平成26年9月22日(月)、
宮沢りえちゃん出演の舞台、『火のようにさみしい姉がいて』を観に行っていた。
(演劇評は後日アップ予定だが、
とにかく主演の段田安則の神がかった演技がすんばらしかったです。)
この日のりえちゃんの演技は、いつもと違って精彩に欠き、
台詞も噛みたおしていた。
夫「りえちゃん、よくなかったねえ。」
私「離婚で揉めてんじゃないの~?」
と、帰りのタクシーの中で交わした下世話な会話が思いだされる。
私「りえちゃんと撮って~。美の競演~~♪」
夫「・・・・。お・・・おう。」
何か私の発言にご不満でも?
とコントのようなことを言っていた翌日、りえママの訃報を聞くこととなった。
宮沢りえの母・光子さんが死去 65歳 りえ、感謝の思いをつづる
「一卵性母娘」とか「過干渉」とか「毒親」とか「鬼畜」とか「操り人形」とかとか・・・
色々と世間で騒がれていた母娘であった。
そしていずれも正しいのだと思う。
真相は全く知らないし、ご本人に聞いてみないことにはわからないことも多いが、
傍目からはそう見えていた。
私の中ではそうなっている。
りえちゃんにとってりえママは
母としては「毒」、マネージャーとしては「薬」であった。
そして毒と薬を一度に亡くした今、
真に解放されたりえちゃんそのものに期待したい。
応援の気持ちを込めて。
がんばりや。