真のアフリカとはどこにあるのか。
そしてアフリカはどこへ行くのか。
「絵はがきにされた少年」というタイトルとアフリカという舞台。
それだけでなんとなくイメージするものがありはしないか。
「された」という語感とアフリカ。
少年の気づいていないところで撮られた写真が
欧米諸国に出回り、勝手に売られている。
見せ物にされたかわいそうな少年。
欧米諸国に搾取されているヾ(。`Д´。)ノ
みたいな?
ところがその章の記事を読むと、そういう話ではなかったのだ。
むしろ逆。
少年は、絵はがきにされていることを大人になって偶然知る。
彼はひどくそのことに感動し、喜び、その絵はがきを入手し、
我が家の宝物だ、と記者に見せびらかすのである。
アフリカというところは、私を含む日本人にとって遠くて遠い国である。
鬼のような搾取者欧米諸国vsアフリカ諸国
という図を私たちは勝手に作ってはいないか。
そしてアフリカ諸国は貧国でかわいそう・・・と勝手に思ってはいないか。
そういう私たちの中にある「アフリカ」像を、
この本は突き崩し、そして新たな問題を突きつけてくる。
最初の章でこの本は、私たちのイメージにあるアフリカ像の突き崩しにかかる。
「あるカメラマンの死」
という話題で。
この写真は、ケビン・カーター撮影の「ハゲタカと少女」である。
ピューリッツァ賞を受賞した作品。
まさに私たちの思うアフリカではないか。
そしてこの後、カーターはなぜ少女を救わなかったのか、と世間から批判され、
自殺をしている。
ところが,である。
この撮影を行った時,カーターは一人ではなく,同行者がいた。
その同行者の証言によると・・・・
「このとき救援物資がヘリコプターから届いて,ここらの住民は皆我先に物資に群がり,
子供を抱えた母親たちは子供をそこらへんに転がして物資を得るのに必死だった。」
「アフリカの女はこわいんだよ。子供にうかつにさわったりなんかすると,
うちの子になにするんだ,って怒鳴られるんだぜ」
「あの写真の子の母親だって数メートル先で物資を得るのに戦っていた。」
「たまたまそこへハゲタカが舞い降りただけだ。←多分物資のおこぼれを狙ってる。」
要するに,この少女が貧困にあえいでいることは間違いない事実だが,
別に母親とはぐれたわけでもなく,
ハゲタカが少女を狙っているわけでもなく,
この写真はそういう余計なものを排除しただけの,切り取られたアフリカだったのだ。
そして自殺したカーターも,世間の批判に耐えかねて,というよりは
薬をやっていたこともあり,精神不安定になった結果ではないか,ということである。
(飢餓にあえぐアフリカを目にしてまじめな彼は悩んでいた,というのもある。)
もっとアフリカをワイドで見ろ。
もっとアフリカを立体的に見ろ。
この本はそう言っている。
そしてアフリカの現状を伝える。
南アフリカのレイプは10秒に一度という世界最悪のレイプ率であること,
強盗なんて日常茶飯事,
アフリカ人同士でも民族によりやはり差別がある,ということ。
(何が理由である種族が差別されるのか本人たちでもわからないらしい。
ただぼんやりと,色がより黒い方が差別されるんじゃないか,という証言あり。
またこの記事を書いた記者も全くのウソ,というわけでもない気がする,と書いてある。)
レイプや強盗の記載を読むと、映画の『ツォツィ』を思い出す。
この本に書かれている南アフリカの現状がそのままこの映画なのである。
アフリカにはいろいろな顔がある。
それをもっとみんな知って欲しい,という記者の願いはよく伝わる。
あえて苦言を申し上げるならば,
1冊の本にまとめるには話題が多すぎるため,読者の集中力が深まる頃,
他の話題へと移ってしまうのが残念な気がする。
(私だけかしら?)