盤上の夜 | 感傷的で、あまりに偏狭的な。

感傷的で、あまりに偏狭的な。

ホンヨミストあもるの現在進行形の読書の記録。時々クラシック、時々演劇。

盤上の夜 (創元日本SF叢書)/東京創元社

¥1,680
Amazon.co.jp

ざわ・・ざわざわ・・

(あらすじ)※Amazonより
相田と由宇は、出会わないほうがいい二人だったのではないか。
彼女は四肢を失い、囲碁盤を感覚器とするようになった―
若き女流棋士の栄光をつづり、
第一回創元SF短編賞で山田正紀賞を贈られた表題作にはじまる全六編。
同じジャーナリストを語り手にして紡がれる、
盤上遊戯、卓上遊戯をめぐる数々の奇蹟の物語。
囲碁、チェッカー、麻雀、古代チェス、将棋…
対局の果てに、人知を超えたものが現出する。2010年代を牽引する新しい波。


第147回直木賞候補作品。
大変遅ればせながら、1か月以上も経った今、
今更感がぷんぷん匂う中、直木賞候補作品の書評を書いております。

とにかくふしぎな作品。
SF作品、というものがどういうものを定義するのか、
厳密には私にもわからないのだが、
目の前に見えているものを掴もうとしても掴めず、
本物は別の空間にあるような、そんな作品。
とらえどころのない、というのとはまた違うような。

一人直木賞選考会の読後の一言メモとして、私は、
「読者も手探りで読み進めている中、肝心の作者も手探りという、非常に不安な道中。」
と書いているが、着地点が作者も模索しながらの作品だったのかもなあ、と
時間が経ってくるうち、そう思えてくる。

基本的には、将棋や麻雀などの盤上ゲームでリアルに戦う様子が描かれるのだが、
ときおり、幻につつまれる世界へと読者は落とし込まれたりする。
現実の世界にいるのに、突然、霧がかかったようなふしぎな世界へ飛んでみたり。
小さな小さな盤上の世界に集中すればするほど、
夢かうつつか、そんな世界が眼前に広がる。
特に「相田と由宇」のふしぎな関係と由宇の失った四肢の物語が描かれる、
「盤上の夜」と「原爆の局」は掴めたと思った途端、するりと手から抜けていくような作品。

反対に、「象を飛ばした王子」は大変分かりやすく、
話のシンプルさが非常に生かされた物語になっていた。
戦争と盤上の戦争が呼応しあうわかりやすい構成。
また幻が読者の手の中にしっかりと納まるシンプルな作り。
例えばブッダとその息子ラーフラがチャトランガ(*)の盤上で闘う場面で、
「歩」をうつと、兵隊がザッと草花をかきわけ進む、という幻想が眼前に出てくる描写などは、
草いきれや草原を駆け抜ける風を体全体で感じられるようなリアルさがあり、よかった。
 *チャトランガ=将棋やチェスの起源

作品として全体の出来はあまりよくないが、妙に印象的だったのは「千年の虚空」。
一人の女性を巡って、2人の兄弟の人生が翻弄される話。
とにかくまともな人間が一切出てこない。
病的におかしい人ばかりなのだ。
けれどもそこにあるのは、愛の枯渇。
作者がもう少し、丁寧に削れば、何かもっと違うものが出来上がったのではないか?
と、惜しくてしかたない。
かなり、ごつごつした、岩のかたまりのような作品になってしまって、かなり惜しい。
愛がなければ人は生きられない。
どんな形であれ、愛がほしい。
たとえそれが負の愛であっても。

んー、いい。実に惜しい。
そういう黒い愛をもっとドロドロに描いてみてほしかった。
病気の印象と、理解を超えたおかしさの方に目がいってしまって、
岩の核にあるのが、愛、であることが、あまりいひっそりとしすぎて、
ほとんど気づかれないまま終わってしまう。
愛に気づかないのはままあることだが、
この作品の三者三様の「愛の苦しみ」に気づいてほしい!

そして最後に。
この作家、麻雀が特に好きなのかしら?

他の作品に比べ、麻雀をとりあげた作品「清められた卓」だけが、
麻雀のルールに詳しくないと、ほぼわからないような作品になっているのだ。
他の作品は、ルールなど知らなくても読めるようになっているのに・・・
チーとかポンとか鳴くだの言われてもわからないって!
私が知ってるのは、「うちのタマ知りませんかドンジャラ」のルールだけなんだから~。

盤上には宇宙が広がる、とよく言うが、
この作品を前にして、私の眼前には、幻が広がり続けていた。

この宮内悠介という作家さん、
日本文学の匂いがあまりなく、外国の匂いを感じさせる珍しいタイプなのであります。
この短編集では直木賞受賞は無理なのはわかったが、
これからどういう作品を書いていくのか、少々気になる作家さんではあった。