℃-ute講座 | 赤羽橋道重街にっき

℃-ute講座


赤羽橋道重街にっき
今日は℃-uteが誕生してから8年目になります。

去年は数々のアイドルフェスに顔を出し、そして今年は武道館単独公演を成し遂げた℃-ute

最近なんかファンになった方々がたくさんいます。
嬉しい事です。
℃-uteさんは8年前に誕生しました。

その誕生から今日までじつに理不尽な扱いを受けてきた℃-uteにはいろんな歴史があるのです。


今日はその℃-uteを講義していきます。

まず℃-uteが誕生したのは2005年6月11日です。
しかし℃-uteのメンバーは2002年にハロープロジェクトキッズオーディションに合格しています。

2002年にデビューしてから2005年までの3年の間、彼女らは先輩のバックダンサー等を勤めたり期間限定ユニットに参加したりしていました。

当時はモーニング娘。4期と5期オーディションの後でハロプロの低年齢化が進んだ時期

辻希美や加護亜依、新垣里沙や高橋愛あたりがモーニング娘。に入ってきた時期で低年齢化に嫌気をさしていた古参のヲタが離れて行ったり、タンポポやプッチモニなどのメンバーチェンジなどでかなりヲタから非難轟々の頃です。

いわゆるハロマゲドンですね。
今考えるとかなり逆風な時代にハロプロキッズは入って来たんだなと思います。
だから嗣永桃子みたいなキャラが誕生したんでしょう。
(個人の感想です)

ハロプロキッズは2002年にデビューしてからどちらかと言うと裏方に徹してきた訳ですが2004年にようやくハロプロキッズから新ユニットが誕生することになりました。

2004年1月に結成された


Berryz工房

です。

メンバーは
清水佐紀、徳永千奈美、熊井友理奈、須藤茉麻、夏焼雅、菅谷梨沙子、石村舞波、そしていま「ももち」としてテレビに出ている嗣永桃子
計8名。

ハロプロキッズは15人いましたからBerryz工房にならなかった7名が℃-uteになったと思いますよね?

なったんですが

えー

℃-uteの誕生は?

そう
2005年6月11日

Berryz工房結成した2004年1月から2005年6月まで℃-uteのメンバーは?

無職でした。

Berryz工房に選ばれなかった
矢島舞美、村上愛、梅田えりか、中島早貴、鈴木愛理、岡井千聖、萩原舞の7人はBerryz工房結成後も

ハロプロキッズ

として裏方に徹することになったのです。

15人の仲間からある日突然8人が選抜されBerryz工房になり選抜されなかった7人はモーニング娘。などのバックダンサーになる。

でもまあ実力があったからBerryz工房に選抜されたんでしょ?
と思いますよね?

どっかみたいに選挙やった訳じゃありません。
選抜された根拠が未だに謎であり何を根拠にBerryz工房を選んだのかも不明。
さらに
「Berryz工房メンバーはスターティングメンバーなんで入れ替えもある」
とされていました。

この
「入れ替えもあり得る発言」によりハロプロヲタの間ではこういう認識になりました。

清水、徳永、熊井、須藤、夏焼、菅谷、嗣永、石村がBerryz工房
矢島舞美らは

「Berryz工房補欠」

と。

そして矢島舞美らにファンが付けた名前は

「非ベリ」
「非ベリキッズ」

℃-uteメンバーは非ベリ呼ばわりされたとき、悔しい想いをしたと後に新聞のインタビューで語りました。

さらに何故かBerryz工房のステージを見に行かされ、笑ってたらマネージャーに怒られるという小学生女子にとってかなり理不尽な扱いを受けてきたわけです。


2004年、事務所はBerryz工房を売り出します。
1月14日に結成
3月3日にメジャーデビュー
3ヶ月連続シングルリリースに7月にはアルバム発売
8月に神宮花火大会に松浦亜弥、ダブルユー(辻加護ユニット)の前座で国立競技場のステージに立ち、ダブルユーとコンサートツアー

