診をされている。というお話がありました。
 

その後、祝電披露では、吉幾三さんから、唐澤会長はただのオヤジだと思っていたが、素晴らしい方だった。息子の賢祐先生にもお世話になっており、また孫の代までお世話になっている。とのお話がありました。
 

祝賀会では多くの先輩方と触れ合うことができ、様々なお話を聞くことができました。
  
 


~唐澤先生の主なご略歴~
■学歴等
昭和43年3月 千葉大学医学部卒業

■官公庁関係歴
昭和57年9月~平成9年6月  法務省 司法保護司
平成20年1月~平成20年12月 内閣官房 社会保障国民会議構成員

■民間関係歴
昭和44年1月~現在      唐澤医院院長
平成4年~平成8年3月    社団法人墨田区医師会会長
平成12年4月~平成14年3月 社団法人日本医師会監事
平成15年4月~平成18年3月 社団法人東京都医師会会長
平成16年4月~平成18年3月 社団法人日本医師会理事
平成18年4月~平成22年3月 社団法人日本医師会会長
平成19年5月~平成23年5月 財団法人日本学校保健会会長

■表彰関係歴
平成8年10月 東京都功労者表彰(保健衛生功労)
平成17年7月 厚生労働大臣功績賞(労働安全衛生)
 
唐澤先生が東京都医師会会長時代に、私は「唐澤チルドレン」として一緒に仕事をさせていただきました。尊敬する大先輩です。

先輩からは多くのことをお教えいただき、そして学ばせていただきました。
一例ですが、
・医師会と病院協会、そして自らの病院経営の仕事をして思うことは、良い医者を作ることが非常に大事であるということ。
・医師は社会的な部分において未熟な場合が多く、三分の一は変わった人である。社会人教育、ある程度一定期間徹底的に社会人教育を行う必要があり、それを医師会でやればいい。そうすれば医師会の価値も上がっていく。
・医師は能力はあるので、勉強の仕方を教えてあげればいいと思う。プロの持つべき「テクニック」として患者様や職員とうまくやっていくことを教えてあげればよい。
・地区医師会で、若くて開業した医師に何でも相談に乗ってあげるのはいいと思う。医師会の活動を知らないまま医師会離れしてしまう医師もいるので、労務管理や経営など、様々な問題について相談に乗ってあげることはいいことである。


その後、セントラル病院の分院・本院・松濤南多摩病院をまわりました。


その後、永生病院の患者様関連のお通夜に行ってまいりました。