ほかならぬ人へ | 感傷的で、あまりに偏狭的な。

感傷的で、あまりに偏狭的な。

ホンヨミストあもるの現在進行形の読書の記録。時々クラシック、時々演劇。

ほかならぬ人へ/白石一文



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本当に愛すべき人はどこにいるんだろう。
本当の愛ってなんだろう。

第142回直木賞受賞作。

あらすじ※Amazonより
二十七歳の宇津木明生は、財閥の家系に生まれた大学教授を父に持ち、
学究の道に進んだ二人の兄を持つ、人も羨むエリート家系出身である。
しかし、彼は胸のうちで、いつもこうつぶやいていた。
「俺はきっと生まれそこなったんだ」。
サッカー好きの明生は周囲の反対を押し切ってスポーツ用品メーカーに就職し、
また二年前に接待のため出かけた池袋のキャバクラで美人のなずなと出会い、
これまた周囲の反対を押し切って彼女と結婚した。
しかし、なずなは突然明生に対して、
「過去につき合っていた真一のことが気になって夜も眠れない」と打ち明ける。
真一というのは夫婦でパン屋を経営している二枚目の男だ。
「少しだけ時間が欲しい。その間は私のことを忘れて欲しいの」
となずなはいう。
その後、今度は真一の妻から明生に連絡が入る。
彼女が言うには、妻のなずなと真一の関係は結婚後もずっと続いていたのだ、と。
真一との間をなずなに対して問いただしたところ、
なずなは逆上して遂に家出をしてしまう。
失意の明生は一方で、個人的な相談をするうちに、
職場の先輩である三十三歳の東海倫子に惹かれていく。
彼女は容姿こそお世辞にも美人とはいえないものの、
営業テクニックから人間性に至るまで、とにかく信頼できる人物だった。
やがて、なずなの身に衝撃的な出来事が起こり、明生は…。


Amazonの解説が詳細すぎてこわい・・。

常々宣言しているとおり、
私は白石一文作品が苦手である。
いつから苦手なのかなあ・・と思い返してみる。

もともと私はあまり作家名や作家の日常などに関心がなく
なんとなく本屋で手に取った作品や図書館で目に入った作品を読み
作家名も気にせず好き・嫌い、感動した・感動しないを楽しんでいた。
しかしそのころからどうやら白石作品には触れていたらしい。

そしてある本を読みながら、気づいた。

「んもー。こういう作品多いなあ。ほんと嫌い。誰よ、これ。」

と思って作家名を見ると、白石一文だった、というわけ。
(ちなみにこの時の作品は『永遠のとなり』。)

で、白石一文の作品を調べると、
でるわでるわ、私の嫌いだった作品が・・・。

「・・・要するに合わないんだろうなあ。別に下手じゃないのにさあ。」

という結論がでたばかりだった。

なのに今回直木賞候補になんて挙がったもんだから、
仕方なしに読んだわけでありまして・・。

しかしここは一人直木賞選考会を行い、次こそは絶対に当てるぞ!
を合い言葉に臨んだ「あもる一人直木賞(第142回)選考会」。
苦手意識を「無」にして(つもり)、
この白石作品を意欲的に読んでみたのである。

やっぱりだめだ~。
私の中の「愛」や「恋」はあれじゃない。
もちろん私のものさしで、作品を測るのは度量が狭いと思うのだが
それにしてもあれじゃない。

もっとドロドロしていて、もっと暑苦しくて、
みっともなくて、おしつけがましくて、そういう姿が私は見たい。

主人公はいわば劣等感の固まりである。
それならそれで、もっと冷え冷えとしていてもいいのに、
なんだか中途半端な気がした。
冷えているからこそ歪んだ愛も受け入れてしまう、という理由や根拠が
もうすこし丁寧に書かれていてほしかった。

これはいわゆる「青い鳥」物語であるが、
ずっと近くにいた「青い鳥」に気づく心の流れ方があまりにシンプルで、
劣等感のかたまりのわりには、ずいぶんあっさり気づいてしまうんだなあ、
と思ってしまった。

そして、高級な文体、と評された白石文体だが、
私はどうしても納得できない文章があった。

「ベストの相手が見つかったときは、
 この人に間違いないっていう明らかな証拠があるんだ」
「だからさ、人間の人生は、死ぬ前最後の一日でもいいから、
 そういうベストを見つけられたら成功なんだよ。」

ベストって!
もうだめ。
イライラする。

リズムがいや。
用いられる単語がいや。
並びがいや。
全部いや。

ここまでずっと、苦手だ、いやだ、を繰り返しているが、
作品全体は、小さくまとまってよくできていると思う。←今更・・・?

主人公の幼なじみの渚や
主人公の元妻であるなずなには好感がもてた。
なずなのばかっぷりはもう少しちゃんと書くと、
より作品が生きてきたんじゃないかと思う。
しかし白石氏はこれ以上は書かない。
誰についても、なんとなくわかる感じで書きすすめる。

白石作品は全体的に簡素である。
構成もシンプル。
色がない、というか、
これといって欠点もないかわりに(私は嫌いですが!)
これだ!というものもあまりない。

都会的で、空疎。
虚無、といいかえてしまうと、これがまた違う。
虚無、というのは、一つの長所であり特徴でもあるから。

白石作品は
手触りがサラサラで、手からこぼれ落ちていくような感覚。
乱暴に種類を分けると、
白石作品に対する印象は
伊坂幸太郎の作品に対する印象と少し似ている。

常に、あちら側でサワサワ事件が起きている。
常に、心の向こう側で何かが描かれている。
そういう遠い世界のことのように感じられてしまう。

現代の若者に受け入れられる

と直木賞選考委員の選評を見かけたが、
現代の若者はこういう作品がお好みなのかな?

こういう時代だからこそ、
私は渚のような、なずなのような、
不器用で、自分の人生なんて顧みず、愛だけをたよりに生きる、
一見「ばかな女」をもっと強く描いてほしかったのだけどなあ。


ちなみにこの本には、
「かけがえのない人へ」という作品も掲載されている。

この作品では
気持ち悪い脂ぎったオッサン黒木と、全く魅力が感じられないみはるの
すんごいセックスが描かれている。

おわり。