めまぐるしく活躍する清水佐紀らBerryz工房
逆に矢島舞美らはほったらかしでした。

次第に定着する非ベリ呼ばわり
非ベリはあんまりだと「セブンキッズ」と呼ぼうと7キッズを定着させようと頑張るファンの願いむなしく

非ベリ
は定着してしまいました。

事態が動いたのが2005年6月11日
矢島舞美らにようやくプロデューサーつんく♂からユニット名をもらいます。

℃-ute(キュート)

2005年6月11日
ハロプロキッズ全員がユニットに所属することになりましたが

℃-uteはインディーズからスタート
というこれまた理不尽な扱いを受けてしまうのです。

Berryz工房はいきなりメジャーデビューしました。
今のハロプロにあるユニットでいきなりメジャーデビューしたのはBerryz工房しかいません。
モーニング娘。すらインディーズからスタートしています。

Berryz工房はメジャースタート
℃-uteはインディーズからスタート
理由は未だに謎。

それでも矢島舞美ら℃-uteは喜びました。
ようやくグループとして活躍できるわけですから。
℃-uteとしての最初のステージは安倍なつみのコンサートの前座
℃-uteはここからスタートします。
2005年10月
Berryz工房から石村舞波が卒業し1人欠員が出ましたがもはやBerryz工房補欠はいません。
Berryz工房は7人になります。
℃-uteはスーパーのイベントやモーニング娘。等の前座に出演していきます。
しかし2005年はオリジナル曲さえなくBerryz工房の曲を結構歌わされていましたが、ようやくオリジナル曲を手にします。

最初に手にしたオリジナル曲は

わっきゃない(Z)

2005年11月の終わりの事でした。

2006年1月
7人の℃-uteに1人新規加入してきました。
有原栞菜(ありはらかんな)

いつの間にか出来ていたバックダンサー集団ハロプロエッグからの加入でした。

これがまた一部℃-uteヲタの反感を買い、一時かなりギクシャクしていました。

8人になった℃-ute

初めてCDをリリースしたのはインディーズデビューしてから11ヶ月経過した2006年5月6日

結成は2005年6月11日
CDリリースは2006年5月6日
この間、℃-uteは先輩の曲やBerryz工房の曲、CDにはならなかったがオリジナル曲として作った
わっきゃない(Z)
をイベントや前座で歌っていたことになります。


インディーズシングルの最初は

まっさらブルージーンズ

以降
即抱きしめて
大きな愛でもてなして
と3ヶ月連続シングルリリースというBerryz工房と同じ手法でプロモーションが行われていきました。

ちなみに
大きな愛でもてなして
は当時テレビ東京で放映されていた

きらりんレボリューション

のエンディングテーマになります。

Berryz工房に遅れること2年
ようやく肩を並べた℃-ute

のように思われますが2006年にはBerryz工房は既に単独でコンサートツアーをやるまでになっており、差は縮まることはありませんでした。


それでも℃-uteは8人で頑張るのです。
9月10日の℃-uteの日イベントには会場になったよみうりランドに多数の客を集めました。

℃-uteの知名度も上がりはじめた矢先

矢島舞美と共に℃-uteを引っ張ってきた村上愛(むらかみめぐみ)が突然脱退。
℃-uteは7人となります。

2007年2月21日
ようやく℃-uteはメジャーデビューしました。

桜チラリ

かの曲は女性アイドルグループで初、デビュー曲のオリコントップ5入りという快挙を成し遂げました。

Berryz工房でもモーニング娘。でも成し遂げられなかった快挙でした。

しかしBerryz工房は℃-uteメジャーデビューしてから1ヶ月半後、度肝を抜く快挙を成し遂げます。


さいたまスーパーアリーナ単独公演

ようやく単独コンサートをはじめた℃-uteをよそにBerryz工房はさいたまスーパーアリーナ単独公演。

実はBerryz工房は2007年4月1日に
さいたまスーパーアリーナ
にて単独公演をやっているのです。
それは同時にさいたまスーパーアリーナ単独公演したアーティストで最年少記録を樹立したことになりました。

