欲望の末に生まれてきた僕たち | あもん ザ・ワールド

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君へと届け 元気玉

パワースポット
調べてみると地球に点在する特別な場所であり
日本では伝統的に霊場や聖地がそう呼ばれると書いてあった
確かにそう呼ばれるところには不思議な世界観があり
磁場のお陰かどうか分からないが、自分の気流が整うような気がする
このパワースポットをあもんはもっと広義に考えている
パワーと呼ばれるからにはその地に力が存在し
その力を吸収できる処をパワースポットと呼んでいる

人間にとっての力とはまさしく元気であり
その地に行くと何故か元気が出るという処がそれに当たる
元気が出るということは『そこに居たらワクワクする』ということだ
人間である為、ワクワク基準は個人によって全く違うものだ
『なんか、今私、元気になった!』と言える処はそれぞれでであり
結論的にパワースポットに縛りを入れるのは違うのかもしれない


そんなあもんのパワースポットはここにある
悔しい時、辛い時、悪い波にさらわれそうになった時に
あもんはこの地で見上げるんだ



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日本万国博覧会は1970年3月14日から9月13日まで開催された
もちろん、あもんはこの時、生まれてはいない
テーマは『人類の進歩と調和』であった


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その象徴として建てられたのが太陽の塔だ
約70mの高さのなんとも奇妙な形で大屋根を貫いている
未来を象徴する『黄金の顔』現在を象徴する『太陽の顔』過去を象徴する『黒い太陽』という3つの顔を持っている
そしてその周りには人間の尊厳と無限の発展を現わす為に
『生命の神秘』『現代のエネルギー』『未来の空間』が演出されていた
万博会場の総合設計をしたのが世界的な建築家である丹下健三だ
彼の表現するシンメトリー(左右対称)な建物は見ている物を魅了させる
そこに万博の総合プロデューサを岡本太郎にしたのが物凄く面白い
この二人がどれだけ刺激し合い、ぶつかり、そして手を握り、
この万博会場が出来上がっていく様は、想像するだけでドキドキしてしまう


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あもんはこの時生を授かっていないので、その時の記事を以下に紹介する

丹下は、会場計画を決めるだけでなく、中心施設となるお祭り広場の具体的設計も手がけ、トラスによる大屋根を架け、岡本太郎を呼んで大屋根の下に建つモニュメントを任せる。岡本は、創造力をいつものようにバクハツさせ、バクハツついでに大屋根にも穴をあけ、<太陽の塔>を屋根の上にまで突き出してしまった。この予想外の突き出しによって、お祭り広場の空間のシンボル性は、大屋根ではなく太陽の塔へと収束してしまう。
広場は、大屋根と太陽の塔のふたつの建造物の組み合わせからなるけれども、ふたつの印象は正反対。太陽の塔は、見るからに大衆好みでにぎやかでお祭りのご本尊にふさわしいのに、大屋根は、力強さ、巨大さ、技術力ばかりが目立ち、何だかかつての図書印刷原町工場が引っ越してきたような光景。太陽の塔を囲み、各パビリオンが着飾って身振り手振りもにぎやかに浮かれ踊る輪のなかに、ひとり、背筋をしゃんとした大柄な紳士が仕立てのいい背広を着て立ちつくしている感じ。
 太陽の塔も各パビリオンも、お祭りにおける屋台のようなもの。現代的にいえばテーマパークの建物といっていい。そうした視覚的表現の要点は、“消費”にある。一方、大屋根は、その巨大感、力強さ、均質性がそのまま近代的大工場をしのばせるように、立脚点は“生産”。
 消費が、一時の気分や官能性や理由のない変化を大切にするのと対比的に、生産は、秩序と計画性と、そしてどこかで公共性や精神性を不可欠としている。




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この日本万国博覧会という国家プロジェクトは日本の高度経済成長の結果のように感じる
高度経済成長とは1995年から1974年にかけての成長を示しており
戦争で経済が破たんした日本が朝鮮戦争を機に特需景気と成り
その後の神武景気、岩戸景気を経て東京オリンピックの成功
そしていざなぎ景気から万国博覧会を経て石油ショックで安定成長になるまでを言う
この日本の成長により日本の産業は農業から重化学やサービスへ
保護主義的国内産業育成から大企業の輸出拡大、多国籍企業化に変貌していった
その結果、1968年にはGNPが世界第2位になるという快挙を達成した
全てを戦争で失くして、新たな日本のカタチを創った時期であった
国民の衣食住も着物、もんぺ、軍服からスーツ、ネクタイ、スカートへ
ちゃぶ台でご飯とみそ汁からテーブルでパン、牛乳、インスタント食品へ
木造住宅、長屋から団地、マンションへと変貌してった
そう、現在のライフスタイルがこの時に生まれたのである



何かが新しく生まれる時
それには大きな力が必要である
その大きな力とは人間力である



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きっと、戦争で多くの涙を流した日本人は大笑いしたかったのだろう
会社で同僚とモノを創って。家族で食卓を囲んで、美味しいモノをたくさん食べたかったのだろう
大きく大きく豊かになりかったのだろう
そんな大きな欲望が人間力の源になり
それはやがて大きな元気玉となった
みんなが少しずつ出した元気を集めたのが
東京オリンピックであり、日本万国博覧会である
日本の高度成長は市場のお陰か?政府のお陰か?という議論があるみたいだが
あもんは日本人のこの元気玉のお陰だと思う
『豊かになりたい』
この欲望は人間が生まれた時から持っている本能である
よって、言いかえればこの時代の日本人は
本能を素直に出し切った人間だとも言えよう
貧しさからの豊かさを味わったこの時代の日本人は
苦しくとも幸せだったのでは?と思う



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そんな欲望と情熱を見事に表現しているのが
岡本太郎が創造した太陽の塔であろう
岡本太郎は万国博覧会が終わった後、こう言った
『作る段階では永遠に残すなど、みじんにも考えなかったが、できてしまうと自分から離れ、みんなのものになった』
そう、太陽の塔は岡本太郎だけの作品では無い
戦争から見事に復興した昭和の日本人の作品である
この太陽の塔を見たおばあさんがこう言ったらしい
『命を質に置いて、生きていて良かった』と




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『豊かな日本にしてやる!』
そんな欲望の時代に生きた先輩方
その先輩方の欲望の末に生まれてきた僕たち
僕たちには『豊かな人間になってくれ!』という願いが込められているのだ
だから豊かな人間に育った僕たちは
新たなる欲望を叫び続けなければならない
未来の日本の為に、未来の子供達の為に
さぁ、みんな、欲望を叫べ!!!!


この地には未だに先輩方のパワーを感じる
だからあもんは元気が無くなった時にこの地に立つんだ
この地に立ったあもんは今にドキドキしてやるのだ
昨日にイジイジせずに、明日にワクワクしてやるのだ
忘れかけた明日への欲望を握りしめ
今ある人間力で精一杯の元気玉を放つと
太陽の塔に約束するのである



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パワースポット
それは地球に点在する
あなたにとっての特別な場所である
あなたのパワースポットは何処にありますか?