昨日、職場の若い子が世界史が好きだというので、その視点はどこにあるの?と聞いたらキョトンとされてしまいました。

 

ここ数年世界史本が沢山出版されていますが、西洋人はもとより日本人が出された本でもその視点が西洋人のものが多いと考えています。しかし、私達日本人がまず知るべき世界史は日本人視点でなければおかしいのです。それを知った上で、西洋人視点の世界史を学ぶのは良いと思います。あるいは、西洋人視点で学んだあと日本人視点の世界史を学ぶのもいいかもしれません。しかし、研究者でもない限り両方を知ろうという人は多くはないでしょう。だったら、日本人は最初から日本人視点の世界史を学ぶべきなのです。

 

 

これは外国人視点の日本史ではなく、日本人が国史を学ぶべきであることと対になっています。私達日本人は、日本人視点である国史と世界史を学ぶべきであるという事です。

 

 

とはいえ、日本では教育の場では日本史と西洋史観での世界史が教えられています。私は子供の時から歴史が好きだったのですが、授業の歴史は面白いと思ったことはありませんでした。しかし、本来の歴史は面白いものなのです。なぜなら自分に関係のある事には皆興味を抱くものだからです。ところが日本史、世界史、は年表と単語羅列の教科書になっているのですから、面白いはずがありません。しかも視線は外国人目線です。

 

本来の歴史を見る目は、古事記の序文に簡潔に説明されています。

稽古照今です。

稽古照今とは、古を振り返り今を考えるという事です。だからこそ、古事記には御歴代の天皇の良くない面も書かれています。例えば第25代武烈天皇は、歴代天皇の中で最も残虐な天皇の描写となっています。よくある説明では、この後仁徳天皇の系列が途絶え、応神天皇の別の皇子の系列に変わりましたので、その最後の天皇として悪く書かれたというもの。しかし、これは描写に盛り込みはされてもそのような天皇であったことに間違いないであろうという説もあります。武烈天皇は10歳で父帝が崩御され即位し、18歳で崩御されています。そこに十代の有り余る力の悪い放出を見ているのです。まだ古代の政治制度が確立していない時期の天皇であったため、そのようなわがままが許されてしまったということです。だからこそ、その後平安時代の朝廷の制度がしっかりされるまでは年若い天皇は出てきません。つまり、この武烈天皇の例から年若い天皇を避けたのです。つまりこれが稽古照今です。

 

武烈天皇を、なんの後ろ盾もないまだ危うい時代の幼い天皇とみると、また随分歴史の見方が変わってくるのです。

 

中途半端ですが、時間がなくなってしまったので今回はここまでで。

 

年間102日ある稽古照今の第一歩