でも℃-uteはこの年、レコード大賞新人賞を受賞。
Berryz工房ですらもらえなかったレコード大賞優秀新人賞を貰うことになり楽屋で歓喜のあまり泣いてしまうメンバーでした。


Berryz工房も℃-uteもこの年、紅白に出場し℃-uteにとっての飛躍な1年は終了しました。

2008年

℃-ute単独公演も出来るようになり、Berryz工房と一緒に
ベリキュー
などと呼ばれるようになりました。
そんな中、4月20日
℃-uteは横浜アリーナのステージに立ちました。
Berryz工房と一緒に。
Berryz工房と℃-uteの仲良しコンサートでした。
Berryz工房と一緒とはいえ℃-uteが先輩格のモーニング娘。などがいないステージにメインとして立つのは初めての事であり℃-uteがまた飛躍した証しでもありました。

ハロプロでの知名度も上がり横浜アリーナでコンサートが開けるほどのファンが出来たしパシフィコ横浜などと会場でもコンサートが開けるようになった2008年

しかし2009年
℃-uteにとっては受難な年になります。
℃-uteはよくイベントなどに顔を出す関東では有名でしたが地方ではまだそんなに浸透していなかったのです。
Zepp仙台ライブに椅子を出されてネットで失笑されたのも2009年。

そんな地方での厳しい集客力にうちひしがれていたさ中、有原栞菜が外反拇趾が悪化し春ツアーは6人で回る羽目に。
毎公演毎公演
「有原栞菜は帰って来ます」
と矢島舞美がアナウンスするも2月26日を最後に一度も姿を表すことなく7月に脱退。
1ヶ月後に今度は梅田えりかがモデル転向を理由に卒業を発表、秋ツアー終了をもって10月25日に卒業していくと℃-uteは5人に。

相次ぐメンバーの脱退卒業に残ったメンバーはギクシャクし始め不満は矢島舞美に集まりケンカ。
矢島舞美は心が折れてしまいました。
しかし親友からの励ましを経て℃-uteリーダーとして再び頑張るのです。(新聞の記述より)

2010年
℃-uteはGREEにてオフィシャルブログをはじめました。
YouTubeのチャンネルも開設されました。
ここで有名になったのがあれです。

岡井千聖の踊ってみた(本人)シリーズ
多数のアクセス数で有名に。


℃-uteの名前はじわじわ地方にも浸透していきます。

鍛え上げられたライブパフォーマンス
ダンスのかっこよさ
これを武器にハロプロ以外のイベントに乗り込むようになります。

アイドルブームもあり、アイドル横丁祭などに最近デビューしたアイドルグループに混じり、老舗の℃-uteが出演

あまりのレベルの違いから℃-uteが注目されはじめます。

2012年ごろから

「開演当日に当日券買えば見れた℃-ute」

「一般発売日に争奪戦やらないと見れない℃-ute」
になりはじめました。
℃-uteのコンサートチケットを取るのが困難になりはじめたのは2012年夏
東京や大阪名古屋などの公演は軒並み即日完売になり今まで余裕ぶっこいていた℃-uteヲタがまさかの
「予定枚数終了」
という文字をみてガックリする場面が。


一番驚いていたのは℃-uteヲタです。


そして℃-uteは2013年
パシフィコ横浜公演チケットを即日完売させ

武道館単独公演を手に入れました。

武道館単独公演決定の発表はデビューしてからずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと背中を追いかけてきたBerryz工房の存在を抜いた瞬間でもあります。

ですからあんなに喜んでいたのです。

Berryz工房にとってはじめて℃-uteがライバルになりました。

これからは本当の意味でBerryz工房と℃-uteは切磋琢磨していきます。

℃-uteは8年かけてBerryz工房に2年遅れのメジャーデビューの



を埋めたのでした。