至高の花 櫻の能 | 感傷的で、あまりに偏狭的な。

感傷的で、あまりに偏狭的な。

ホンヨミストあもるの現在進行形の読書の記録。時々クラシック、時々演劇。

平成22年4月6日(火)
「至高の華 護国寺櫻の能」を観に行く(in 大本山護国寺観音堂)。

感傷的で、あまりに偏狭的な。

ぞくぞくと観音堂(本堂)に集まる観客たち。


感傷的で、あまりに偏狭的な。

境内にある多くの桜の中でも、ひときわ目立つしだれ桜。


感傷的で、あまりに偏狭的な。

本堂から見た音羽周辺。
このあたりで「お受験殺人」があったのだ・・・と思うと複雑である。
そのつながりで角田光代の「森に眠る魚」も思い出す・・・。

本堂に入ると撮影禁止。
外は暖かかったが、中はひんやり。
ひざかけとストールを持参してよかった。
ビバ!自分!


(内容)
◇三味線幻想曲「花もよい」

私「・・・」

うーん、いまいち。
あ。
低音三味線というものの存在を初めて知った。
これだけは収穫であった。


◇狂言「寝音曲(ねおんぎょく)」 
太郎冠者 野村萬斎
主人 石田幸雄

(あらすじ)
主人から謡を所望された太郎冠者は、
「酒をたくさん飲んで、膝枕ひざまくらでしかうたえない」と(嘘を)言うので、
主人は酒をたくさん飲ませ、自分のひざを貸すが、
起こしたり寝かせたりするうちに、
太郎冠者はどっち(寝てるとき?立ってるとき?)の状態で
歌うべきだったかがわからなくなり、
立ち上がって上手に歌ってしまう。

「こらー!だましたなー!」
と怒りながら追いかけてくる主人に、太郎冠者は
「うわぁ、ご勘弁を~!」
と逃げてまどう。


初めて心の底から、狂言っておもしろい!と思った作品。
ものすごくシンプルで、ベタベタなオチで、
まるで「8時だよ!全員集合!」のよう。

「まんさい~、うしろうしろ!」

と言ってあげたくなった。

それにしても、
太郎冠者が上手に謡を歌い上げる場面では
「さすが萬斎さん!」
と感嘆の声を上げそうになった。

笑える箇所と太郎冠者の芸のすばらしさに息をのむ箇所。
そのコントラストがすばらしい作品であった。


◇能「花月」
花月 梅若玄祥
旅僧 宝生閑
寺男 野村万作

清水寺に辿り着いた旅僧は元筑紫国英彦山の人、左衛門である。
彼は七歳になったわが子が失踪したことに世をはかなみ出家し、諸国を巡っている。
清水寺に参詣した際近所に面白いものはないかと寺男にきくと、
門前に面白い遊芸をする少年(花月)がいるとのことである。
寺男の勧めでその少年の舞を見ると、まさに我が子であることに気付く。
聞けば花月は天狗に攫われ諸国の山を巡ったという。
再会を喜んだ父子は一緒に修行の道を歩むのであった。


これこそ「ザ・能!」という感じ。
少年花月の芸をたっぷり見ることのできる、ただただ、
音楽と舞を楽しむ、という作品。

能というのは外で見るもの、と思っていた私は(過去二回とも屋外)、
お寺の本堂で聞く地謡のすばらしさに感動した。
本堂の高い天井に届き、そこから本堂全体に広がり、反響し、
その地謡の声はさながら、僧侶が唱えるお経のようであった。

私「は~。すんばらすぃ~」

世俗のあれやこれやを、忘れることができる瞬間であった。

それにしても、
少年花月役の梅若玄祥さん。
少年とは思えない恰幅のよさ。。。
能面の端から五重あごがプルルルルルルン。

(もちろん五重あごでも、梅若さんの芸はすばらしかったです)


感傷的で、あまりに偏狭的な。

観劇が終わり、日も傾きかけた空。
白い桜(?)と五重塔。


感傷的で、あまりに偏狭的な。

白い桜(?)も美しい。